| SUBJECT [ 2149 ] [ new post ] 知性と知能の違い |
| AUTHOR シャルマ 9/15/Sat/2002 アシュラム体験記 www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/5356/ |
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何時までも同じ事を繰り返しているのは知性の低い証拠である。 彼らは、退屈しない。 この退屈こそ知性の発達度を示すものだ。 何時まで経っても、ドラッグやってる 何時まで経っても、女にはまってる 何時まで経っても、同じような議論を繰り返している これは全部同じことの違う側面のようなもの。 つまり、知性が低いことを示している。 知性は知能と(一般に知能が高い、記憶力、知的理解力、読解力などが相対的に高い)直接的に相関関係にない。 知能が相対的に低くても知性のある人間はいる。 知性が相対的に低くても知能のある人間はたくさんいる。 知能が人より高いってことがエゴになって、その人の知性の発達を阻害している例はたくさんある。 「私はこんなに本を読んで、こんなにそれを理解して、こんなに多くを知っているんですよ、見てください、あなた!、これが私の蔵書です、これが私の知識です、これが私の知的見解ですよ、はっはっは、どうですか?凄いもんでしょう?多くの信奉者を持っている、だれだれより私です、私の知識が勝っています。さあ、君、議論でもなんでもしましょう、ええ、それをすれば皆さん私の知識について、その膨大さ、その見識の深さ、に納得されるでしょう、はっはっは、私を見てください、この私を、この私であるところの私の知的収集物を、皆さん、私、私、私、私のもの、私のもの、この私のものを見て賛美されんことを!!!」 こういった人種が、スピリチュアルな世界では、 「本を二三冊読んだ人」 と言われている人です。つまり、自分は何か知っている、悟りは何か知らなくても、少なくとも自分は何か知っている、と錯覚している人なんです。 本の数が、2、3でも、2、3千でも、2、3万でも、同じこと。 ちょうど、ドラッグの愛好家が、自分はこんなにたくさんの量のドラッグを使用するんです、と言って自慢するのと同じ。 世間の評価は違っても、ある視点、知性という視点に立てば同じ事。 しかし、勿論、この手のトリップ、私は知っています、というのは覚めるまで多くの生が必要なんでしょうね。 ですから、こんなことも尊重しなければならないけれど、滑稽です。 |