| SUBJECT [ 2273 ] [ to 三日月 ] Re13: 閑話休題 |
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イストラン 10/9/Tue/2002
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>「信じる/信じない」の問題になってしまうのはイストラン氏の思考の枠組みが、「信じる/信じない」という物事の捉え方しか出来ないように出来あがってしまっているためです。 なぜですか?私はここで何度かカスタネダ問題を信じる信じないの問題にはしたくないと言ってきましたし、事実そう思っています。思考の枠組みがこういうものだったら楽そうです。 実際のところ「信じる/信じないという問題ではないから、ご自由にどうぞ」ということの意味がわからんのですよ。無理にわかろうとしたら、むしろこういうふうに対話を突き放すことは、あとは信じる/信じないの択一に<一般的に言えば>接続するだろう、ということだけで。言ってることがわかりますか? >2244番:借家人さんの投稿中に人間の目録などという言葉が出てきますが、まさにイストラン氏の‘目録’には「信じる/信じない」ではない問題というものが載っておらず、理解の範疇外にあるため、理解可能な「信じる/信じない」の問題に置き換えざるを得なくなってしまうということになります。 「人間の目録」ってどういうことでしょう?これはドンファンの表現にはない言葉です。カスタネダ圏は、その魅力によって、彼が言ってもいないことを他人に真似させるという不可思議な力があるようですね。 上の例で言うと、トナールの島の上の項目、人間の鋳型、反復のレパートリー(目録)、こんなのが渾然一体となって、勝手な表現になっているようです。 >私は観念と実践を分離しているのではなく、実践の伴わぬただの観念でしかないものを、実践の伴った観念と区別しているだけです。観念そのものに反対しているわけでもありません。観念は必要ですが、しかし、必要なものの内のごく一部でしかありません。他にも観念以外の色々なものが必要です。 ふむふむ。それで、この考え方自体は三日月氏のおっしゃる実践つまり、特殊な実践を持つものだけが持つ考え方でしょうか? |