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[ 2769 ] [ to ryuda ] Re2: 「恐怖なんて、愛情と比べたらなんてことないわ」 |
>ハートとマインドに対しての考察ありがとうがざいます。
ハートとマインドの小生の記述で、引用を避けた部分があります。チョット長かったんで。それは、「呪術の彼方へ」のp.274-l.9〜p.273-l.1の個所です。ご覧になってみて下さい。一部分だけ引用しますと、
「わたしは、いつも尼僧や司祭を応援しているの。わたしたちに似ているんですもの。世界を捨てて、しかもそのまんなかにいるんだわ。もしだれかがなれるんだということを教えてあげたら、司祭も尼僧も飛ぶ呪術師になれるわ」
>「夢見の技法」教会の女の部分ざっと読み返してみました。
>教会の女の台詞を追ってみたんですが、例の言葉が見つからない。
>キャロルに化けた(?)教会の女の言葉だったんですね。
>忘れてました。以前読んだときはキャロルの言葉として、カスタネダに
>対する彼女の気持ちの表現として受け取っていました。
>なんだか自分には難しい話で、いまだに理解困難です。
>その言葉の事を考えていて「意識への回帰」での死の挑戦者についての
>ドンファンの考えを思い出しました。
>ナワール・フリアンは「死への恐怖」と見ているのに対し
>ドンファンは「生への愛」として見ていると。
>そこのところ(P266)を読んでいるとドンファンも
>「恐怖なんて、愛情と比べたらなんてことないわ」
>と言っているように思えてきます。
いま私の中で、ドン・ファンのイメージが、徐々にではありますが、微妙に変化しつつあります。大枠としてのイメージはそのままなんですが、ホントのところの実像は高度の「管理された愚かさ」でもって隠されているんじゃないかと。教える際の物言いは、口調を含めて「師のナワール・フリアンをそっくり真似たもの」みたいなことを本人自身も言ってるし、カスタネダ自身も芝居がかった彼の演技をめざとく発見してますよね。マッ、検証不可能なことを言ってもせんないことなんですが、、、
>カスタネダには必死に走ることが必要だったのかもしれません。
>今の自分には本当の愛や恐怖が、どんなものか想像もできませんが。
>
「われわれ人間は、男女を問わずあまりにも愚かなので、言語に絶する苦しみに耐えかねるまでは、心理の進歩の道を切り開く勇気を奮い起こそうとしない」
>ところで「夢見の技法」なんだか不評のようですね。
>でも誇大妄想狂のオレは大好きなんです。
>青い偵察や教会の女の話、
>理解困難ながら度肝を抜かれて魅惑されてしまいます。
>また読みたくなってしまいました。たぶん読むでしょう。
うーん、というか、ズーット「夢見」の訓練をやってきたものには、確かに「ガイド」の役割を果たしてくれてるんですが、必ずしもいつも嬉々として飛び込める世界ではないというか、ちょっと遠ざかりたい気分になるときもあるんですよ。ただそれだけ。でも自分って臆病なんかな?
>去年の暮れに「呪術師と私」を買いまして、今、少しずつ読み進めてます。
>新しく買って読んでいると他のも読み直して見たくなるんですよね。
>これから順次、集めて行こうと思うんですが、
>全部揃うのに何年かかるんだか、です。
読むたびに、見落とした部分に気づき、新たな発見がある。しかし、読むことにもエネルギーがいる、これは実感です。