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TOPIC I am myself time
 
Subject 「間」性
Author マレーヌ [ 3383 to イストラン ]  9/18/Sat/2004   

> 時や空というものに間性を見て取るということは、時間や空間を最初から存在と無の中間物としているから、それらの存在性や無性について疑いとか意識とかが持てないということもあるように思いますね。

お手間をとらせて恐縮です。
疑いも意識もしていなければ知る必要はありませんね。

> これも知りませんが、多分ハイデガーもメルロポンティも知らなかったと想像します。

はるか遠くの異国のことばは関心外だったでしょうね。

> ところで、「解釈学的現象学」の本と書かれてますが、それは誰の著作でしょうか。もしかしてリクール?

質的研究に応用するため「解釈学的現象学」について概略を示し, 方法論を述べた本です。言葉足らずで申し訳ありませんでした。哲学専門の方からすれば派生のものですし, この場で著者名を書き込むと支障があるかもしれませんので控えさせてくださいませ。

導入部分で質的研究の基盤が現象学であることをおおまかに説明し, フッサール, ディルタイ, ハイデガー, ガダマー, メルロポンティ, 等々, そしてオランダ現象学まで紹介されています。(デュケーヌ派現象学のデュケーヌというのは大学名でしょうか。) リクールは, データ収集と分析の説明部分(解釈学的循環)で名前が出てきます(Hermeneutics and the human sciences 英訳で参照)。
おもしろいと思ったのは, 解釈に関する文献はラビの書くユダヤ教のタルムード原則集に端を発するという記述です。

私は質的研究者ではないのですが, 読んでいるうちに学生時代以来遠くなっていた哲学(専攻は異なります)をもっと知りたくなった次第です。存在, 無, 実存, 現存在, etc. あれこれ考えているうちに, エッシャーの絵のように無限循環に陥りそうになっています。
その一方で, 全く別の目前の雑事の数々をこなしているのも不思議なものです。

私ごときに早々にお答えくださりありがたく, 重ねてお礼を申し上げます。

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トピック= 3370 宛先= 3382 同宛先= 返信=
 
Subject 「間」性
Author イストラン [ 3382 to マレーヌ ]  9/17/Fri/2004   

>「彼ら」はその後「間」性を知る言語があることを知ったのでしょうか。

 これも知りませんが、多分ハイデガーもメルロポンティも知らなかったと想像します。

 ところで、「解釈学的現象学」の本と書かれてますが、それは誰の著作でしょうか。もしかしてリクール?

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トピック= 3370 宛先= 3379 同宛先= 3380 返信= 3383
 
Subject 「間」性
Author イストラン [ 3380 to マレーヌ ]  9/17/Fri/2004   

>なぜ、日本語は「間」性を知っていたのでしょうか。

 わかりません。間性に似たようなものは西洋語にもあると思います。interesseのinterとか。しかし時や空というものに間性を見て取るということは、時間や空間を最初から存在と無の中間物としているから、それらの存在性や無性について疑いとか意識とかが持てないということもあるように思いますね。

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トピック= 3370 宛先= 3379 同宛先= 3382 返信=
 
Subject 「間」性[編集:9/16]
Author マレーヌ [ 3379 to イストラン ]  9/16/Thu/2004   

> そうですよね。ドイツ語でRaumとZeitには「間」という意味がないけれど、日本語感覚では時間空間などは「間」であるのが当たり前になっている、というのも困ったことです。というのは彼らがこれは発見したと言っている「間」性というのも日本語はとうの昔に知っていたからで、だから何だとは言えないけれども、さりとて偶然で済ますこともできない、とか。言葉そのものが意図してしまっているというか。


また参りました。思索のおじゃまでなければ・・・、

なぜ、日本語は「間」性を知っていたのでしょうか。
「彼ら」はその後「間」性を知る言語があることを知ったのでしょうか。

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トピック= 3370 宛先= 3375 同宛先= 返信= 3380 3382
 
Subject Re5: I am myself time
Author イストラン [ 3375 to マレーヌ ]  9/12/Sat/2004   

>母語が違うと言ってしまえばそれまでなのですが・・・。
>翻訳されたことばと, 意図されたもとのことばのニュアンスのずれの影響はどの程度のものなのかと考えることがあります。

そうですよね。ドイツ語でRaumとZeitには「間」という意味がないけれど、日本語感覚では時間空間などは「間」であるのが当たり前になっている、というのも困ったことです。というのは彼らがこれは発見したと言っている「間」性というのも日本語はとうの昔に知っていたからで、だから何だとは言えないけれども、さりとて偶然で済ますこともできない、とか。言葉そのものが意図してしまっているというか。


>ほんとうにありがとうございました。

 なんのなんの、マレーヌさんのおかげで久しぶりに『知覚の現象学』を繙くことができました。こうして何回か読むと、そうだよなぁ、やっぱりそうかという感想も出てきて楽しいです。

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トピック= 3370 宛先= 3374 同宛先= 返信= 3379
 
Subject Re4: I am myself time
Author マレーヌ [ 3374 to イストラン ]  9/11/Sat/2004   

> これは、客観的なものとしての私は「時間の中にある」ということだが、本来の主観性は「時間そのもの」であるということでしょう。
>
> 一般的にこういうことが言えると思います。ハイデガーやメルロ=ポンティは、空間と時間を世界の容器のようには扱わず、主観性を成立せしめる意味としていると。

丁寧にお答えいただき, ありがとうございます。
確証が得られ, とても助かりました。

どの著名な哲学者にしても, その人が書いた原文そのもので理解できればどんなによいかと思います。
母語が違うと言ってしまえばそれまでなのですが・・・。
翻訳されたことばと, 意図されたもとのことばのニュアンスのずれの影響はどの程度のものなのかと考えることがあります。

なにやら場違いな者がまぎれこんでしまったようで, 大変失礼いたしました。未熟ものながら学んでいきたいと思います。
ほんとうにありがとうございました。

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トピック= 3370 宛先= 3373 同宛先= 返信= 3375
 
Subject Re3: I am myself time
Author イストラン [ 3373 to マレーヌ ]  9/11/Fri/2004   

>1962年のC.Smith訳で, p421とp422とあります。
>この訳本全体を読む時間的余裕がなく, 突然こちらに質問をいたしました。

 日本語訳はないのでしょうか。手持ちの日本語訳で、当該箇所を発見しましたので、そのまわりの部分も含めて引用しておきます。

 「これらさまざまな時熟単位(tempora)を外から結び合わせてただひとつの時間たらしめるような綜合は必要ではない。なぜなら、これら時熟単位のそれぞれが、すでに己れ自身を超えて、他のさまざまな時熟単位の開放的な全系列を含んでおり、それらと内的に交流しあっているからであり、その脱自とともに<生の連関>があたえられているからである。現在から他の現在への移行を、私は思惟したり傍観したりするのではなく、遂行するのであり、私はちょうど私の所作がすでにその目標に行き着いているように、来たらんとする現在にすでに行きついているのであり、私自身が時間−カントがあちこちで語っているような、「流れる」ことも「変化する」こともなく、「とどまっている」時間−なのである。」(みすず)

 「われわれは、究極の意識は、内時間的ではないという意味で「無時間的」だと言うことができる。もし私が現在をなお生き生きとした姿で、それが含蓄するすべてと共に捉えなおすなら、その現在の<なか>には、未来と過去とへ向かう脱自があり、これが時間の諸次元を、敵対的なものとしてではなく、不可分なものとして出現せしめるのだ。つまり、現在にあるということは、つねにあり永遠にあるということなのである。主観性は時間を引き受け、あるいはそれを生き、生の連関とひとつであるからこそ、時間のなかに存在しないのだ。」(みすず)

 これは、客観的なものとしての私は「時間の中にある」ということだが、本来の主観性は「時間そのもの」であるということでしょう。

 一般的にこういうことが言えると思います。ハイデガーやメルロ=ポンティは、空間と時間を世界の容器のようには扱わず、主観性を成立せしめる意味としていると。

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トピック= 3370 宛先= 3372 同宛先= 返信= 3374
 
Subject Re2: I am myself time
Author マレーヌ [ 3372 to イストラン ]  9/10/Fri/2004   

>>"I am myself time." 
>>"Subjectivity [experience] is not in time because it takes up or lives time and merges with the cohesion of a life.
>
> どのページの文章ですか。

解釈学的現象学についての本の中で, 参考文献として引用されている文章です。
1962年のC.Smith訳で, p421とp422とあります。
この訳本全体を読む時間的余裕がなく, 突然こちらに質問をいたしました。
申し訳ありませんが, ご教授いただきたくお願いします。

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トピック= 3370 宛先= 3371 同宛先= 返信= 3373
 
Subject Re: I am myself time
Author イストラン [ 3371 to マレーヌ ]  9/10/Thu/2004   

>"I am myself time." 
>"Subjectivity [experience] is not in time because it takes up or lives time and merges with the cohesion of a life.

 どのページの文章ですか。

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トピック= 3370 宛先= 3370 同宛先= 返信= 3372
 
Subject I am myself time
Author マレーヌ [ 3370 new post ]  9/9/Thu/2004   

メルロ=ポンティの『知覚の現象学』(英訳)からの引用です。

"I am myself time." 
"Subjectivity [experience] is not in time because it takes up or lives time and merges with the cohesion of a life.

どういうことを意味しているのでしょうか。
よろしくお願いします。

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トピック= new post 宛先= 同宛先= 返信= 3371


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