| SUBJECT [ 1259 ] [ to イストラン ] 12 「忘れていた」という仕掛けは怪しい |
| AUTHOR イストラン 2/9/Fri/2001 |
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12 『力の第二の輪』(邦訳『呪術の彼方へ』)は「ドンファン」の挿話を含んでいない唯一の巻であるが、この巻に対する貧弱な書評を受けてから、CCはまたもドンファンを創造し始めた。それは「他の自己」の神秘的な記憶が彼に突然甦ってきたというふうに主張する。この仕掛けでもって、そののちの全ての巻で彼はドンファンを保ち続けることができるようになった。そう、それはチケットだった...私は忘れていたのだ...それは意識の全く違ったレベルのことだ...今や私は思いだしたのだ...と。 何てこった、もう一つのドンファンものか。あるいはもっとか。 少なく見積もっても非常にいかがわしい。 ***************** この批判も実証的というよりは印象的です。 しかしこの仕掛けは確かに途方もない現実的展開をカスタネダに強いることになったことは否めないでしょう。彼は93年頃からクリアグリーンという団体を作り、現実に接触可能な状況の中に登場した、つまりは街で写真を取られたり、日曜セッションで人から質問されたりという、ごく普通の活動に身をさらす。それだけならばあるいは安全だったかも知れない。ところが、この「別の自己」が想起したと設定されているドンファンのもう一つの系列、つまりカスタネダを中心とする女ナワールのキャロルとかフロリンダ=ドナーとかまで現実に引きずり込んだ。あるいは現実の彼らの関係が著作の中に引きずり込まれた。著作に登場する呪術師たちがカスタネダの他にも現実に歩き出している。そして、カスタネダは彼らの行動に対しても責任を持たせられるということになる。 団体など作らなければ現実世界の出来事に対して一切を一人で決済できたかもしれないし、あれほどの着想力があればどんな言い訳でもできたかも知れない、がしかし...ということになる。別の自己の記憶はこういう団体性、その実在の話とからまり合っている。 |