| SUBJECT [ 2148 ] [ new post ] 完全無欠とは何か |
| AUTHOR イストラン 9/14/Fri/2002 |
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こうして次々と新たにスレッドを作るのは、テーマがずれていくからで、この話は夢見とはちょっとずれたところにありますから、また別に立てますね。 完全無欠に対応するのは、ふけることです。この二つは時間的な相からでないと、カスタネダ言説の元になっている場面が見えてきません。ふけることは、indulging という原語ですが、これは法律的には<執行猶予>という意味を持ちます。 「おまえには時間がないんだ」と何度ドンファンは言ったことか。 すべてのトラブルを乗り越える点が、この<時間のなさ>とともにある意識に見いだされるという一般化が底に流れています。 グルジェフがベルゼバブの最後に、もうこうなったら死への思いをテコにするしかないだろう、と書いたことが想起されます。 一方、完全無欠 impeccability の原義は<罪のないこと>でもあります。そういうわけで、キリスト教の言説の意味が、まったく別の文脈に侵入し、それでもその文脈のズレを背景に、新たな、あるいは古い意味が生き生きとしてくるわけです。 その中心にあるのが受動能動のイメージで、どうして能動でもなければ受動でもなく、受動能動の緊張とも言えるようなことになるのか、それも時間のなさに接続していると思われます。 |