| SUBJECT [ 2225 ] [ new post ] 自己想起について |
| AUTHOR イストラン 9/28/Fri/2002 |
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前に『奇蹟を求めて』の逐語逐条的解釈をしていたとき、自己想起は自意識過剰にとっては意味の薄いテーマであると書いた。自意識過剰にとってはさらに、自己想起は避けたいものであるかもしれない。決して少なくはない仏教系の人たちの表現には以下のようなものがある。反省意識のどうどうめぐりをどこかでぶち破ること、主観と客観の分裂をどこかでどうにかすること、視線の追求からするりとすりぬける自己をどうにかすること、よって「ぶち抜く」ということ。 こうした表現傾向にある脳味噌にとっては、現実かどうかはいざ知らず、表現の動向自体がある種の表現を嫌い、ここでは自意識に対する気持ちが悪いという否定的感覚が、自己を肯定する表現を避けるシステムになっている。 自己想起にとってはこうかも知れないと最近私の表現傾向が変化した。自己想起にとっては、自意識過剰はまだ程度の低い自意識である、ということに訂正する。どれほど自意識過剰であってもまだ自己想起が足りない。こういう風に表現すれば、この自己想起を何か忌避することはなくなるだろう。量の増大が質の変化をもたらすかどうか、それはまだわからないが。 |