| SUBJECT [ 2216 ] [ to シャルマ ] 多人格潜在説 |
| AUTHOR 耳かき 9/25/Tue/2002 |
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まず、用語の解説が必要かもしれませんね。 アイデンティティというのは、E・H・エリクソンの術語で、自己同一性と訳されるようです。ぼくとしては、埴谷雄高の「自同律」というタームを重ねています。これは埴谷の造語で、読んで字の如しですが、あえて砕けば自己同一化の内在律というイメージでしょうか。ちなみに、埴谷はそこから踏み込んで「自同律の不快」というテーゼにもっていきます。 IDに言葉を換えられると、元の文脈がズレかねないので、これは必要事項として補足します。身分証明あるいは自己証明の意味で使っているわけではありませんのでね。 記憶喪失のメカニズムは、パソコンのHDフォーマットに似ていると思います。HDの全面消去をしたつもりでも、実はインデックスが消去されるのみであって、データはそっくり残っている。それを利用した中古パソコンの情報漏洩が問題になりましたね。 そういう意味で、索引機能が壊れた状態が記憶喪失といわれるものであって、記憶そのものが消失するわけではないでしょう。なぜなら完全消去されたものは復元不能ですが、記憶喪失の場合には甦ることがあります。 たしかジョン・パーという名前だったと思うのですが、記憶喪失したロック・ミュージシャンが話題になったことがあります。記憶喪失してからプロになったらしいのですが、おそらく、それ以前にプロ並みの音楽能力を有していたでしょう。どんな人生だったのかなあ? 記憶は喪失されているのだが、データ的記憶は残っているわけで、本人もよくわからないままに、抜群に歌がうまかったり、楽器が弾けてしまったりしたのでしょう。 ですから、仮に、記憶喪失者の自我は記憶と結びついていないじゃないかという意見があったとしても、的を得ないでしょう。あくまで索引機能に障害があるのだといえると考えます。 話しは変わりますが、ここは場所柄カスタネダの読者が多いと思うので、そっち方面にもサービスしときましょうか。第二巻に出てくる盾の話しは、パーソナリティの戦術的利用として読めます。話しとしては、偽装の人格を防御に使用するわけですが、それには必然的に人が複数のペルソナを有していることが前提されます。 わかりやすく喩えれば、白土三平のマンガの主人公カムイがドサッと地面に落ち、必殺の手裏剣がカ、カ、カ、と命中する先は、実は等身大の木であったという身代わりの術があります。そういう忍術を精神的にやるのが盾のコンセプトでしょう。 それを、ネットで応用している人もあるかもしれません。感情的になってしまった方が論争には不利ですからね。ネットの文字は盾であって、自分自身ではないと想定するわけです。こういう秘密を、ぼくはネットで教えてもらった。 |