| シンタックスを越えて−地平線上のエネルギーの交錯 |
案内者があまりにも明晰だったせいか、その後の回想はいやましに明晰になった。しかし私は思い出すことには何ら興味を持たなくなっていた。集中できない 要約 はたんに義務的にするようになった。しかし練習しつつ、回想能力はするどくなった。この集中力は名づけようがなかった。実際に体験したときよりももっと強くせまってくるものだった。 オレゴンのカレッジでレクチャーしたときのことだった。そこの学生たちが一晩寝場所を提供してくれるというので、同僚と一緒に泊まりに行った。彼らは私たちを田舎の一軒家に連れていった。私は一緒に話をするのだろうと思っていたのだが、学生たちはさっさと寝てしまった。小さな家だったが、居間は広く、中二階に寝室があった。床は鏡張りで、赤く照らされていた。 ベッドが一つしかなく、寒い晩で、しかも友人は風邪をひく寸前という状態だったので、私は寝場所を探さなくてはならなかった。そこで薄い敷物と大きなフレンチプードルのなめした皮をみつけた。あきらかにそれはこの家の住人のペットだったものだろう。大きな目を舌を出した口がついていた。ひざにプードルの頭をのせ、首のところに脚がくるようにして私は寝た。が膝にプードルの頭がぶつかる状態で寝られるわけがなかった。 そのとき、私はドン ファンが案内者と呼んだ出来事を思い出した。しかしこのときはドン ファンの助けはなかった。ドン ファンと会う何年か前、ビルのペンキ塗りをしていたことがある。ブライダル用のレンタルショップのビルを塗ったときのことだった。 ルイギというボスと一緒にビルの屋上から足場を下げて塗り始めた。しかし彼の塗り方が突拍子もなく、足場が揺れるせいで私はめまいがした。口実をもうけて、屋上に戻ろうとした。壁の端をつかみ、ひょいと飛びうつるつもりだったのだが、つま先が足場にはまってしまって、動けなくなった。脚をひっぱろうとすると逆に足場が遠のいた。ルイギは私を助けるどころか屋上から足場をつるしたロープにしがみついていた。 私は13階の高さから落ちる気はなかったが、ルイギはもうダメだから、最後に魂のために祈ろうと言った。私はそのかわりに助けを求めて叫んでいた。実際には20分ばかりそうしていただろうが、消防士がやってきて、私たちは救出された。暑い日で屋上のタールの匂いがひどく、彼らが私を温かく黄色い部屋に連れていく幻覚を見た。 また数人で会合していたとき、突然息ができなくなって思い出したことがある。それは高校生活の最後の年のことだった。友人と通っていた道に高くて棘のついたフェンスのある建物があった。そしてその中に獰猛なジャーマンシェパードがいた。私たちはよくその犬をからかっていた。友人はその犬を手なづけるか、それとも怒りにかられて犬が心臓発作で死んでしまうかどっちかだと言って徹底的にからかっていた。 ある朝、いつものようにその家の前を通りかかると、犬は芝生の向こう側で何かしていたので私たちはゆっくりと通り過ぎた。ところが私の目のすみでその犬がフルスピードでこちらに走ってくるのが見えた。犬はフェンスの手前6,7フィートのところで飛び上がった。私はフェンスの切っ先で犬の腹が裂かれると思ったが、なんと犬は飛び越えて、通りにころがった。しばらく気を失っていたが、その後猛然と私たちに向かって走ってきた。こともあろうに、友人の方ではなく私に向かって襲いかかってきた。私は車の上に飛び乗り、また一本の細い木の上によじ登った。 なんとかつかまらずに済み、今度は友人を探しに行ってしまったが、犬の牙は私の尻の肉をたしかにかじり取っていた。私は学校の保健室で狂犬病の注射を受けるよう言われた。それは腹の皮下に打つもので、看護婦は最悪の敵にも打ちたくないほどひどく痛い恐ろしいものだと、脅かした。私は看護婦から言われた症状をチェックしているうちに、絶望的になり、たとえどれほど痛くても、その注射を打ってくれとヒステリックにわめいていた。実際には狂犬病ではなかったのだが、完全にコントロールを失っていたのだ。 二つの記憶をドン ファンに話した。実際二つの記憶ともまるで私がそこで体験している かのような なんてものではなく、まさに体験していた。そしてもはやそれに耐えられなくなると、今の生活に戻るというふうであった。それはまるで未来へのジャンプのようだった。私は時を越える力を持っていた。過去へのジャンプは突然のものではなかった。出来事は記憶が進むにつれて展開していった。そして最後に私は突然未来の中へ、つまり現在の生活へジャンプしたのだ。 「確かにおまえの中の何かがこわれつつあるんだ」そうドン ファンは言った。「それはずっとこわれてきたんだが、支えがきかなくなるたびに、すぐに修復してきた。わしの感じでは今は全面的にこわれつつある。」 長い沈黙のあと、ドン ファンはすでに私に言ったことを繰り返した。古代メキシコの呪術師たちは、二つの心があること、そのうちの一つだけが本当に私たちの心だと信じていた。そのうちの一つはいつも沈黙している。なぜなら他の部分からの圧力で表現することができないからだ。ドン ファンが語ったことがなんであれ、その説明は、おそらく脳の右側部分への左側の支配を説明するためのメタフォリカルなやり方だと受け取った。 「 要約 には秘密の選択がある。」ドン ファンが言った。 「死ぬことには呪術師だけがもつ秘密の選択があることは前にも言ったろう。それと同じだ。死ぬ場合の秘密の選択ってのは、人間がその生命の力をとっておき、その生命の生産物である意識を手放すってことさ。要約の場合は、呪術師の秘密の選択は自分の本当の心 mind を高める enhance ことを選ぶってことだよ。おまえにつきまとって離れない記憶はおまえの本当の心から来る。他の心ってのは安っぽいモデルだな。すべてに調子を合わせる経済的な強さがあるが。しかしこいつはあとで話そう。」 「今問題なのは解体する力がやって来ているってことだ。しかしおまえを解体するんじゃない。そういうことではない。呪術師たちが 見知らぬ装置 foreign installation と呼ぶもの、おまえや他の人間にあるものを解体するってことだ。この見知らぬ装置を解体するおまえに降りてくる力は、呪術師たちを彼らの文法 syntax から引きづりだしてしまう。」 「おまえの生活のこの面を扱うことが至難の業だというのはわかるよ。わしが知ってる呪術師の誰もがこのことを体験してきたんだ。男は女よりはるかにダメージを受ける。比較的耐えられるってのが女の状況だろう。古代メキシコの呪術師たちはこの解体する力の衝撃を支えるのにグループで行動していた。だが今となってはそういう手段がない。だからこの力と孤独の中で対面する腹を決めねばならん。それはわしらを言葉から引き離してしまう。何が進行中なのか正確にあらわす方法がないんだからな。」 ドン ファンによれば、もっとも卑近な状況で呪術師たちはこの未知なるものと対面するということである。知覚できないものを解釈することができず、彼らは導きとなる糧を外部に求めなくてはならない。それが 無限 と呼ばれた。あるいは 精霊の声 the voice of spirit である。そしてもし呪術師たちが合理化できないものを合理化しようとしないならば、 精霊 は何が何であるかを私たちに告げるだろうというのである。 無限は声を持つ力であり、それ自体を意識している。従って、ドン ファンはこの声に耳を傾けるように準備させ、いつも効果的であるように、無条件に、このアプリオリなものを手すりにして耳を傾けるように準備させたのである。しかし私の回想の意味を告げるべきはずのこの精霊の声を辛抱強く待っていたが、何も起こらなかった。 ある日、本屋にいたとき、背の高いやせた女の子に気づいた。突然私の中でアラームが鳴ったかのように、まるで過去の出来事のように、完全に忘れていた出来事をなんら意志することなく思い出した。私は8歳ぐらいだったろうか。祖父が話していた。私にはアルフレドとルイスという同じ年頃のいとこが二人いたが、祖父はこんなことを言ったのだ。 アルフレドはパーティ会場になんの紹介もなく入っていける。彼は美しい。だれもが美の信者なんだから彼の前には前途洋々たる道が開けている。人々は美しい人間を嫉妬するが、所詮は美を探し求めているし、その上、そのような顔立ちには恐れさせるものもない。アルフレドは勝者であり、ゲストの一番であり、心配なのは馬鹿者になってしまうことだけだ。それに対してルイスは親しみやすくちょっと馬鹿だが、金のような心を持っている。アルフレドは美しく、ルイスは善良だ。 それに対しておまえはどちらでもない。誰もおまえをパーティには呼ばないだろう。もし呼ばれもしないパーティに行ったらぶちこわすだけだ。アルフレドやルイスに開かれている未来はおまえにはない。 そんなことを祖父は言った。私はその決定的な言葉に涙ぐんだ。その上もっと有害な忠告もした。窓からパーティに忍び込む以上わくわくすることもない。そうするには賢くなくてはならない、と。しかし際限のない屈辱のために準備していなくてはならない。だれも歓迎していないのだから、そこに居続けるためにはみんなを所有してしまうしかない。叫び、要求し、忠告し、おまえが何か義務を遂行していると思わせることが必要なんだ、と祖父は言った。 私はこの回想について考える間もなくまた次の記憶に入って行った。それは婚約していた女性とのことだった。そのとき私たちは結婚し、生活するための金を貯めていた。私は共通の小切手を使うよう要求していた。彼女に倹約を教え込んだ。どこで服を買い、上限がいくらだの、そんなことまで決めようとした。さらには、彼女の妹が家から引っ越し一人で住むと言い出したときには、彼女に教えていた車の運転の練習を取りやめると脅かし、彼女の父親がオレゴンに引っ越すことを計画していると知るや、損失がどれぐらいになるか想像し、声高に引き留めたりもしたのだ。 自分の意志をまわり中に押し通そうとしていたことになる。見境もなかった。誰であれ近づいてくる者を所有し、鋳型にはめ、自分のむら気に従わせていた。 この記憶について考えることもせず、ただ、外部からやってくる声が聞こえた。それはこう言っていた。私の弱点とは、いつも監督の椅子に座っているような男でなくてはならない、という観念だと。義務を負っているばかりか、あらゆる状況をコントロールしなくてはならない、ということだった。この衝動が教育で強まり、はじめは恣意的だったが、成長するにつれて、必然的なものになっていったのだ。 疑いもなく、 無限 が問題になっている、そう思った。ドン ファンの話では無限は呪術師の生活に思慮深く介入するものだそうだ。それら忘れていた体験の記憶を通して、コントロールへの私の衝動の強さと深さを無限が指摘し、かつ何か自分を越えたもの something transcendental to myself へと私を準備させていた。 「私は驚くべき確実さで知っていた。何かが私のコントロールされてあることの可能性にとっては傷害となっていることを。そして何よりも来るべきものに直面するために私に必要なのは冷静さ sobriety、流動性 fluidity、放棄 abandon であることを。」(172) 私はこれらのことを全部ドン ファンに話した。子細に検討した思索も加えて。ドン ファンは笑った。「こういうことはみんなおまえの側の心理学的誇張、身勝手な考えにすぎんよ」 「いつものように、おまえは直線的な原因と結果の説明を求めている。思い出すことはますます生々しく、気も狂わんばかりになっている。前にも言ったが、後戻りできない道にはまりこんでいるんだ。おまえの本当の心が現れそうになっている。生涯眠っている状態から起きあがったということだ。」 「無限はおまえに要求している。」彼は続けた。「そえが使う手段がなんであれ、そのこと以外に他の理由とか原因とか価値とかはない。だがおまえがするべきことは 無限 が襲ってくることに準備するってことだ。いつも圧倒的な一撃にそなえて腹をくくっておかにゃならん。その正気で冷静なやり方で呪術師は 無限 に立ち向かうんだ。」 私は何かが確かにやってくることを恐れていた。 私は多量にものを書いた。書いては捨てていた。というのは無限 によって受け取られる何かの印としてドン ファンが述べた不可欠の要求を満たすことができなかったからだ。 期待や失敗への恐れ、希望とか成功とかそういうものからいつでも自由になって行為しなくてはならない、そうドン ファンは言っていた。 私 への信仰からも自由になり、無限の衝撃へと開かれていなくてはならない。 ある夜、私は机に座り、いつものように書いていた。ちょっとの間意識が朦朧とした。いつもより早く起きたのでめまいがするのだろうと思った。私は黄色い点点を目の前に見ていた。また大きな赤い点を見た。この視覚の変容を止めようと深呼吸した。と自分が暗闇に取り囲まれていることに気づいた。私は気を失うのだなと思った。しかしその暗闇の内側から自分を取り囲んでいる椅子とか机とかなんでも感じることができた。 ドン ファンによれば、彼の系統の呪術師にとっては 内的沈黙 によって切望される結果はある特定のエネルギーの交錯 interplay なのだそうだ。それには激しい情動が前触れとなる。私の回想は私を動揺させ、やがてこの交錯を体験させるはずだと彼は感じていた。 その交錯は日常の世界にある地平線のどこにでも投影される色によって、現れる。この色の交錯は地平線の上にラヴェンダー色のかすかな一捌けから始まり、その一捌けが拡がり、ついには嵐の雲のように地平線を覆い尽くしてしまうという。そしてラヴェンダー色の雲から放たれたように特殊なザクロのような赤い点が現れる。呪術師がもっと経験を積むと、ザクロの点が拡がり、思考やヴィジョンのなかへはじける。物書きの場合には書かれた言葉の中へはじけ、呪術師は言葉として声に出される思考を聞き、書かれた言葉として読むことができる。 その夜わたしはラヴェンダー色など見なかったし、拡がる雲も見なかった。そういう訓練を積んでいないからだと思った。しかしザクロ色の点は巨大なものが見えた。この巨大な点がバラバラの言葉にはじけ、私はそれがまるでタイプライターから一枚の紙に出てくるように、その言葉を読んだ。言葉はあまりに早く動くので、何も読みとることはできなかった。 すると何か言っているような声がした。その声のスピードがまた私の耳には早すぎた。何を言っているのか全く聞き取れなかった。それで終わりではなく、たらふく食べたあとに夢見るような肝臓色にシーンを見た。私はくるくる回り、胃のあたりがおかしくなるまで回った。この出来事がそこで止んだが、身体中の筋肉が消耗してしまった。そして精神的にはこの暴力的な出来事にいらついた。 すぐにドン ファンの家に駆けつけた。これ以上助けを求めたときはなかった。 「呪術師や呪術には優しさなんてないな。そういうやり方で 無限 がおまえに降りてきたのは初めてだ。それは電撃みたいだろう。完全に力をしぼりとっている a takeover of your faculties。 おまえのヴィジョンのスピードについては自分でそれに合わせるようにしろ。ある呪術師にとってはそれが生涯の仕事になる。しかし今からは、映画のスクリーンに映し出されるようにしてエネルギーがおまえに現れるだろう。」 「この映し出しについて理解してるかどうかはどうでもいいんだ。わしが忠告するのは、ただ恥じらいを感じないってこと、今始めなくてはならんということだ。壁の上のエネルギーを読んでみろ!おまえの本当の心が現れている。そいつは 見知らぬ装置 foreign installation じゃないぞ。本当の心がスピードに合うようにするんだ。何が起ころうとも、沈黙して、いらつくな。」 「でもドン ファン、こんなことが本当に可能なの?まるでテキストのようにエネルギーを実際に読めるの?」私はその考えに圧倒されて尋ねた。 「もちろん可能だとも! おまえの場合には可能なばかりじゃない。起こりつつあるんだから。」 「でもなぜそれを、まるでテキストのように読むんだい?」私はこだわった。しかしそれはレトリカルなこだわりだった。 「おまえの方の感じ方なんだよ」彼は言った。「もしテキストを読むのであれば、それを一語一句詠めるだろう。ところがもし 無限を読む者 のかわりに 無限を見る者 になろうとするなら、何を見ていようと、見ているものを記述することはできないことがわかるだろうし、目撃したものを言葉にできずに、むなしいおしゃべりに終わるということもわかるだろうよ。それを聞くにしても同じことだ。もちろんこれはおまえにとっては特別だな。ともあれ、 無限 は選ぶ。 戦士−旅する者 はたんにその選択に同意するってことだ。」 「だがとくに、言葉にできないからって起こることに圧倒されてはだめだ。わしらの言葉の文法 syntax を越えている出来事なんだ。」 |