ミレニアプレスとは D. クリスティーが主宰する出版社で、現在クリアグリーンに対し、カスタネダのフィクション性を主張しているところである。なぜ彼らがカスタネダに対抗しているのか、その動機は先住民たちへの共感にあると思われる。カスタネダはいわば彼らの本質を安く奪い取ったとされているのである。カスタネダはミレニアプレスを相手どり、訴訟を起こしたそうである。訴訟を起こすなどということが戦士の精神にあるとは誰が想像できるだろう。



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以下 ミレニアプレス Letter from the President of the Native American Church より

 親愛なる Christie 様

 あなたのお手紙にお答えして、そして北米先住民教会(NACNA)を代表いたしまして、北米における先住民たちの宗教的権利を守るための公法103−344へのあなたの働きかけに、私は感謝したくお手紙を書いております。従いまして、あなたのひたむきなお仕事に対して、その功績を認めるべくここに証明書を同封いたします。NACNAは先住アメリカ人教会のメンバーたちが我々の伝統的宗教を実践する宗教的自由を与えられることを保証するためにあなたが関与されることに対し、たいへん感謝いたします。

 心より Frank Daysh,President; Native American Church of North Amerika


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以下ミレニアプレスより

著作 1:カルロス カスタネダ、アカデミックなご都合主義とサイケデリックな60年代

Book 1: Carlos Castaneda, Academic Opportunism and  the Psychedelic Sixties  by Jay Courtney Fikes, Ph.D. ISBN: 0-9696960-0-0

紹介

 カルロス カスタネダの最初の著作である『ドンファンの教え』は「精神革命を伝授する...彼の著作は何百万という若者をメスカリンやペヨーテの助けを借りて」生命の神秘的生活への「探求へと導くのである」(M.カスタネダ 1975:77-78)。カスタネダの元伴侶であるマーガレット カスタネダはこう表明するが、このような見解は少し大げさである。
 1968年、カスタネダの最初の本が瞬間的ベストセラーになった年、サイケデリック運動はその開花期にあった。カスタネダの異国情緒あふれる指導者ドンファンの奇怪さに心打たれるように準備された、あるいはそれを望む聴衆が形成されるには、超センセーショナルといってもいいメディアの取材とこのサイケデリックなスーパースターの体制的敵対者の15年間が必要だった。
 この章はカスタネダの本を大衆が熱狂的に受容したその裏側の心引かれる物語を語る。彼のもっとも際だつ三人の先駆者、オルダス ハックスレイ、ティモシー リアリー、ゴードン ワッソンが、メスカリンやLSDのような化学的サイケデリックや、ペヨーテやシロシビンきのこのようなサイケデリックな植物、をどうやって普及させたか、実地に調べてみよう。こうしたことや他の有名なものをメディアは取り巻き、彼らが代表するカウンターカルチャーに魅せられたが、そういう取材が、何百万という読者をドンファンやカルロス カスタネダの登場に拍手喝采させる準備を助けたのである。
 カルロス カスタネダの最初の著作はぴったりの時に出現した、そしてサイケデリック運動の中で誰もが聞きたいと思ったまさにそのメッセージを含んでいたのである。

 カルロス カスタネダの「教え」とペヨーテ、ジムソンウィードやシロシビンきのこによる体験、この二つに対する心酔が未だに存続している。アメリカの大衆にあっては、彼の人類学者としての名声が乗り越えられるのはただマーガレット ミードのみである。確かに「ニューエイジ」運動の設立者としてカスタネダを認知するのは間違っているが、彼の著作は数百万の読者の生活に決定的な影響を与えたのだ。カスタネダ本は全部で800万冊以上売れた

  オルダス ハックスレイはパンドラの箱や知覚の扉を開けたのか?

 オルダス ハックスレイは、『すばらしき新世界』『知覚の扉』を含む多くのフィクション、ノンフィクションを書いた英国の作家である。彼はサイケデリック運動の真のパイオニアである。文学志望者として、カルロスカスタネダの想像はハックスレイの本を読むことによって実質的に拡大されたにちがいない。その本は1954年の『知覚の扉』と、1958年の『人間の心を形作るドラッグ』というものである。1958年のこのエッセイはサタデーイヴニングーポストに連載されたが、その中でハックスレイはペヨーテとLSDが宗教革命を発火させるために必要な神秘的体験の能力を刺激するものだと示唆している(Huxley 1958: 113)。10年後、マーガレット カスタネダがカルロス カスタネダの最初の著作が秘儀伝授したと主張する「精神革命」は、その絶頂に達した。思うに、デ・ミルが言うように、ハックスレイはカスタネダのお気に入りの作家である(deMille 1978: xii)。

 1950年代の初期には、英国の精神科医であるハンプレイ オズモンド博士と二人のカナダ人同僚がカナダのサスカッチュワンにある州立精神病院において、隠密で分裂病の患者に対処するためにメスカリンを使用していた。オルダス ハックスレイは医療雑誌でオズモンドの研究結果について学び、すぐにオズモンドを訪れた。オズモンド博士は1953年5月の明るい朝にロサンジェルスでオルダス ハックスレイにメスカリンを与えた。オズモンド博士とハックスレイの妻は彼が最初のメスカリン体験をしている間観察した。

 ハックスレイは幻覚を起こさなかった。彼は抵抗しがたい美しさの中でなじみの物体を見た。彼は無限の「内的光」が家具を通して輝く世界に戻った。そこは知覚の扉が清められ、「現実の聖なるヴィジョン」を一瞥することが彼に許された(Bedford 1974: 538)。その経験に対するハックレイの反省は一年しない内に『知覚の扉』で発表された。このかなり知的で小さな本がたくさんの論争に火をつけ、サイケデリック運動への道を地ならししたのである。他の著名な人類学者、科学者の中でもジェームズ ムーニー、ウェストンラバール、そしてウィリアム ジェームズはハックスレイのはるか前に、ペヨーテやメスカリンを摂取した(補遺A参照)。しかし彼らのうち、ハックスレイの文献的世評、個人的神秘体験を一般大衆に魅力あるものにする能力に類するものを持っていたのは、だれもいなかったのである。


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以下ミレニアプレスより

A Magical Journey with Carlos Castaneda by Margaret Runyan Castaneda ISBN:0-9696960-1-9 


紹介

 カルロスはその漆黒のアーモンドのような大きく茶色い目で私を見た。彼は茶目っ気いっぱいだった。『オオ、ミス ラニアン、ぼくは革命を始めようとしているんだ、それはぼくらの生きてる時代を超えて残るよ。君はそれに加わっているのさ』彼は笑った。ほとんど非人間的なもののように聞こえた。それはカラスの鳴き声のようだった。『カルロス、あなた気がちがったの』私は言った。すると彼は私をかつぎあげて肩越しに放り投げた。私はハンドバッグでたたいてやった。私たちは笑いながら座った。私は自分の夫になるこの小男に夢中だった。ロサンジェルスでのはじめの頃、カルロスの親友だったのはコスタリカ人、リデット・マドゥロである。この人は暗い眼のぽっちゃりした女性で母親とロサンジェルスに住んでいた。彼は彼女をナネッカと呼び、1995年末以前、たびたび彼女に会いに行っていた。1955年12月に私のアパートへカルロスを連れてきたのはリデットだった。アンジェラ マドゥロつまり彼女の母親はクリスマス休暇に着る二着のカクテルドレスを私のために作った。カルロスは使いで来たリデットについてきたのだ。ぴったり合うか試しているあいだ、カルロスは隅の方に静かに座っていた。そのドレスは美しかった。下がったウェストライン、ライン石色のひもでとめたシャンティリーレースがついた絹地でできていた。もうひとつはマンダリン色の絹織で、中国模様がついていた。それらはまったく似合っていた。カルロスとリデットが引き上げようとしたとき、彼女はドアの外にたったカルロスの横でこう言った。「ああ、マルガリータ、この人わたしの友達でカルロスっていうのよ。南アメリカから来たの」彼は私を見て笑ったが、何も言わなかった。彼らは行ってしまった。わたしはドアを閉めて、彼の姿に圧倒されたまま立っていた。頭はガンガンし、心は出会いに思いをめぐらしていた。自分の心から彼を追い出すことはできなかった。私に見せたそぶりは、じきに電話してくる確かな印のように思えた。しかし彼はしなかった。そのことがあってすぐ、私はドレスを取りにマドゥロスの家に行った。彼らは最後の合わせを準備していた。自分のアパートを出る前に、わたしは何かふつうでないことをするよう促す直感的衝動、勘のようなものを感じた。私は自分の名前、住所、電話番号をネヴィル ゴダールの『探求』という本に書き込み、機会があればカルロスに渡そうと計画した。リデットの家に着いたとき、予期せぬことが彼女の不意をついたらしい。カルロスがそこにいたのである(私の勘が当たったわけだ)。カルロスとリデットは話しこみ、はじめは私に気づかなかった。カクテルドレスはベッドの上にあった。私はせきばらいをして「こんにちは、リデット」と言った。彼女は驚いて振り向いたが、カルロスはただほほえんだだけだった。「カルロス、母さんが台所で手伝って欲しいそうよ」。彼が部屋を出ていくと、リデットは笑って「次は、来る前に電話してね」とやさしく言った。家族の友人にすぎないと言っていたその男に、実は彼女が望みなく恋していることを私は知っていた。彼女はそれでも気にしてないようだった。私は決して恋に落ちることはない。それだけが唯一確信していることだ。それでも私は落ち着かなかった。走りだしたかったがもちろんそんなこともできない。ドレスを試しに来たのだし、それを持って帰るはずだった。私には出なければならないパーティがあった。すると彼女は、まだ全然できあがっていない、と言った。「じゃまた来るわ、いつならいいの」−「母さんが電話するでしょう」リデットは気分を変え、うちとけて話しだした。昔のことを。カルロスやコスタリカの革命で殺された彼女の兄のことを。ドアを指して、彼女は言った。「警告するわ。彼に気をつけることよ...彼には力が」−「あんな小さい男が?、リデット彼私の肩ぐらいしかない」−「体のことじゃないのよ」ささやくように彼女が言った。「彼はあなたの魂を捕まえることができる。クランデーロだもの」−「何ですって?」−「シャーマン、魔術師よ」私は信じられずリデットを見つめた。カルロスは若々しい顔をした魔法使いのようなインディアンに見えた。「たしかに彼魔術師だわ」と彼女に合わせるように言った。とにかく彼女の言うことが信じられなかったからだ。「私のいうことに間違いないわ」「わたしの思っていることが正しいことは私知ってるの、あなたももし注意してなければわかるでしょう」自分に似合いだと思っている男を私から遠ざけようとして、驚かしているんだ、そう信じていた私は「心配しないで、リデット、わたしそんなにカルロスに惹かれているわけじゃないから」と言った。それが本当であって欲しかったが、何かが私に起こった。それが何かわからないが、私にはこれがカルロスとの最後の出会いではないと感じた。「あなた嘘ついている、ミス ラニアン」そうリデットの眼が語っていた。それから彼女は無言でドアまで私を歩かせた。私たちはちょっと立ち止まりの玄関わきの柱のところにリデットが階段に私が立っていた。するとカルロスが突然現れて、リデットの横で大きく笑った。彼の歯は真珠のようだった。「さよなら、ミス ラニアン」手を広げながら近寄って言った。私がバッグからネヴィルの『探求』を出して彼にそっと手渡したのはその時である。中には電話番号と住所が書いてある。まるでリデットの眼から遮るように腕の下にしまいこみ、彼は家の中に戻っていった。リデルはさよならと手を振った。私はバス停まで歩道を歩いた。たくさん瓶の入った買い物カートを持った老婦の横に座った。彼女は25セントくれないかと頼んだ。自分のバッグを覗いたとき、私の手はふるえた。何かがリデットの家で私に起こった。私の知らないもの、しかしそれはわくわくさせるものだった。ヴァイン通りをウィルシャー 大通りに向かってバスがゴトゴト走っているとき、街のどの明かりの中にもカルロスの顔が映って見えた。彼は電話番号を知っている。私の方からはかけない、そう自分に言った。しかし、それはなんのやくにも立たないものだった。深いところで私たちが再び会うことを私は知っていた。だから彼の顔を思い浮かべ、沈黙のメッセージをささやいた。「私に電話して」それから長く待つことになる...

 このようにして私の不思議な旅が始まった、カルロス カスタネダとの。


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以下 ミレニアプレス CARLOS UNDONE から

『無効にされた(undone)カルロス』−−−−あまり師に近寄って従わないよう警告する

                    ディヴィッド リーナム

 神話を作る

 そして犠牲の牛のようにそれを血祭りにする。
カルロス セザール アラーナ カスタネダは、9冊のベストセラー本のあとで、自分自身の太った子牛になった。この本はドン ファン マトゥスというヤキノインディアンのもとでの師弟生活を記録したものである。それはサイキック、サイケデリックそしてミスティックな旅へと多くの人々が参加するよう焚き付け、著者を金持ちにし、有名にし、一つの謎にし、また彼の追従者たちをより金持ちにし、力を与え、またたんなる変人にした。

 心の境界を超える宇宙的な旅を求める人たちの世代に送られた、この半−真実を解きほぐすにあたり、アメリカの人類学者 Jay Courtney Fikes がアカデミックなアプローチをとっている。

Carlos Castaneda: Academic Opportunism and the Psychedelic Sixties (Millenia 1993),によって、ファイクスは巨人に立ち向かっている。

 そして彼はフィールドノートとタイプライターのパチンコで、68才のゴリアテをしとめることになんとか成功している。「彼はカルロス カスタネダを殺害した」と言えるだろう。同時にファイクスはスミソニアン研究所の Post-Doctoral Fellow であるが、メキシコ、アメリカ南西部の伝来の文化に見られる宗教的経験と結びついたメスカリン様幻覚物質ペヨーテの合法性を守るために、その議論を通して汗を流しているのである。

 彼は現代西部文明におけるドラッグ文化の誕生の背景を詳述し、 ついで、30万人のネイティヴアメリカンチャーチ(NAC)メンバーの宗教的自由を保護することを本質的には取り払ってしまう1990年の物議をかもす合衆国最高裁判所決定に向かう。ファイクスによると、ウイチョルインディアンや先住アメリカ教会の実践で中心的本質的部分をなすペヨーテは、政府によって禁止されてはならない。 それが文化的意味の無知によるものであろうと、また反ドラッグヒステリーの短絡志向によるものだろうと。

 彼がカスタネダをつかまえるのはここである。この、北アメリカ人類学者の the Milli Vanili、そしてあらゆるドラッグ使用への権威主義的条件反射作用に帰着する60年代ポップ人類学の一人のリーダー。ファイクスは、カスタネダが、そして彼の同時代の軍団が、出もとも調査せずに、観念にしがみつきたがる中産階級の大学生のための麻薬注射(a fix)として、ネイティヴ精神を切り売りしたことをとがめている。押し売り、山師、ペテン師カスタネダは彼の顔をここでどろに突っ込んだ。

 そして、この20年というもの、一体何人の人間が彼の言葉をゴスペルと受け取っただろうか。長期間サイケデリックにいる者たちも、日帰りの者もカスタネダの才気溢れる本のページに興奮することができただろうし、彼ら自身、原始的シャーマニズムの溝を掘っていると想像している。

 さてこれらの物語自身の永続する価値にもかかわらず、一体どれだけの人間が彼の精神的道を辿り続けるだろうか。その道が間違った曲がり角に満ちているかも知れないと考えることなしに。ついに、カスタネダは追いつめられた。そして、ファイクスは現代の Van Helsing のように、ドン ファン マトゥス(ドン は敬意を示す呼称)、あのカスタネダが1960年にアリゾナのバス停で出会った男への忠誠心を無効にする杭を打ち込む。

 その内容の民族誌的衝撃にも拘わらず、ファイクスの本はけばけばしい暴露本ではない。それはもっと計算されたカスタネダの仕事に関する分析的な解体、釘を指すような宣告であり、哲学者の追跡にまっすぐ切り込み、あらゆる曲がり角で追いつめ、冷酷、辛辣にかかとにくいつく。

 ニューエイジのグルのファンや追随者たちはファイクスのできのよい論文に異議を申し立てるかもしれない。しかし著者が指摘するように、「我々のカルチャーが与えることのないものをいつも我々は求めている...しかし一生をかけて訓練したシャーマンと同じ経験を山に行って1時間で得ることができるなどと主張することはつまらないことである」。

 多くのカスタネダたち(UCLAの卒業生、ピーター ファースト、バーバラ マイアホーフ、ディエゴ デルガドを含む)は、自分たちのキャリアを進めるために、そしてサイケデリックを使用することを奨励するために、安っぽい探求をし、同時に、サイケデリックに頼る文化が合法的アクセスを得る能力を破壊した、これがファイクスのメッセージである。

 昨年の2月、ニューメキシコの新聞のコラムで、ファイクスは言っている。初期の頃のサイケデリックの支持者たち、また(ティモシー リアリーのような)有名人の支持によって、いうところのヤキインディアンとのメロドラマ的修行生活の話が真性の民族誌である、ということを、圧倒的多数のアカデミックな人類学者が確信するようになっていったのである。カスタネダの本当のコンタクトは、1971年に殺されたラモン メディナ シルヴァという名のウイチョルインディアンの「シャーマン」である。

 「それは起業家とか研究者が、先住アメリカ人の宗教的実践をゆがめ、平凡にし、センセーショナルなものにする道を作った」とカスタネダが先駆者となって補助した運動についてミレニアプレスの D.クリスティーは言う。クリスティーは、ファイクスやリチャード de ミル(『カスタネダの別の展開』『カスタネダの旅』の著者)や他の人たちの発見によって改宗させされた一人である。しかし彼も一度はカスタネダの魔法のドンファンから霊感を引き出した。UBCの人類学の卒業生として他の人々と同じく、シャーマン、暗い未知のもののカスタネダ年代記をクリスティーは信じるようになった。

 彼は(ダン ジョージ チーフのいとこの)先住スクウェエイミッシュ シャーマンっと研究し、カスタネダの最初に出版された、あの大成功を収めた1968年『ドンファンの教え ヤキ族の知の道』にある「先住のシャーマンの頭の中に」入り込んでいく話に魅惑された。『私はそれが素晴らしく、上手に記述されていて、ヤキインディアンの呪術師との修行生活を現象学的に説明していると思った』そして、同時にカスタネダの本が唯一出版されたその手のものだということも加えて彼は述懐している。しかしクリスティーの信仰も、1979年に『イクストランへの旅』(最初は1972年出版)を読んだことにより、懐疑へと変わる。これはカスタネダの3番目の本で、それによりUCLAの人類学博士号を取ったのだが、クリスティーはその時間順についての不一致とスラング使用に気づき始めた。『ドンファンはアメリカ流スラングを使い始めた』ヤキ族のブルホは決してそんなことはしないと彼は言う。

 ファイクスに共鳴して、クリスティーはカスタネダの調査を「文脈がはずれた調査」と呼んだが、その意味はカスタネダという人類学者が彼のインフォーマントとの出会いの状況、環境を実際に報告しているわけではない、ということである。ドンファンはいなかった。これほど多くの人たちに現実の外界を超えて何かを求めさせ、素朴さを超えた意識の拡がりに誘ったカスタネダのようなものであるととくにそうであろうが、どんなおとぎ話も寓話にすぎないということを発見するのは、見方によれば悲しいことである。

 これを読んだのち、水晶玉が砕ける。もっともその断片はいまだゆがんだ反射能力を持っているのだが。同様にカスタネダの言葉は消え去ることなく、新しい寓話の道へ横滑りする欲望に教えを提供しつづけるだろう。『アカデミックなご都合主義とサイケデリックな60年代』はカスタネダの巨大な作品への脚注であり、おそらくはあまりに近寄って師に従うことへの警告であろう。精神性の空虚さを埋めるのに前進するのは誰か、それを問うことは不適切ではあるまい。

 この記事は『ヴィクトリア リージョナル ニューズ』で公表された----水曜、8月24日、1994年


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以下 ミレニアプレス Goliath.htmlから 

『デイヴィッド対ニューエイジのゴリアテ』

D リーナムの好意による論説

「私、私、私。みんなエゴにとりつかれています。どうでもよいことですが。他の人たちがあなたに彼がしたことを言うとします。そのときあなたはこう言うでしょう。だけど私はこうしたんだ。」カルロス カスタネダは1995年のアナハイム講義でこう言う。

私たちの多くがそうであるように、D・クリスティーは彼のアイドルと座っておしゃべりしたかった。

 しかし、法律家が彼の魂の織物を論証的に解こうと試みている間、アメリカの裁判の長い影(shadow)の中で座っているということは、クリスティーがカルロス カスタネダとの時を想像した道とは別のものだったのだ。

 41才のヴィクトリアの出版人、ヴィクトリアの独立出版社ミレニアプレスの社主は、今やカスタネダその人によってつきつけられた法的行為の銃身をにらみつけている。

 クリスティーは13年間カスタネダの妻だったマーガレット ラニアン カスタネダとともに承認されていない伝記である『カルロス カスタネダとの不思議な旅』を出版した。しかしその中で、このニューエイジの祖父の名誉を傷つけたとして、5月末、18ページの召喚状が20日間の返答猶予という脅しつきでクリスティーのところに届いた。

 この著作は手厳しい宣告というよりは愛の追想に近く、カスタネダ好きなら追い払おうとは思わない詳細な背景にあふれている。マーガレットは、76才であるが、良く書いている。文化人類学者から、メキシコの呪術師の物語を発掘して、そして1960年から1973年までまたそれを超えて、現代文化の神秘にまだ辿りつく、自分の夫の上昇について語るとき、彼女は別に感傷的な傾向を見せてはいない。

 しかし「カスタネダ神話の多くは彼の親しい友人ですら彼がだれだか定かでないという事実に基づいている」こうマーガレットが書くとき、彼女は何がカスタネダのアキレス腱なのか、彼の不可視への不可能性を明らかにしている。明らかに彼は自分の伝説を曇らせるような出版物には敵対している。そうするには真実のにがにがしい浴槽にどっぷりつからなくてはならないとしても。

 結局、信じられないほどの才能にも拘わらず、読者は彼が不死身ではないという印象を持つ、そんな本がマーガレットのカスタネダ本である。商業的にこの著作は優れている。

 カスタネダは自分の印象がぼんやりしているということを望んでいる。彼の召喚文においては、その著作が合衆国での販売を禁止されるということだけが要求されているのではなく、自分の名誉のために10万ドルの損害賠償が要求されている。おまけに、彼はもし勝訴したあかつきには、これまでのこの本による利益と弁護士費用を被告側に払わなくてはならない、というのである。

 この召喚状の別のところには、カスタネダから彼の妻への手紙、『不可思議な旅』にある写真がローガン プロダクション(カスタネダが密接に関わっている)の所有物であることが主張されている。ローガンを主宰しているのは、ハリウッドのライターであるブルース ワグナー(Wild Palms)で、カスタネダの親友であり、この神秘的著者の(おそらくは公認のようなものになるだろう)伝記を書こうとしている。1995年のロサンジェルスタイムズ記事で、カスタネダはなぜ彼が撮影やテープを許可しないのか尋ねられている。

 「レコーディングというのは、時間の中にあなたを固定することでしょ。呪術師がしない唯一のことは停滞する(stagnant)ということです。停滞した世界、停滞した写真、それらは呪術との対立点ですね。」

 防弾服(bomb suit)をきたクリスティーは扇情的資料となると世間知らずではない。最近出版したJ C ファイクス『カルロス カスタネダ、アカデミックなご都合主義とサイケデリックな60年代』(1993)は文化人類学の道からそれたカスタネダにきわめて批判的であり、またこのニューエイジの父を詐欺師として、しかし途方もない騙りアーティストとして描いた。

 そしてどんな弱小出版社も爆弾に火をつける弱小出版社と同様、クリスティはマーガレットの本に突進しながら防弾服をつけることも知っていたのだ。

 「カルロス カスタネダとの魔術の旅が法的障害なしに計画された通りスムーズに行くことを確かなものとするため用心深く一歩一歩進みました。」と彼は言っている。20世紀の大きな文化的イコンの一つから法的行動がつきつけられたとき、それが彼の弱小出版帝国を終わりにするかも知れないということを認めた上で。

 「私は彼がミレニアプレスの出版事業と出版人としての私に巨大な一撃を加えたことに動揺しました。もちろん将来のカスタネダに関する本にとっても打撃です」

 しかし思い悩む時間はない。それにドンファンやヤキの見る者のような人物からの奇跡を期待する時間もない。なぜといって、カスタネダはそれらの人物をいくつかの本の主要なお飾りにしているわけだが、多くの人が述べるように、とどのつまり地上のUCLAの学生が実際精神的なマスターであったというのはごまかしだからだ。

 クリスティの弁護士は顧客には最後まで戦うよう助言した。「彼は言った。あなたは二つの論議を呼ぶ本を出版した。毅然としていなさい。」彼はカスタネダと戦う勇気を与えたくれました」

 しかしそれはクリスティが勝てる戦いであるのか?

 数日後召喚状が届いた。クリスティはあきらかにいらだった。

 「彼は何も危険をおかしていない。カスタネダの弁護士がすべての責任を引き受けるだろう」そう言うクリスティは元気の良い出版人としての彼のシャツとビジネスと信用を失う瀬戸際にいる。

 「私はたいへん注意しました。というのも私の出版人としてのキャリアが危機に瀕しているからです。また真に取材され、証拠だてられた資料を出版する権利も危機に瀕しているからです。」

 それは2週間前であった。先週ことが起こった。

 伝説を蝶番からはずすために

 インターネット経路のしぶとい噂話が交差する中でこの訴訟についての興味がパチパチ音を立てるにつれて、力のバランスは変化し始めた。

 突然、法機構の長丁場を見る別のご都合主義が登場し、カスタネダの訴訟がぐらつくなら彼に飛びかかる希望を持つ。クリスティの弁護士はカスタネダのテンセグリティ運動(とその親族経営によるクリアグリーン)を間違った広告に基づいて運営していることを展開しようとしている。

 「それらはドンファンの教えに基づくものではないという事実による」とクリスティは説明する。

 「彼は人類学者としての正体を暴かれ、ヤキのシャーマンと一緒に研究したわけでもない。[テンセグリティ]はヤキのシャーマンや呪術師から集められた修行や運動に基づいているわけではない。それは[カスタネダの]研究と仕事によって収集されたものである。これはサンタモニカに住むハワード リーという名のマーシャルアーティストとともになされたのだ。

 最近テンセグリティの追随者たちが魔法を解かれ、「だまされた」ことで泣いていることが判明している。彼らの内の一人はカスタネダが勧める訓練によって死亡したということである。

 つぶやきはクリスティを焚き付け、その嫌がらせ、プライヴァシーの権利侵害、出版の自由への権利侵害、事業妨害などで逆訴訟までいたらせた。

 皮肉なことに、前妻をだまらせようというカスタネダの法的行動は、この妻が何も腹に一物を持っていたわけではないので、彼の帝国に対する攻撃にさらなる打撃を加えるかも知れない。

 このすべてがどういうふうに法廷で映るか、その馬鹿さ加減に思い至るや、そして居丈高な愛人に対してどういう言動が寄せられるかに思い至るやクリスティは苦笑する。

−−続く


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