カスタネダ関連エッセイ


当サイトへの寄稿

T/K 氏(98/03/11)


 自尊心の問題を考えてみました。ドン・ファンは自尊心は人間のあらゆる良いものの核であると同時に、汚いものの核でもあると言っています。自尊心を二つに分けて考えるのがよいでしょう。良い方の自尊心を誇りと言い換えます。悪い方の自尊心を自損心と表記してみます。良い方の自尊心、つまり誇りはその基準が自分の中にあるのです。まわりの状況に対し、自己を律して行動することが誇りなのです。自損心はその基準が他人の中にあります。自分の考える「他人の中」です。他人が自分をどのように扱うかが自損心にとって最大の関心事になります。他人が自分をどうあつかうかを細かく気にし、喜んだり怒ったり嘆いたりします。他人に侮辱されたと感じ続ける人生をその人に強要するのです。つまり自分で自分を傷つけるものなのです。その根底の中には自己憐憫が存在します。この悪い方の自損心をいかにしてなくすかが重要だとドン・ファンは言っているのです。しかしそれは決して道徳という観点からのものではないのです。他人の対応に一喜一憂するそんなエネルギーがもったいないからなのです。そしてそのエネルギーは予想外に大きいものだと彼は言っているのです。


T/K 氏(98/11/14)

 外国のネットの話題が出ていましたが、キリスト教の家で育ち心理学を専攻し、TMやSMCや各種能開セミナーを研究してまわった(手垢にまみれた)私として最近思う事は、この手の物にあまりにイノセントな(無垢で無邪気で無防備な)人々が多いなーということです。
 なんせ玉石混合で、一つの団体や時には一人の人の中に玉と石が混じっていることが多いですよね。オウムなんぞにつかまったひにゃ人生破滅です。常に批判精神を持っていないと。ただ「信じるものは救われる」という場合もあるからややこしい。ある瞑想法があるとして、その理論づけがまったくナンセンスだったとしても真の理論がどこかにあり、効果だけはあった・・・ということもありうるわけで。あまりに批判的すぎるとその恩恵が受けられなかったりして。
 ドン・ファンが彼らの技術のもととなった古代トルテックの技術について似たようなことを言ってます。
 いわく、トルテックの呪術師達はそれが本当に意味することは知らなかった、古代の技術はあまりに複雑になっていて役にたたない、新しいサイクルを始めた現代の呪術師達はそれらを捨てて本当に必要なものを実践を通して再構築せざるをえなかった・・・。
TMというのはマントラヨガですね。瞑想法にはいろいろあって、蝋燭の炎や水晶玉を見つめる凝視法、禅のなんそ法、現代的には自律訓練法などなど。
 これらはみな無我の境地に至ると言うことを目指していて、無我の境地ってなんぞや?というとドン・ファンいわく「自分に話しかけることをやめる」こと。おおっ!なんてわかりやすいお言葉。他にも「世界を止める」とか「しないことをする」と言っているのはこのことですね。TMは意味のない1音節の言葉をとなえつづけることにより自分に話しかけることをやめる方法です。お経をとなえるのも同じですよね。ドン・ファンは正しい歩き方というのを教えています。目の焦点を合わせず(遠くを見るようにして、ついでに意識をそらすような手荷物をもたず・・・)歩き、一度にたくさんの情報が飛び込んでくるようにすると、やがて情報過多になった脳は自分に話しかけるのをやめるのです。他にも、影を実体のように見つめるとか水の流れを見るとかいろんなバリエーションをドン・ファンは持っているようです。
 それでは自分に話しかけるのをやめるとどうなるのか?集合点を現在の位置に固定しているのは理性であり言語である。それを停止すると集合点が動きやすくなるーということらしいです。集合点を移動することによる効果の考察は先に譲るとして、マハリシの御説よりずっと明解な見解です。この説だと、多重人格は、機能障害か理性の未発達のせいかで集合点を一カ所に固定できないまま各点で人格が育ってしまった人と説明できます。白痴天才も同じように何らかの原因で理性が育たなかった人がたまたま落ち着いた集合点の能力ともとれます。もっと軽度なものとしては、自分の嘘を信じ込むことができる詐欺師とか。俳優は職業としていろいろな人格になるわけで、これは逆から集合点を動かす訓練ともいえるのでは?つまりはそれが忍び寄りの技。ナワール・フリアンが忍び寄りの達人だったのは俳優だったからでしょうか。
 寝ている間は理性は働かず、つまり集合点は動きやすくなっている。動いた集合点が見させているものが夢である。逆に言えば、夢をコントロールすれば集合点の違う位置を体験することができる。それが夢見の技である・・・納得できます。カスタネダに魅力を感じるのは、彼の説でパズルがはまるようにいろんなことが説明できることです。(信じるものは救われる!?)
 集合点の動きの先にあるものは?その辺には、マズローやコリン・ウイルソンのいう至高体験などもかかわってくるのでしょうがまだよく分かりません。
 ところでついでに進化論についてもちょっと。進化論そのものはいいんですが、進化の方法には適者生存の法則しか示されていません。自然界には非常に特殊な環境で生きていたり、体の一部を非常に特殊な道具にしたりしている動物達がいます。進化論では後天的な形質(訓練で身につけた技術)は遺伝しないとなっています。すると突然変異(ほとんど有害)と適者生存だけであれほど複雑かつ精密なものを作れるのか、またそれにどれほどの時間がかかったのか。例えば、最新鋭の新幹線はノーズが長く、へら状になっています。これはトンネルに入る際の気圧の衝撃を和らげる為です。これらは人間が風洞実験をし、理論づけをし、設計をし、工場で造ったから存在するのです。もし、新幹線が生物であの形態が生存に不可欠だとしたら、いったいどのようなシステムとどれだけの時間がその形態形成に必要なのでしょう。本当に生存に不可欠だとしたら、とっくに滅んでいるのではないでしょうか。
 形態形成場、ライアル・ワトソンのいうコンティンジェント・システム、集合的無意識、なんだか分からない意志の力がそこにはあるような気がしてなりません。


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