| SUBJECT [ 2201 ] [ to シャルマ ] 私には失礼ながら中途半に思えますね |
| AUTHOR イストラン 9/23/Sun/2002 |
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結局その「次元の違い」というふうになるのだね。そして次元の違いは方便とかいう思考によって結合され、かつ乗り越えられるということになる。 >社会の必要とか、便宜性を図るために、名称だとか、人格だとか、国籍だとか、男女だとか、 そうなると、シャルマ氏にとっては「私を助けて」と叫ぶ「私」やその「私の身体」の叫びもまた社会の必要とか、便宜性とかの範疇に入ることになるか。 私の方も一つ課題として考えてみてもらいたいのは、ニューエイジ言説は倫理性というものに対してある距離を取るということであって、その距離を「社会の必要」や「便宜性」とかいうふうに「処理する」のではなく、距離を距離としてみつめたらどうだろう、ということだね。だって、その距離を「社会の必要」とか「便宜性」とかで処理してしまうのはまさに解釈であって、事実自体がそういう風に言っているわけではないだろうからね。 >ちょっと飽きて来たこらこの話題は、 >一方的かもしれないけど、止めます。 私は最初から説教脳味噌と自我滅却言説には飽きている。で、問いつめて肝心なところへ行くと、「ばぁ〜い」とかいうことになるし。やれやれ。 人にはそれぞれキーワードというのがあるらしい。私にとっては受動能動がそれで、おたくにとっては身体がそうであろう。そのキーワードの周りに経験や意味を付着させていて、刺激されると総体がもぞもぞするということになる。 |