| SUBJECT [ 2329 ] [ to 古賀 ] 感情 |
| AUTHOR イストラン 11/14/Wed/2002 |
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精神面での機能というと、CC(カスタネダ)が精神面で機能する一端がヤッピーの聖書とされたことなんかもそうでしょう(『知者に成る道』細川廣次)。 このような事情をどう解するのか。ヤッピーというのはたぶん自分の位置からして資本家にこき使われるつかの間の存在だという意識があった(とあてなき想像をする)。金融ストリートを歩きながら、世間体はかっこがいいものの、大資本家の資金を相場にまわして利益を上げるという仕事がそこはかとなき無常観をもたらした(と勝手に想像する)。 剰余価値の生産的な観念が実はカスタネダの<力の話>にあって、それは英語版の方で書いたのですが、縮めて言えば「獲得するために力を使う」「力を使うためには持っていなくてはならない」というものです。こんなところは剰余価値生産の表象にぴったりなんだが、そんな風に読んでる人は少ないだろうな。alt.dreams.castaneda(カスタネダニューズグループ)では結構この話はうけたのですが。 いずれにしてもこの線は健全じゃないのは確かです。ヤッピー的生活って、できるだけ若い内に他人をけちらして金を市場からそぎとり、あとは40代で引退だというまともなしろもんじゃない(日本的勤労観から見ると)。 でも、精神面と資本面の接続っていうのは興味がありますね。ウェーバーがどうしてプロテスタントと資本主義をひっつけたのか、そういうことの直観にもなんらか意味があるだろうとは思う。なんといったらいいのか。「お客様」っていうじゃないですか、本当は客でもないのに。経済の運動と心の運動がマッチしちゃってる。 ちなみにウェーバーの仏教理解ではバガヴァットギーターに代表される戦士の精神は、ブッダ教団においてほんの一瞬すがたを表し、あとはバラモン的なものに取ってかわられたということです。 |