| SUBJECT [ 1242 ] [ to イストラン ] 2 フィールドノートは無意味だ |
| AUTHOR イストラン 1/26/Fri/2001 |
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2 CCのかの有名な「フィールドノート」では、意味ある部分は何も作成されなかった。後年、みんな無くしてしまったと説得力のない主張をしている。 **************** これは上の1と同じようなもので分ける必要は感じませんが。 唯一カスタネダが本腰を上げてフィールドノートらしき代物を送ったのは前に言及した薬草の大家であるゴードン・ワッソンでした。 ワッソンは妻と友人とメキシコの薬草を研究していて、Economic Botany にカスタネダの『ドンファンの教え』について書評を書くように依頼され、そこで彼は1968年8月26日にカスタネダへ一通の手紙を送った。 その手紙で彼は 1 きのこの素性 2 ドンファンの素性 3 知者をスペイン語でどう表現したか についてある程度専門的知識を試しつつカスタネダに問いただした。 カスタネダはこの手紙にとても巧妙に答え、12ページのスペイン語によるフィールドノートと称したものを加えてワッソンに送った。が、ワッソンは満足することができず、その後ニューヨークとロサンジェルスで2回カスタネダに直接会っている。しかし直接会った印象がなぜか正直さを感じさせ、その上その前にワッソンは自分で集めたマリア・サビーナというシャーマンの詠唱の中に「世界を止める私」なる文言を発見したので、ある程度懐疑心が残ったものの、カスタネダのフィクションサイエンスの中には、何か真正なる核があるのではないか、と思った。 しかし、この問題に入り込んだリチャード・ミルは、ワッソンに頼み込んで、彼らの間の書簡およびカスタネダの自称フィールドノートのコピーを譲ってもらい、ついでにマリアサビーナの詠唱の分析をマザテク語の言語学者に頼んだ。するとそれは「世界を止める」ではなく「世界を支える」だという回答が来たので、ミルにとってはこれはワッソンの早とちりということになった。 がしかし、なぜかミルは、カスタネダがワッソンに送った12ページの自称フィールドワークを見て、1976年の『カスタネダの旅』のときとは見解を変え、もともとかなり大部のスペイン語で書かれたドンファン文書が存在したのではないかと1980年の"Don Juan Paper"では言っている。 −− 以上はその Don Juan Paper の第40章から適当に |