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「シーシュポスの神話」は、非常に内容が濃い本で、引用して考究することが難しいものです。しかし、私がどんな魅力を感じたのか、それは書きとめておくべきでしょう。簡潔にカミュの論旨が表れているのは、以下でしょうか。
「ぼくは明証的事実によって目覚め、この論証をはじめたのだが、その明証的事実にあくまでも忠実でありたいと願っている。その明証的事実とは不条理のことだ。欲望する精神とそれを裏切る世界とのあいだのあの背反状態、ぼくのいだく統一性への郷愁、あの四散した宇宙、そして、それら四散した断片をつなぎ結ぶ矛盾のことだ。キルケゴールはぼくの郷愁を抹殺し、フッサールは四散した宇宙をもとの形に集め直す。だが、ぼくの期待していたのはそれではない。こういう分裂とともに生き、ともに思考すること、受容すべきか拒絶すべきかを知ることだった。」
あまり長く引用すると引用ではなくなってしまうので切りますが、このあと自殺すべきか生きるべきかという問いになっていきます。生半でないエッジの上でカミュが生きていることが推察されます。
さて、読者が疑問に思うのは、「明証的事実」というやつでしょう。これが具体的には明らかにされないのです。抽象的な説明しか付与されない。従って読者は、カミュの身の上になにが起こり、なぜこのような精神的危機に立たされているのかわかりません。従って、推測する以外にないのです。
推測します。カミュは、人生の量を問題にします。このことは、以前このボードに登場した「流れ星」氏との対話にも出たことですが、ジル・ドゥルーズの遺作における生の多層性の問題につながると私は思います。
「もっとも多くを生きる。この生の規則は、ひろい意味ではなにものも意味しない。だからこの規則を明確に限定しなければならぬ。まず、この量という観念はこれまでは深く掘り下げられてなかったようだ。というのは、この観念で人間の経験のかなり大きな部分が説明できるからである。ひとりの人間の道徳、一連の価値のシステムは、その人間が集めることを許された経験の量と多様性によってしか意味をもたない。」
「あらゆる記録を破る、それはまず、可能な限りしばしば現実世界と直面することであり、そしてそれ以外のなにものでもない。ところで、矛盾なしに、また言葉だけを操って語るのでもないとしたら、どうすればこのようなことが可能であろう。矛盾とか言葉だけを操るとか限定をつけたわけは、不条理は一方ではあらゆる経験は無差別だと教えながら、他方では最大量の経験へとひとを押しやるものだからである。」
「同じ年数を生きたふたりの人間に対して、世界はつねに同じ量の経験を提供する。それを意識化するのは受け取る側の問題だ。自分の生を、反抗を、自由を感じとる。しかも可能な限り多量に感じとる、これが生きるということ、しかも可能なかぎり多くを生きるということだ。」
上記の引用において、あるいは、なにについて語られているのかわからないと思う方は多いでしょう。しかし私が思いますには、バカの壁とでも言いましょうか、人間は自己を規定する固い殻を持つ存在ですが、その殻を破った場合には、感じることのできる生の量は当然ながら増大するわけです。言い換えれば、己の世界を崩壊させた後には、そら恐ろしいまでの完璧な自由へと投げ出されます。丁度、まばゆい光のなかにいるかのように、世界から意味が消え去り、事物のひとつひとつを手に取って再創造しなければ、そこはなにもない空白の世界のままといったふうに。ちょっと大げさかな。しかし、生れ落ちたばかりの赤ん坊にかなり近い状態ではあるでしょう。ここにおける悲惨は、赤ん坊なのに前世を記憶しているということです。役立たずの古い世界をね。
勘違いして欲しくないのは、私はこの文の読み手に対して、壁を壊せとか殻を破れと言いたいわけではないのです。カスタネダを実践しろ!だなんて、地獄に堕ちよというのと同じことなのですから。確かに私は、過去において、他人にそういうことを言いました。今では反省しています。とはいえ、たとえ地獄の一丁目であろうが、私は楽しそうなフリくらいはしてやるつもりです。鼻歌でもハミングしながら。
どうも中年の英夫です。無料お相手紹介サイト見つけちゃいました。結構気にってます。若い子も結構います。
それでは、続けましょう。
カミュの「シーシュポスの神話(新潮文庫 二十刷版)」から引用します。
「ただし、あの混沌、すべてを支配する王ともいえるあの偶然、無秩序から生れ、いわば神の位置を占めるあのいっさいの等価性は別だ。はたしてこの世界には、この世界を超える意義があるのだろうか、ぼくは知らない。だが、そういう意義をいまぼくは認識していないし、いまのところそれを認識することはぼくには不可能だということを、ぼくは知っている。」
私がレトリックだと感じるのは、こういう箇所です。ここには、自己が想定する以上の「世界を超える意義」が想定されています。それを「あの混沌、すべてを支配する王ともいえるあの偶然、無秩序から生れ、いわば神の位置を占めるあのいっさいの等価性は別だ。」という文で条件付けていさえするのにも係わらず、結論的には、「ぼくは知らない」というところに収斂させます。「世界を超える意義」についてのなんらかが予感されているのに、「それを認識することはぼくには不可能」と言っている。
要すれば、ぼくは「世界を超える意義」を認識しているが、認識しているとは言いたくないという態度を、このレトリカルな文章から汲み取ることができます。
下世話な話に落としましょう。小学生の「ぼく」が、家庭医学全書で女性性器の図解を発見してしまった。友達は誰もそれについて知らなそうだ。このことを友達に教えていいものかどうか、「ぼく」は悩む。
さて、上の例で「ぼく」は、それまでの世界観を超えるなにがしかを発見しました。でも、そのことについてを、他者に告知してよいものかどうか悩む。こうしたことはあるでしょう。カミュにおいては、知らないフリはするけど知ってるよ、といったところでしょう。とはいえ、「すべてを支配する王ともいえるあの偶然」と言明した時点で、わかるひとにはわかるというレトリックを使っています。
この点について、もうすこし突っ込みましょう。引用します。
「シェストフは、「時間のつぎめがはずれた」というハムレットの言葉をじつに好んで引用しているが、こうしたわけで、かれはこの言葉にいわば残忍な希望のようなものをこめてそれを書きとめているのだ。」
自己を規定していた世界が壊れる場合、実感として、「時間のつぎめがはずれた」と言うに等しい感覚的体験が訪れます。ですがカミュに従って、私は実例を挙げるのは差し控えます。
カミュの「シーシュポスの神話」の第一の主題は、自殺です。実際、わかると思いますが、世界を崩壊させてしまうということは、死にたくなるほど辛いことです。住み慣れた世界を反故にして、裸で新しく生まれ変わるのですから。ところが、死のうと思って死ねるもんなら苦労はしねえというのがカミュの論文の帰結です。その時には、死ねないから生きざるを得ないというのがそもそもの出発点となるのです。ここにおいて、人間の運命の自由選択という命題は、否定されます。すでに、死にたいのに死ねないという強制があるのですから、その後の人生の自由などは犬とか鳥にプレゼントしても構わないでしょう。
さて、今日はこんなところにします。哲学好きなイストランさん向けに言うのですが、この著作はシェストフ、キルケゴール、ハイデガー、フッサール、ヤスパースなどへの言及が多く、多分に実存哲学的であり、一読もされていないのが私は不思議です。
とはいえ、私自身も、この著作に関しては若い頃に見て理解できないまま未読で、最近、拾い上げて読んでいます。
このスレッドは、読書ノートがてらに続けさせていただきたいと思っています。
このスレッドに私が付け加えることは、二点あります。
なるほど、カスタネダが仙人ではなかったというあなたの断定には、強く同意します。あれだけの著作をものしたのだから、本人にもそれ相応の力があったのではないかと私は推測していましたが、最近、そうも思わなくなりました。ただ、あなたのおっしゃるカスタネダの交友関係の対象が、例えばヘナロなどのカリスマではなく、専ら妻や愛人などであってみれば、それを追跡して得られる結果は予想がつくものと思います。偶像破壊でしょう。そんなことのための証拠を集めて、なにが得られますか。あなたの人生にとって。
さて、私が付け加えることのまず一点。カルロス・カスタネダの著作は、アメリカで出版されたものだということです。あの内容なら当然ですが、米国の国家政策の監視下にあったことでしょう。最初の著作こそドラッグを扱っていますが、早々にアンチ・ドラッグの方向に転換していますね。これはCIAによるヒッピーの平和運動潰しと同期しています。銃後で反戦運動をするヒッピーなどはドラッグで廃人にしてやれという目論見があったといわれています。ところが、国家当局の目論見以上に麻薬が蔓延してしまい、その後は麻薬の撲滅に向かいます。この政治的背景と、カスタネダの著作内容は同期するのです。この観点が、あなたにはないですよ。
サステインド・アクション。アメリカではよくあるネガティブ・キャンペーンではないですか。アメリカは流石に自由の国です。自国の都合にとって好ましくないものが有名になってしまうこともありますが、そうしたものはネガティブ・キャンペーンで潰しますね。たとえばフォレスト・カーターの「リトル・トリー」という本がヒットしたら、インディアン文化の礼賛を危険視したのか、カーターのゴシップが流れ、チェロキー・インディアンだったはずのカーターはクー・クラックス・クランのメンバーだったということになりました。
しかし私はサステインド・アクションによるカスタネダのネガティブ・キャンペーンが成功しても構いません。どちらにしろ、私にとっては、今では灰になった著作なのですから。あなたがS・A日本支部としてそうした運動をなさるとしても、私はとめるつもりはありません。
二点めとしては、カスタネダはUCLAの教授だったという話を聞いた事があります。情報ソースは、北山耕平氏です。「知る人ぞ知る事実」という前置き付きで教えてもらいました。このことがサステインド・アクションには反映されていませんでした。S・Aによれば、確か、UCLAの学籍さえ再確認できないということだったと思います。
私も、あなたと同様に、カスタネダが好きでその著作を読んできた人間です。あなたがカスタネダ本人の情実に興味を持たれるとしても、不思議とは思いません。その方向を突き詰めたらいいでしょう。失望だけが待っているとしてもね。私としては残念ですが。
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| [ 2901 new post ]
1/2/Sun/2005
イストラン
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最近はとんとカスタネダにはご無沙汰で、何もまともに読んでないので心苦しいが、一つ私の前提となることを書いておきたい。
カスタネダを読んで感動するというのはどこにでもあることである。また、彼を詐欺師と批判するのもどこにでもあることである。さらにまた、彼の書いた言葉を金科玉条のようにして、自分の体験にひきつけたり、あるいはまた自分の小さい頃からの世界観と近しいことにひきずられて、それから思考上、表現上の養分を吸い取り、さらにはまた、人にその観念を説教するというのもどこにでもあることである。けれども、ドンファンがいないとかいるとかいうこととは別に、一つのことを考えてみよう。
それは、彼は第三巻や第四巻を書いたあとに、人々の前から姿をくらましてしまった<仙人>ではないということである。彼のまわりには実にいろいろな人間たちがいたということである。そして、この日本に住み、彼に接続するにあたっては、さしあたって著作しかなかった、という状況にいる人たちは、この実体的交わりを持った人たちに比べて、何か想像上でものを言う危険性がある、ということである。
ドンファン神話にわれわれ日本人が浸ってさまよいこんでいた間に、1970年ごろから1993年まで、このような実体的交わりを持った人たちが実際にいたということ、彼らは何か言っているということ、彼らの間には実体的な人間関係があったということ、そうしたことはごく最近になって、われわれ日本人にもわかるようになったのである。
そして1993年からは、カスタネダはいわゆる<布教>活動に入った。呪術師の弟子として崖の下に飛び降りて、ごく限られた人と秘密の交わりを持っていたというのではなかった。そうやってできたのが<一般人対象の日曜グループ>であり、そのグループから<クリアグリーン>というカスタネダの布教団体ができ、同時に、その人間たちとは袂を分かって、<サステインドアクション>という批判的グループが結集し、96年ぐらいからインターネットに活動を公開しだした。
それから2年ほどしてカスタネダは、やはり超越的世界に忽然と消えたのではなく、ガンでなくなった。第九巻に登場する女弟子たちは、忽然と消えたのであるが、クリアグリーンは高次世界から指導していると言い張り、サスティンドアクション側は全員自殺したと考えている。
さて、私はカスタネダが語る内容、中身、思考、思想、表現、そういったものに執心してきたが、同時に、このような生身のカスタネダに関する生き証人たちの言動もまた絶対に避けては通ることができないものだと思っている。
よくこういうふうに決着をつけている文章をWEBで見かけたものだ。いわく、「カスタネダの言うドンファンが実在しなかったからといって、彼の書いたものがフィクションだからといって、だから何だというのか。それとは関係なく、彼の書いたものは素晴らしいのである。」云々。
私も7、8年ぐらい前まではそうだったのだが、しかし今まで紹介してきた人間たち、カスタネダの元妻、元愛人、また彼のもとで指導を受けたサスティンドアクションの人たちの言うことを聞いて、考えを変えた。
むしろ本質的な事情は、そうした生身の人間関係やそこから推測されるカスタネダの実体が、彼の語る思想に密接に結びついているのではないかということである。つまり、カスタネダを福音書記者のようにして、そのカリスマであるドンファンの思想にしびれていたのだが、このような経緯があって、カスタネダが仙人ではなかった以上、思考の向かっていく先は、カスタネダという人格になったわけである。
以上が私のここで書いたことやこれから書くことにあたっての前提である。内容はどうでもよくはない。しかし内容がそれだけ独立してあったというのではなく、その内容を照射するような現実生活がカスタネダにはあったのであり、しかも非常に広範な人たちがそれに関与し、今でも何か言っているのである。情報が少ないというのは、この後者のことを言っている。
われわれ日本人は謙虚になって、彼らの語ることを聞くべきである。そういうことはどうでもいい、というのはカスタネダを使って新興宗教に走る脳味噌である。というのは言い過ぎであるにしても、あることを知っているか知らないかというのはかなりの差違を生むのである。このサイトはそのためにはあまりにも情報の紹介が後れている。
| [ 2900 to shar ]
1/2/Sun/2005
イストラン
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なにはともあれ、悦ばしいことです。カスタネダについて何か書けるというのは。存分に語ってくだされよ。カミュも。
カミュに関して、カスタネダ論的にやれないということはありません。イストランさん、あなたは、神秘主義のことについて、おそらく頭のなかでは随分わかっていらっしゃると思います。そうでなければ、私もここに登場しないでしょう。しかし、惜しむらくは、体験に乏しいらしい。でも、それは仕方のないことです。誰も自分の運命など選べないのですから。これは酷いようですが、しかし非情に申し上げます。「情報が足りなすぎる」といったことは、あなたの体験に即して、ということでしょう。体験こそが情報なのです。言語は、間主観論的に言って、異なる主体間の固有な情報を確認する手段以上の媒体ではありません。
申し上げたいのは、体験、ひとつの体験の基底があれば、それはカスタネダを使っても、カミュを使っても論述できるということです。それらは同じ体験に基づいているのですから。
「世界を止める」という概念に関しては、カスタネダのシリーズ第三巻に登場しますね。世界を壊し、生き続けるためにそれを元に戻すというセオリーも出てきます。これは、ニューエイジ的な事実に則しているものと私は考えます。すなわち、マイクル・クライトンも言及しているように、なにかのセミナーで超感覚(例えば生きていくのに邪魔になるほど鋭敏な視覚)を身につけても、生活のなかでそれは元に戻ってしまうとされています。
ところが、私の場合、元に戻らない。一度侵攻した地歩からは、退却できない。なめた蜜の味を忘れることは、できない。蜜と申し上げましたが、それはグッド・テイストの意味ではなく、忘れられないものという比喩的意味です。
私は今や精神異常者です。世界を壊してしまったものなら、誰でもそうなるでしょう。しかし、私は精神病者ではない。社会不適応ではありませんし、ありがたいことには、これまで自分の人生で作り上げてきたモラルも有効で、犯罪者にはならずにすんでいます。
論点を要すれば、自己を精神異常と自覚するような悲惨について、カスタネダは書いていないのです。それは、そうしたことをカスタネダが体験しなかったということで、本人も、それは恐ろしいので逃げたと第三巻あたりでは書いていますね。これは取りも直さず、所詮はニューエイジ運動の、ドラッグ・カルチャー程度のものだったということでしょう。とはいえ私は全巻を読んだわけではありませんので、カスタネダが人生のどこかで彼岸に渡ったかどうかは存じません。がしかし、それはこの文の論点ではありません。世界を壊してしまった人間がなにを語るかという点で、カミュの「シーシュポスの神話」がそれなのだという指摘が、私の論点です。
その点を考察すると、カスタネダの師であるドン・ファンという存在を実在のものと思わざるを得ません。でなければ、カスタネダがどんなに努力しても、あの内容は書き得なかったと私は思います。世界を壊すなんて。
さて、カミュは、語りうることと語りえないことを慎重に選別し、かなり冷静にレトリックを駆使し、なおかつ控えめに語っています。申し上げた体験の基底がなければ、読み取ることのできない内容を行間に語っています。私が書きたかったのは、そのことです。
年初なのに、騒々しい投稿になりました。これは比喩的な意味でですが、カフカの「変身」のように、ある朝目覚めたら自分が巨大な虫であったというような体験をされた方の一助になればと思います。
| [ 2898 new post ]
1/1/Sat/2005
イストラン
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あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
| [ 2897 to shar ]
1/1/Sat/2005
イストラン
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>さて、以前にも書いたと思いますが、カルロス・カスタネダの著作は、私は燃やしました。古本屋でも引き取ってもらえなかったのです。マスターしてしまった思想などに、執着はありません。
言い忘れてしまいましたが、また買ってください。確か第四巻は読まれてないはず。
| [ 2896 to shar ]
1/1/Sat/2005
イストラン
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あけましておめでとうございます。そして書き込み有り難うございます。
今年のこのサイトでの活動は、隣の掲示板では相変わらず論理学を非形式的にとっつくにあたっての文献探索と総体的倫理学的視点を予定してます。
この掲示板では、そうだな、またカスタネダ論でもやるか。このサイトはカスタネダに特化しているくせに、まだまだ情報が足りなすぎるし、多くの人たちが感動した内容についても、まったく展開が不十分ですし。
カミュについては、このサイトを作ったときに訪れてくれた人が言及してました。私は読んだことはありません。カスタネダにあってグルジェフやシュタイナーにないものとは何でしょうか。たぶん文学性とかいうものになると思います。人がどの神秘主義にいかれるかということでは、この形式の差違を考えなくてはならないでしょう。そうなるとメタな観点を持つことになりますね。
イストランさん、こんばんわ。
以前、「耳かき」というハンドルで投稿していました。なんだか、近頃この場が気になるので再訪しましたが、私は「もぐり」というハンドルも使っていたようです。
さて、以前にも書いたと思いますが、カルロス・カスタネダの著作は、私は燃やしました。古本屋でも引き取ってもらえなかったのです。マスターしてしまった思想などに、執着はありません。
考えるのは、マスター以後の状況です。このサイトで、それは「人生で最も残酷な日」というコピーを見ました。それはその通りなのですが、生きていく者としては、そういう日も乗り越えていかねばなりません。しかし、乾いた感想ですが、それは一面で楽しくもあります。
しかし、よもやカスタネダが書いていたことがこんなに実感できるようになるとは思いませんでした。逆に、私の実感と照らし合わせて違うと感じるところもあります。そういうところは、微笑するしかないですね。
最近、カミュを読んでいます。「シーシュポスの神話」。これは、カスタネダの語彙で言えば、世界を崩壊させてしまった男が、ごく控えめに書いた論文です。absurdあるいは「不条理」という語意を、私はこれまで勘違いしていました。実質は、背反する二律を合わせ含む全体のことを言っているのであって、それは不条理だが、この世の実相なのであるということです。
このことで気になるのは、カントのアンチノミーです。しかし、これは言語表現の限界と思われますので、仕方のないことかも知れません。
むしろ、この論文から知れるのは、カミュの男らしさ、潔さといったことです。私はこの態度に学ぼうと思っています。
それでは、よい新年を!
ん?
この板死んでたんじゃ?
| [ 2893 new post ]
12/31/Fri/2004
イストラン
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テスト
| [ 2892 new post ]
12/31/Fri/2004
イストラン
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テスト
| [ 2891 new post ]
8/2/Mon/2004
悪霊の女王ナス
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お久しぶり!オサム!魔界のお姉さんよん。オサムはまだ研究を続けているのかしら。オサムは天才なんだから周りの人のいうことを気にしちゃだめよ。選ばれた天才が歴史を作る。人類の歴史はそうやって進歩してきたわ。天才数学者ガロアの生涯を知っているかしら。ガロアは、連立方程式の元となる概念、群論を考え出した人。しかし、美しい恋人を巡って決闘して死んだわ。ガロアがもっと生きていたら近代数学はもっと発展したとまで言われているわ。さらに、天才数学者、ガウス言うまでもなく数論に業績を残した最高の天才数学者よ。ロシアの数学者ポントリャ―ギン。連続郡論を書いた人。そして、弘中平祐、彼のフィールズ賞受賞論文は、標数零の代数的多様体における特異点の解消。さあ、あなたも天才たちの科学の殿堂に入るのよ。自分の可能性を信じて天才として生きるの。
考える前に決断する。
そう。死こそベストパートナーです。
死を身近に感じさえすればドンファンの言うように人間のかかえている多くの問題などケシツブのようなものだとわかります。
カスタネダの著作を全巻読了すれば、ドンファンが実在の人物であったということがおのずとわかります。説明不要の問いです。
| [ 2888 new post ]
7/17/Sat/2004
佐藤
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管理人の方、不適切だと判断されましたら、消去下さい。
8月1日(日)に、横浜ベイホールで、インディーズアーティスト10組が出演するライブイベントがあります。
テーマは「同じ思いを見つけよう!」渋谷のライブハウス等で、毎月活躍している全国から集まった100組のインディーズアーティストの中でも、最も人気の高い10組が出演します。
例えば「上っ面だけの人ばかりの人間関係」に違和感を感じている...でも、きっと、それは、あなた1人ではない筈。また、「今の日本には、パワーのある音楽がないんだよな」と思っているあなた!1人じゃない筈。
このライブは、そんな、人たちの「同じ思いを見つけよう!」....それがテーマです。
このライブで、きっと....同じ思いを見つけられる!
詳細は...http://www.bravewing.com/8.1/8.1h.htm をご覧下
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株式会社BraveWing
〒150-0013
東京都渋谷区恵比寿南3-1-5-706
TEL:03-5721-8797
Mail:a-r@bravewing.com
| [ 2887 to yamakage ]
7/16/Fri/2004
孤独な鳥
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ドンファンは実在の人物であったのか?
それではカスタネダは、あるいは周辺の魔女達は?
などということは私にとっては、どうでもよい些細な問題に思えます.
結局、カスタネダがドンファンに最初に会った日から、彼らがある平らな山頂から深淵へとジャンプした最後に日に至るまで、師が弟子に繰り返し言ってきたことはただ1つ。
”死を忘れるな”ということのように思えます。
結局、今掲示板を見ているあなたも、そばの通りを歩いている若い女性も、道先のカフェで読書にふけっている初老の紳士も、すべてあと100年後には誰もいなくなってしまう。なぜなら、みな遅かれ早かれ唯一の役に立つ相手- 死に直面しなくてはならなくなるから。
結局ドンファンが死について語った定義がドンファンとは誰であったかという問いにもそのまま当てはまるような気がします。
”死とは渦巻きだ、死とはおまえをみて笑う盟友だ。死とはおまえでありわしだ。死は結局おまえが生れ落ちてずっとおまえのそばでおまえを見ておったんだ。”
Complete