| SUBJECT [ 2202 ] [ to 非情者 ] 多人格潜在説 |
| AUTHOR 耳かき 9/23/Sun/2002 |
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多重人格症というのは病気ですが、病気でない人には人格がひとつしかないのかというと、私は疑問に思います。 車に乗ると性格が変わるとか、飲酒で人が変わるとか、一時的な人格変異があります。また、一時的ではなく、なにかきっかけがあって、あるいはいつのまにか、過去のパーソナリティとは別ものになってしまうこともあります。これは他人の印象や、自己観察でも感知することでしょう。経験的には認められていることですが、学説として問題になっていないために、本当に人格そのものが変わっているのではないかという疑問は、一般的ではありません。私がそういう推理(あるいは妄説?)を立てているだけです。 人間は独自に、時系列記憶システムを取っていますので、それがアイデンティティの基礎になると思われます。ちなみに、犬の記憶システムは時系列的でないといわれます。並列的といわれる記憶システムに基づく生活について、いろいろ想像してみることがあります。おそらく自我の認識はないでしょう。自閉症児の記憶も並列的といわれますが、これは記憶の時系列化がうまくいかなかったと考えられるわけで、逆に他の動物一般ではそれが広く採用されていることの証左になりはしないかと思っています。 人間が記憶を時系列配置し、それに伴う時間の誕生を整合化するために、人格的統一すなわち自我システムを必要としたのではないかと思います。もしそうなら、自我はフィクションになり、実体的存在ではなくなります。 要するに、自我というものは強度に根深いフィクションですが、それなりの構造があって、自我用の人格に多数の予備を備えているのではないかと私は思うのです。ペルソナ(仮面)という考えに近いかもしれません。 そのように考えると、過去の自分が他人のように思えるということも、自然なことではないでしょうか。 まあ、秋の夜長でありますし、くさくさともの思いしてみました。中秋の名月は曇っていて見れませんでしたが、今年は虫の音が格別です。 |