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イストラン
[ 2755 new post ] 12/23/Mon/2003 |
これはレスとして体裁をつけなくてはならないのですが、掲示板ががたがたですので、新奇投稿としますね。
>あの〜、最後にひとつ質問させて頂いてよろしいでしょうか?
>>「キルトを作ることと、素材の布切れを集めることは同じことではありません」。
>これについては、イストランさんはどう思われるのでしょうか?
これは「唯一独自の全体性を無視するな」という主旨でしょうか。でも貴殿の想定しているカスタネダ言説の全体性というのは、その細部にこだわってみると、光景が変わってしまうことはないのか、というのが私の主旨ですからなんとも言えないのですね。
それに最初にその素材の布きれを集めたカスタネダは人のキルトからはぎ取ったわけです。その時点で、カスタネダもまた人の全体性は無視した。つまりその継ぎはぎを作った人間の残したキルトの代わりに新しいキルトを作った。私は彼のような全体性は作れないが、だからといって私の全体性がないわけではない。その都合に応じてカスタネダを解釈し、できればその根幹部分をなんらかはっきりさせようと思っている。それは私の全体性からみれば部分にすぎないが。みな同じようなものでしょう。
思うんだけれども、カスタネダが内輪のサークルに配布した無限論の中にある言葉、「哲学をプラクティカルにしなければならない」ということを彼は本当に実践しようとしたんだろうと思う。けれども、彼は適当につぎはぎしたので、整合性がなくなり(たとえばトナール・ナワールの二元論が既知、未知、不可知の三元論になり)、哲学としての内的整合性はがたがたになってしまった。結果としては大衆受けするイラストレイトされた実存論という位置にとどまっている、哲学的には。しかし彼のすぐれた才能は、人の脳味噌を惹きつけてやまない、文学的厚みのある作品を生み出した。そこからは各人が各様にこれを受け取るという、どの文学作品でも生じる現象になる。