| SUBJECT [ 2308 ] [ to イストラン ] DETACHMENT[編集:11/9] |
| AUTHOR イストラン 11/10/Sat/2002 |
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以下の引用では誤訳だと思われるところは訂正し、かつDETACHMENTを「解脱」という仏教用語ではなく、「切り離し」にしておきます。 「知が恐ろしいものになるころには、死が自分のとなりに座っていてどかすことのできない相棒だってことにも気づき始めるのさ。力になる知のどの断片も、その中心の力として死をもっている。死は究極のタッチを加える。死にタッチされたものはなんでも、実際に力になるんだ 呪術の道を行く奴は、曲がり角のたびに差し迫った絶滅に直面する。だからどうしても自分の死に敏感になる。死に気づいていなかったら、そいつは普通の行いをする普通の人間でしかないだろうよ。つまり地上での自分の普通の時間をマジカルパワーに変えるのに必要な力も集中力ももってないってことだ。 こういうふうに、戦士であるにはまずなによりも自分自身の死を鋭く意識することが必要なんだが、死に関わるってことはどうしたって自分に注意を集中させることになるだろうし、人を衰弱させる。だから戦士であるために必要な次のことは切り離し detachment だ。差し迫った死の観念が強迫になるかわりに、無関心になるのさ。」 ドンファンは話をやめて、私を見た。わたしが何か言うのをまっているようだった。 「わかったか?」 わたしには彼の言ったことが理解できたが、個人的にはどうしたら切り離しにまで到達できるのかわからなかった。自分の修行の観点から見ると、知がおそろしいものだということはすでに経験していると言った。そして日常生活の普通の前提にはもはやどんな支えも見つからないことは本心として言うことができた。わたしは戦士のように生きることを望んだ。いやむしろ望む以上に、そうする必要があったのだ。 「おまえは自分自身を切り離さなけりゃならんな。」と彼は言った。 「何から?」 「あらゆるものからだ」 「そんなことは不可能だよ。世捨て人にはなりたくないもの」 「世捨て人になるなんてのはふけること indulgence だ。そんなことを言っとるんじゃない。世捨て人ってのは進んで世捨て人であることに身を任せて abandos oneself to いるんだから切り離されてるわけじゃない。」 「ただ死の観念だけが十分な切り離しを可能にしてくれる。だから何に対しても身を任せるなんてことはできなくなるし、何に対しても自分を否定することはできなくなる。だがそういった類の奴は何かを強く願うこともない。生命やあらゆるものに対する静かな願望を手に入れるんだからな。奴は死が自分に忍び寄って stalking いて、何かにしがみつく時間を与えないことを知っとる。だから強い願望をもたずに、あらゆることをためすのさ。 切り離された者は死を遠ざけておくことなどできんことを知っとる。奴には後ろ盾となるものはひとつしかない。それは決定の力だ。いわば自分の選択のマスターでなけりゃいかんのだ。自分の選択が自分の責任であること、いちど選択したら、後悔したり自分を責めたりする時間はもはや存在しないということを肝に命じておかにゃならんてことだ。そいつの決定が最終的なのは、ただ死は何かにしがみつく時間を許さんからだ。 自分の死の意識、切り離し、決定の力とともに、戦士は戦略的に生きるんだ。死についての知がそいつを導き、切り離し、静かな強さを与える。最終的な決定の力によって後悔なしに選択することができるようになり、選んだものはいつでも戦略的に最良のものとなる。だからせにゃならんことを全部楽しみながら力強く効果的にやるんだ。 そういうふうに行動できれば、戦士だ、忍耐を手に入れたぞ、とまともに言うことができるのさ」(『呪術の体験』187〜) |