| シンタックスを越えて−意識の暗い海を通っての旅 |
20世紀にメキシコで起こった悲劇、北のソノラ砂漠にいたヤキインディアンが政府によって弾圧され、土地を追われ、中央、南メキシコのさとうきび畑などに強制移住させられた。ドン ファンはその戦いの悲劇について話していた。私の好物だったので、彼は何かたくらんでいると思った。 これまでしてきたこと、友人たちから回想をはじめ、破壊点に到達し、十分に 内的沈黙 を蓄えたこと、それは私が 意識の暗い海を通っての旅 へと準備ができたことだと言った。そして私の住むアパートに彼が来て、急ぐように無限からの命令を伝え、私がドン ファンに会いに、とある町へ言き、 無限 の要求を達成したと伝えたことについて話した。すべてあれは夢だったのか。 ドン ファンは、それらは今ここで彼と話しているのがリアルであるのと同じように現実のことだと言った。私はそういう出来事を分類することは西洋人にとっては不可能であり、あの出来事を幻覚 dream -fantasy と言うのも間違っているような気がするから、ドン ファンの言葉で言えば 夢見ること dreaming がかろうじて説明できるのではないかと言った。 しかしドン ファンはそうではないと強調した。そして新たに夢見を定義した。夢見ることは、 意識の暗い海 との接合点を変化させる行為である。それは不可能なことではないし、神秘的なことでもない、それに対して、あの町で出会ったことはもっと直接的で神秘的なことだと言った。 ドン ファンによれば夢見ることと言ってしまえば、それは力の行為を弱め、恣意的な印象をもたせ、幻覚のように感じさせるということである。 夢見ること は普通の夢を変容させ、 夢見の注意力 dreaming attention によって別の 知覚 世界に入っていく、古代メキシコの呪術師たちによって発見された技 art である。 夢がなんであれ、そこで現れる要素に注意力を固定するようにドン ファンはこれまで私を訓練してきた。このとき彼は呪術師たちが 夢見ること の起源と考えていたものを説明した。つまり集合点の置き直し displacement である。夢の中で集合点が移動することは普通に起こるのだが、この置き直しを 見る ことには攻撃的な気分がある。これが古代メキシコの呪術師たちのお気に入りの気分だった。この気分によって、彼らはすべてのものを発見したということだ。
その自然からすれば我々は捕食者なのだから、この気分が捕食的気分であり、夢見ることのうちではまるで猫科の動物が獲物に襲いかかるように、対象物に到達する、しかも完全に無関心な状態でである。 この話に力があったのか、このとき、私の筋肉はエネルギーにあふれ、攻撃的になり、 夢見 dreaming の訓練では私は誰かの後を追っていた。誰でもよかったのだが、ともあれ意識しうる力によってその誰かを発見した。私は誰であるのか知らなかった。しかしその人物を 見ている、ドン ファンがそばにいると感じた。体験したこともない何とも言えない距離感だった。彼が男だとわかったが、どうしてわかったのかがわからない。エネルギーのボールが多少平たく横に拡がっていたので、寝ていることがわかった。 それから右肩胛骨の後ろにあるべき集合点が、右下側に動いているのを見た。それはじっとしていなかった。気まぐれに動き、突然通常の位置に戻っていた。私やドン ファンが居ることによって彼が起きたことがわかった。そしてもといた場所で私は目が覚めた。 ドン ファンはそれから 夢見る者 と 忍び寄る者 について話した。 夢見る者 は集合点を移す displace ことを容易に行い、 忍び寄る者 は移した集合点を固定し、維持する maintain のに造作もない。輝く領域には少なくとも600個の点があるが、そのどの点に移動し、固定してもこの日常の世界と全く同じようなリアルで、しかし異なる世界を知覚するのである。 集合点には付随して何億ものエネルギーフィールドが終結し、それらが日常生活とは違った領域のものなのだから、集合して解釈されたものもまた日常的世界とは異なるものとなる。呪術とは、 意識の暗い海 との接触点における焦点を変えることを目的とした集合点の操作と言える。 するとドン ファンにとっては、この日常的世界は少なくとも600個の檻を構成する全体的世界の中の一つの檻にすぎないということになる。人が寝ているときに 夢見 の中でなされることと、 内的沈黙 の中でなされることとはよく似ている、とドン ファンは言った。 意識の暗い海 への旅をしているときには眠りや夢のときに人の注意力をコントロールするときの遮断は存在しない。 意識の暗い海 の旅は直接的な反応である。そこにはここと今の圧倒的な感覚がある。ドン ファンはこの旅を 眠りながらの覚醒 dreaming-awake と呼ぶ呪術師がいるが、それは馬鹿げたことだと言った。 あの町に行ったことを私が夢−幻覚 dream-fantasyと呼ぶのも間違いで、それは直接的な体験であり、しかも意識の暗い海はそのために必要なことをすべて供給し、かつあの場所を選ぶための意志的な方法は存在しない、とドン ファンは言った。その場所を選ぶのも 内的沈黙 なのだ。それは厳密に言えば 無限 の導きにたいするエレガントな同意である。この微妙な選択において大胆さ、強さ、冷静さ sobriety が必要となるのである。 私はドン ファンの説明が明晰だと思ったが、しかしこの身体と精神であの町に行ったということがどうしても信じられなかった。ドン ファンは体験を通して味合うように、また心はこのすべての刺激を受け取ることができないと言った。 「ぼくに何を望んでいるんだい、ドン ファン?」私はたずねた。 「この 意識の暗い海 の旅を慎重にしなくてはならんということだ。だがどうやってなされるのかは決して知ることができないだろう。こう言おうか。 内的沈黙 が説明できないやり方でそれをするのだ、と。理解することはできず、ただ実践するのみの方法だ。」 こう言うとドン ファンは 内的沈黙 を産み出す姿勢を私に取らせた。いつもなら即座に寝てしまうのだが、このときは私は自分が歩いているのに気づいた。私たちはヤキの町を歩いていた。その町は現実に存在し、何度か行ったこともある。その町の住人はよそ者に対して敵対的で受けつけなかった。ただヤキの農夫から作物を買っている銀行の調査員だけが自由に出入りできた。 たくさんの人が何か言い争っているようだった。何を言っているのか理解できなかったのだが、何を言っているのか理解できないと考えた途端、物事が非常にクリアになった。どうやってか知らないが、彼らの言ったことがわかった。まるで私の心が彼らの思考パターンをつまみあげているかのように。 そのことよりもむしろ彼らの言っていることの方がショッキングだった。彼らは大変好戦的だった。自分たちに戦いは不利に進んでいて、彼らには近代兵器に対して石と棒しかないこと、カリスマとなるようなリーダーがいないこと、そうしたリーダーを待ち望んでいるということだった。しかしまたそんなリーダーが現れたところでどうせ嫉妬と羨望によって彼は裏切られるだろうなどというシニカルな意見もあった。 私はドン ファンに何か言いたかったが、一言も発することができず、ドン ファンの方が口に出した。そういう態度はヤキだけの問題ではなく、これは人間がひっかかる罠のようなもので、しかもそうした状況は外から課されている、というものだった。ドン ファンと私は彼らの輪のど真ん中に居たが、彼らはその仕草からして全く気がついていないようだった。 次の瞬間私たちはメキシコのある町にいた。そこは鉄道のそばにあり、ドン ファンが住んでいたところから東に1.5マイルほどのところにあった。私たちは政府銀行がある通りにいた。するとこれまで見たことのないような奇妙なものを見た。私は宇宙を流れるエネルギーを 見て はいたが、人間が玉とか長方形のように 見えていた わけではない。 まるで私たちが透明であるかのように、そしてその中に虫のような核があるハローのように見えた。しかしその核には骨格がなく、アルファベットの大文字のTのようなものが中心となり、逆さになったLがギリシャ文字のデルタΓのようにこのTからつりさがり、Tの一番下までのびていた。そのTの上に1インチぐらいの直径のひもが輝く領域に入っているのが見えた。 ドン ファンによれば古代メキシコの呪術師たちはこのひもについて糸に通したビーズからできているカーテンのようなものだと述べている。私が見たひもはエネルギーフィールドの丸い形をペンダントのように見せていた。目にするどの生き物も幾何学的パターンを持っていて、その上から輝く領域にひもが侵入していた。ちょうどそれは私たちが日の光に半ば閉じて見るとき見えるような節足動物のような形を思い起こさせた。 ドン ファンと私はその町を端から端まで歩いた。しかし幾何学状のパターンを見るかと思えばまた通常の形になるというように安定しなかった。じきに疲れてしまった。ドン ファンはもう時間だと言った。気がつくとドン ファンの家にいた。私はこれらの記憶については、それがあまりに詳細なので確かに夢の幻想だとは思わないが、しかしリアルである、ということについてはまだあり得ないことだと思った。 ドン ファンは笑って言った。「どうやってこの家からヤキの町に行き、そこから鉄道駅に行き、そこからまた家に戻ったか、それを知ることは決してできない。時間の連続が破れた。これは 内的沈黙 がすることだ。」 彼が説明したところによれば、この世界を理解可能にしている連続性 continuity の流れを中断することは呪術である。その日、 意識の暗い海 を通って私は旅したのであり、人々をあるがままに 見、人々のやること business に関わったのであり、人間の特殊な線を結ぶエネルギーのひもも 見たのだと指摘した。 ドン ファンは何度も繰り返した。私は彼らの言語を知らずに何を言っているのか理解したし、人間を別の存在に結びつけるエネルギーのひもも 見た し、そのような光景を 意図 することで選択したのだ、と。 「私がした 意図すること は意識的でも意志的 volitional でもないという事実を彼は強調した。 意図すること は深いレベルで行われる。それは必然性によって統制されている ruled。 意識の暗い海 を通しての旅が可能であること、それを私は理解する必要があり、私の 内的沈黙 は 意図 という宇宙の恒久的な力を導き、この作業を完遂するのである、と。」 |