序 文



 ドン ファン マトゥスはまるで日常的な事柄のように、ほんのついでに思いついたというふうに記憶すべき出来事を集めてみるよう示唆した。古代メキシコのシャーマンにとって、記憶すべき出来事の集成は使われていないエネルギーの再配置 redeploying の手段だったと言える。
 知覚による未知への突入のためには、記憶すべき出来事の集成が情動的エネルギー的適応のための手段である。全体的な目標は 決定的な旅 =死に直面する準備であり、そこに入り込む準備として生活の記憶すべき出来事を集める。この領域を 無限の能動面 とも呼ぶ。

 ある日の午後、わたしはドン ファンの家を訪ねた。暑い中ずっとドライブしてきた私に彼は「太りすぎている」と指摘した。いらついたので背中を家の薄い壁に叩きつけたが、その衝撃は家の土台まで揺すぶってしまった。

 ドンファンがいうにはその家は魔術の中心であり、私のために住んでいるということであった。私は二重のエネルギーの形(二つの輝く卵)を持っているということだった。ナワールは自分と同じ人間を捕まえ、系統を維持しようとする。

 ドン ファンは私のコレクター精神をからかうが、どうせ集めるならば、特別なアルバムを、つまり記憶すべきことのアルバムを作るように言った。それは自分の道を照らしだすようなもので「個人的ではない impersonal が、それでも極端に個人的なことだと言える。」

 この記憶の行為はたんなるありきたりのものと考えてはならない。私は動揺し、容易に認めるわけにはいかなかったが、この心の動揺についてドン ファンは二つのことを区別していた。「ひとつは完全にわしらのもの、そしていつも命令 order とか方向 directness とか目的 purpose を持ってくるかすかな声のようなものだ。他のほうはよそからの任命 foreign installation だ。それはわしらに争い conflict や自己の確認 self-assertion 疑い doubt 希望のなさ hopelessnessを持ってやってくるんだ。」

 ドン ファンにしてみれば、記憶すべきことを集めるというのは戦いである。「このアルバムを戦いの行為 act of war と考えろ。」 二つの心とは、一つは「本当の心」「生活の経験の産物」であり、うち負かされ、暗がりの方に追いやられている。もう一つは「することすべてのために」いつも使っている心であり、よそからの任命 foreign installation」と言われていた。

 そしてこの二つの心の争いを解決するために、呪術師は 意図すること intending 意図 intent を招き寄せる。意図 intent は宇宙に実在する力 force である。この 意図 intent がやってくるのは抽象的な abstract もののためだけである。しかし個人にとっては生き生きしたもの vital でもある。

 ドン ファンは生活上で記憶すべきことがらをあげてみるように促していた。しかしこの戦いの行為は相当に難しい。「何を選ぶのかを知るためには10回は自分を作り直さねば remake ならん。」私はなんどやってもだめだったのだが、それでもある日、生活上で記憶すべき出来事を探せという絶対的命令を身体の震える感じとして受け取った。

 UCLAの大学院に受かった日のこと、ケイ コンドール Key Condor とほとんど結婚しそうになった日のことなどを私は思い出した。ケイは結婚式の当日、わたしの前に姿を現さなかった。しかしこの二つの出来事についてドン ファンはまったく関心を持たなかった。「その話は考えたり感じたり泣いたり何も感じなかったりする人間 person としてのおまえに関わっているだけだ。シャーマンのアルバムの記憶すべきことっていうのは時の試練にも耐える事柄だぞ。なぜってそういうものは彼には何の関わりもないし、それでも彼はその真っ直中にいるんだ yet he is in the thick of them。 彼はいつでもその真っ直中にいるだろう、生涯を通してそうだし、たぶん生涯を超えて、だがまったく個人的にではなくだ not quite personally。」

 ドン ファンがそういっても私にはわけがわからなかった。しかしドン ファンは個人的ではないものにこだわっていた。わたしはもしかしたらこれかもしれないという思いで子供時代のことを話してみた。私の年長のいとこは死体を見せに私を病院の安置所につれていってくれた。そこでいきなり死体が動いたのだ。しかしこの話をドン ファンの気を引くことはなかった。それは単なる恐怖の話だというのだ。今度は知っていた高校生の話をしてみた。彼は心臓疾患で死んでしまったのだが、印象的だったのは葬儀屋が彼の巨大な体を切り刻んで棺桶に入るようにしていたことだった。この話もまた少し近づいたという評価を得たものの、ドン ファンが目指していたものではなかった。

 そこで親友の金持ちのロイの話を思い出した。彼はカリフォルニアで一番の金持ちになれたかもしれない男だった。が、健康を損ねて死んでしまった。ロイの奥さんは盛大な葬式を出そうとし、特注の豪華な棺桶を注文していた。私は葬式に出ることはなかった。やり場のない怒りと無能感が極度に高まったとき、私はその場を立ち去った。「今日のおまえは確かに病的だ。」ドン ファンが笑いながら論評した。「だがその代わり、というか多分そのせいで、もう少しのところにいる。ほとんど触っているぞ。」

 そう言われても私には皆目見当もつかず、いいかげん投げ出しかけていた。するとドン ファンはヒントをくれた。『鏡の前の姿』の話をもう一度してみろ、というのが。思い出せる限りこまごましたところも全部。

 それで私は話しだしたが、やはり彼を満足させることができなかった。すると散歩に行こうとドン ファンが誘ってきた。そのおかげかどうかわからないが、私はすみずみまで話を思い出すことができたのである。

 何年か前、イタリアの美術学校で彫刻の勉強をしていたとき、スコットランド人の男と親しくなった。彼は自称全方位的知識人かつ職人だった。とはいえ誇大妄想の気があった。何もしないで労働を憎んでいた。その疑わしい専門分野は美術批評というより、その辺りの売春宿にいる売春婦の個人的知識だった。彼の話によると、一軒の売春宿で信じられない女を見つけたのだが、その女が「鏡の前の姿」という信じられないことをしてくれた、というのである。

 この信じられない出来事を個人的に体験するのが私の義務であると、ほとんどどもりながら彼は何度も説得した。エディはその街の郊外へ車で私を連れていった。薄汚れた手入れの悪い塗装の剥げたビルの前に止まった。かつてはホテルで、それからアパートに変わったらしいその建物の三階の112号室が問題の女の部屋だった。

 ドアが開き、丸々した漂白ブロンドの女が出てきた。エディは彼女に挨拶すると出ていってしまった。彼女は赤い絹の上っ張りを着て、皮の球を上につけた赤いスリッパを履いていた。「英語は話せるの、坊や?」まるで私が耳の聞こえないかのように言った。「エジプト人かトルコ人のように見えるわね。」私はどちらでもなく英語を話すことを納得させた。彼女は「鏡の前の姿」というのを想像できるか、と聞いてきた。私はなんと答えたらよいのかわからず、ただうなずいた。

 窓は分厚くカーテンがかかっている。「これは私のアンティサラ antisala ね。ここであなたを熱くさせるわけよ。」彼女は赤い上っ張りを落とし、スリッパを脱ぎ捨てた。そして両側の壁に立てかけた二つのタンスの観音開きの扉を開いた。その扉の内側一面には鏡がつけてあった。  「さあ音楽の始まりよ、坊や。」とマダム ラドミラは言い、ピカピカしたヴィクトローラ蓄音機についているクランクを回した。彼女はレコードを乗せた。その音楽は忘れられないメロディーで、サーカスの行進曲のようだった。

 マダム ラドミラの肌は引き締まっていたが、若くなかった。40代後半だったに違いない。彼女の腹はそれほどでもなく少したるみ、その豊満な胸もそうだった。彼女は黒いマスカラを分厚くしていた。それでも何か彼女には子どものようなところがあった。  「さあ、鏡の前の姿ね。」マダム ラドミラは音楽が続いている内に知らせた。  「脚、脚、脚!」音楽とともに空中に一本の脚を蹴り上げ、また別の脚を蹴り上げながら言った。  「ターン、ターン、ターン!」コマのように回りながら彼女は言った。  「突き出し、突き出し、突き出し!」カンカンダンサーのように裸の後ろ姿を見せながら言った。

 ヴィクトローラのバネがゆるんで音楽が消えるまで、彼女は一連の場面を何度も何度も繰り返した。音が消え入るにつれ、私はマダム ラドミラがだんだん小さくなって遠くの方に回り去ってしまうのではないかと感じた。私の知らないある種の絶望と孤独が自分の存在の深いところから湧き上がり、そのために起きあがって、部屋から走り去った。私は狂ったように階段を駆け下り、建物の外に、通りへ出た。エディがドアの外に立ち、薄い青のスーツを来た二人の男と話していた。私が走り出るのを見て、彼は大笑いしだした。「あれはすごかったろう!」彼はまだアメリカ人のフリをしていた。「鏡の前の姿は前戯にすぎないんだ、なんてこった!なんてこった!」

 この話がドン ファンによると「記憶すべき出来事のアルバムに入れるべきものだった。私はたんにこの話が悲しいものだと思っただけだった。しかしドン ファンはそれについては友人に感謝すべきだとさえ言った。

 「そいつは確かに悲しい話さ。おまえの他の話と同じように。」ドン ファンは答えた。「しかしな。わしにとってそれが他のものと違って記憶すべきなのは、それがわしらすべての人間に触れてるってことだ。他の話みたいにおまえだけのものじゃない。わしら誰でも、若かろうが、年寄りだろうが、どういうやり方にせよ、マダム ラドミラのように鏡の前の姿を作っているんだ。人々についておまえの知ってることを数え上げてみろ。この地上のあらゆる人間たちのことを考えてみろ。そうすれば何の疑いもなく、誰であろうと、自分を何だと思っていようと、また何をしていようと、彼らの行動はいつも同じだってことがわかるだろう。鏡の前での意味のない姿なのさ。」

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