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TOPIC ベルゼバブへのとっかかり
 
Subject Re3: ベルゼバブへのとっかかり
Author けた [ 2344 to イストラン ]  12/2/Sun/2002  無題 

はなしはすっとびます^^。
自尊心はゴミ箱にポイはなんとなく理解できました^^。

ただね・・・?我慢となると調子にのったぼくなのか?
調子がぼくにのっかたのか?
忍耐=我慢なのか?
おのれを冗長することが忍耐であるとするのなら。

冗長しないことがおのれの本質であるのかなあって思ってしまう。←おのれは サア何者って?

それほど悩む ?でもないのではないのでしょうか^^。

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Subject Re: ベルゼバブへのとっかかり
Author イストラン [ 2343 to イストラン ]  12/1/Sun/2002   

もう一つこの第二十一章の中で触れたいと思うのは、いわゆるグループ実践を無視したかどで仏教徒たちがブッダの本来の教えからずれてしまったという指摘です。

 「さて坊や。前にも言ったが、聖ブッダから二、三世代後の三センター生物たちの精神の中には、すでにアトランティス大陸が消滅した時代以来、<知ったかぶりに対する有機的・精神的欲求>とも呼ばれるあの特性がしっかりと固着してしまっており、そのためこの聖ブッダの教えに関しても知ったかぶりをやりはじめ、これを徹底的にねじ曲げてしまったのだ。...ともかくその結果、ある一つの考えが生まれて代々受け継がれていくようになったのだが、それは、聖ブッダの説いた<忍耐>は絶対に完全なる孤独のうちに行わなければならないというものであった。
 ここにはおまえのお気に入りたちの精神の今も昔も変わらぬ特異性が実によくあらわれておる。つまり彼らは、多少とも健全な理性をもっている者にとっては明白この上ない事実をまったく考慮にいれていないのだ。その事実というのは、神聖なる教師である聖ブッダがその種の<忍耐>をしなさいと助言した時、もちろん彼は、他の人間とともに生存する中でこの<忍耐>を行わなければならないという意味で言ったということだ。」(訳、163−)


 「一人犀の角のように歩め」は嘘だ、ということですか。もちろんその種の忍耐は他者なしにはありえないでしょう。自分を馬鹿にし、本物の軽蔑を与えてくれるのは他者以外にないでしょうから。

 私はワークもグループも縁がないですが、こうしたグループには根本的な難しさがあると想像します。というのは、多かれ少なかれ、互いを尊重し、修行の目的も共有し、どこかで絶対的な信頼を得らるような心的システムを核にしているのではないか。そういうグループに、ほんものの他者はいるのだろうか。

 キリストの受難、いばらの冠をつけられ、市中引き回されしたその受難、自尊心の受難とシュタイナーは言う。キリスト教徒は今や迫害されることはない。自尊心の修行はキリストに下駄をあずけてしまう。そういうことはお話の世界であって、誰もこの実社会で軽蔑される人生などを進んで受け入れる人間などいない。
 
 本当に耐え難いのは、自分の志向性をどこかで支える物がないということだが、それを決定的リアリティでつきつけるだけの他者は容易に<団体>の中には存在せず、だから、カスタネダの偉大なる<小暴君>の物語がでてくる素地があるのだ。

 この小暴君は生命すらを脅かすのだが、それは大したことではない。小暴君の暴君性は、修行者のアイデンティティを脅かす。カルロスが信じたドンファン的世界の価値などものともせずに、ひねりつぶす。

 ドンファンは言う。未知との遭遇に耐えるだけの力があればこそ小暴君にも耐えられると普通なら考えるだろうが、逆なんだ、と。

 なぜ逆なのか。普通ならまさに普通ならそう考える。超能力があればこんな現実などものともせずに生きていける、と普通の人間は考えて修行する。人生を飛び越えてまず修行だ、しかるのちに人生を謳歌しよう、とオウムの修行者も思っていたにちがいない。

 −−−−−−−−−−−−−−−−

 どうも私の脳味噌は知らず知らずカスタネダに戻るようで、いかんなぁ。まじめにグルジェフを読まなくては。

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Subject Re2: ベルゼバブへのとっかかり
Author イストラン [ 2342 to けた ]  12/1/Sat/2002   

 聖という観念はおいておいて、こうして「肯定、否定」(および第三項)が出てくるというのは、親しみやすくもあります、形而上学の応用として。

 たとえばサルトル。否定というのがこの世界に存在するのは人間あるいは意識があるときだけだ、というのがサルトルの信条で、この否定の根源は何かという流れで、それは無だ、ということになります。無化作用としての意識。

 グルジェフのおもしろさって、こうした抽象観念が生き生きと生活実践に結合しているところでしょうかね。

 自尊心が傷つくのをじっと我慢していると、日常的肯定と否定によって作動している意識が変調をきたすんでしょう。

 

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Subject Re: ベルゼバブへのとっかかり
Author けた [ 2341 to イストラン ]  12/1/Sat/2002  無題 

おそらく

意志とは生きることそのものに

聖とはそのことにたいする

ひとつうがった視線

ではないのでしょうか^^。

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Subject ベルゼバブへのとっかかり
Author イストラン [ 2340 new post ]  11/30/Fri/2002   

 相変わらず疑問なのは、どうしてこうも戦争に拘るのかということです。『グルジェフ伝』では戦争の体験がいろいろ書いてありますが。

 この本でまず印象が強烈なところは第二十一章のブッダ言説解釈で、それによれば意図的苦悩の最大のものは自分に向けられた不快な表現を堪え忍ぶということになります。

 なにが強烈って、第四の道というと、自己を想起するとか、否定的感情を表さないとかいうふうにもっぱらそう思いこんでいたのですが、ここでは「否定的な感情を表さない」というよりもその表されたものに対して堪え忍ぶということ、という意味で強烈な印象があるということです。

 「おまえたちの本性の中に存在する、器官クンダバファーの特性の諸結果が結晶化する傾向を効力のないものにする最良の手段の一つは、<意図的苦悩>である。そしておまえたちの身体が体験しうる最大の<意図的苦悩>とは、自分自身に向けられた不快な表現行為>を堪え忍ぶよう自分を強いる時に生じる。」(訳、163)

 これが<ブッダの本当の説教>である、とベルゼバブは言う。確かにブッダはこんなことを言っていたと考えてみてもよさそうです。

 どういうわけかシュタイナーも自尊心をなくす修行を語り、カスタネダもまた自尊心なくしにやっきになっている言説を語ってました。

 上の引用にあるように、自尊心を傷つけられたときに、それが、精神の問題というより身体の問題でもある、ともっていくあたりが意味深です。

 「彼らの内部でこの聖なる行為をたびたび実行するならば、彼らの体内に<トレントローディアノス>と呼ばれるもの、あるいは彼ら流にいえば<精神的・化学的・結果>が呼び覚まされ、それが三センター生物の体内にある聖なるデータを形成し、さらにそれが彼らの体内に聖トリアマジカムノの三つの聖なる力のうちの一つを生み出すのだ。そしてこの聖なる力は、生物の体内では常に、すでに彼らの中にある否定的な特性に対抗する肯定的な力となるのだ。」(164)

 聖トリアマジカムノの一つを呼び覚ます、というと、呼び覚まされたものは肯定か、中和か。どっちだろう。また否定なのか。否定というと否定されなくてはならないというふうに思いがちだが、否定にも聖がついている。謎は深まるばかりなり。

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