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TOPIC P.ハーモズ 『代数としての論理』
 
Subject 6.小さな言語の動機
Author イストラン [ 3365 to イストラン ]  8/23/Sun/2004   


6.小さな言語の動機

この言語の特有の文字、語、文を研究する動機は何かと問う権利を読者は持っているし、おそらくそう問うてきただろう。(動機であり、理由ではない。それが導入される理由は組み合わせメソッドを説明することにあった。)他の言葉で言えば、この言語は何について語っているのか?答えは、パリティの加法的性質 additive properties である。DとN(奇数 odd と偶数 even の最後の文字)を、二要素の加法群の要素と解釈せよ。つまり、加法モデューロ2を持つ1と0と解釈せよ。またはこれと等価であるが、偶数整数の部分群をモデューロとする整数の加法群の商群と解釈せよ。A(加法 addition の最初の文字)を加法と解釈せよ。E(equality の最初の文字)を等性 equality と解釈せよ。この言語の語は、だから一つの動詞(E、等性のための)と、加法的に組み合わせられたパリティ(DADやDANANによって示される「odd + odd」や「odd + even + even」のような)の無限の集積から成っている。この言語の文は「odd + odd = even」(DADEN)や「even + even = odd」(NANED)のように、等しさである。それは証明可能であるかもしれないし、そうでないかもしれない。この言語の基本的な公理は、

「odd = odd」  と  「even = even」


である。手続きの規則によって、「odd」を「odd + even」や「even + odd」で置き換えることができる。また「even」を「odd + odd」や「even + even」で置き換えることができる。またこれらの置き換えの逆をすることもできる。結果として、この理論の諸定理は次のようなものに他ならない。(i)任意個の偶数と奇数個の奇数の和は、奇数である。(ii)任意個の偶数と偶数個の奇数の和は、偶数である。どんな有限個の奇数の和も奇数であるか偶数であるのは真であるから、パリティに関するこれらの自明なことを言語的に記述するのは 完全 である。どんな有限個の奇数の和も奇数でありかつ偶数であることはないというのは真であるから、同じ言語的記述は 無矛盾 である。


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 またパリティの小さな理論のための真理概念を構造的に定義することもできる。シンボルDの各々の出現が1として解釈され、Nの各々の出現が0と解釈されるときに、語UとVが同じ数(0か1)を指示するという条件のもとで、(上に述べた2要素の加法群の解釈のもとに)文UEVは である。小さな理論のあらゆる証明可能な文は、真であることがたやすく理解される。この事実は、その理論が 意味論的に健全 semantically sound であると言うことで表現される。小さな理論の文脈では、意味論的な健全性は無矛盾性と等しい。健全性の逆は、それもまた小さな理論では真である。あらゆる真なる文は証明可能である。この事実は、小さな理論は 意味論的に完全 semantically complete であると言うことで表現される。意味論的完全性は健全性よりも希な理論特性である。小さな理論の文脈では、意味論的完全性は完全性に等しい。

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Subject 5.真理とは何か?
Author イストラン [ 3363 to イストラン ]  8/6/Thu/2004   


5.真理とは何か?

論理学者は何を知ることを望んでいるのか?形式論理に関する問いの典型例は何か?それはこのようなものでは ない :DADEDANADADANは証明可能か?それは数学的問いである。論理学者、機械理論家は機械の性質に関心がある。それは十分大きいが大きすぎないか、というようなものである。
 その出力が、或る望ましい形態を持つすべての文を含むだけ「十分大きい」という意味で、その機械は 完全 complete だろうか?(たとえば、Dで始まりDで終わるDとAの任意の長さの列は、EDかENがそれにつけ足されるときに、いつでも文になるか? そうした文の少なくとも一つはいつでも証明可能か?)
 その出力が、或る非難さるべき形態を持つすべての文を含むほど「十分小さい」という意味で、その機械は 無矛盾 consistent だろうか?(たとえば、先の例で言及された事柄が二つとも同時に起こることがありうるか?つまり、

DADA・・・DAD


のような列が、EDがつけ足されると証明可能な文になり、またENがつけられると証明可能な文になるだろうか?)
 論理システムの構造に組み合わせメソッドを通して接近するならば、使用される論理学のテクニックは、シンボル、その数、その序列、その反復される生起、そしてその配分 arrangements に細かく配慮する。論理学の多くの部分は、他の代数的、構造的メソッドによって探求されることができるし、そうなれば多くの概念と関係がもっとはっきりとしたものになる。しかし、どのようなアプローチを取ろうと、論理学の探究は考えることを手助けするものではない。それは新しい思想の源泉を提供するという意味でも、古い思想を結合する際に誤りを防いでくれるという意味でも、そうである。論理学を探究する根拠には、(i)それ自身の権利において関心を惹く、(ii)数学の方法論を明確にし、カタログにする、(iii)数学的応用がある(たとえば、代数、解析、幾何、集合論において)、(iv)それ自体が、抽象代数の観念の豊富な応用である、ということがある。
 或る言語の語、文、定理が構造的に(発生的にということに対して)定義できるということは、ほとんど真ではない(真であればとても喜ばしいが)。上に定義した単純な例としての言語にとっては、これは真である。たとえば、一文字の列Eか、子音の連続と、子音で始まり子音で終わるAであるときに限って、文字列が語になるということを見るのは容易である。


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この単純言語にとって、文の構造的記述は発生的記述に非常に近い。厳密に一つのEを含み、かつそのEがEとは別の語に先立たれ、かつ後に従えるときに限り、文字列は文となる。証明可能な文の構造的記述は、発生的定義からほんの少し踏み出したところにある。Eの左側のDの数がEの右側のDの数と同じ数【パリティ】を持つときに限り、文は証明可能である。

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Subject 4.小さな論理
Author イストラン [ 3361 to イストラン ]  8/5/Wed/2004   


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4.小さな論理

タイプライターの仕様のリストをここで止めることに文法家は同意するかもしれない。彼らが興味を持っているのは言語が何を語るか、どうやって語るか、であろう。論理学者は真理とは何かを学ぶために続けようとするかもしれない。彼らはすべてを語ることができることで満足はしない。彼らが知りたいと思うのは、それぞれの学の中で、それぞれの言語の中で、人が語ることのできる真なることとは何かである。数学における真理の概念はとらえどころがない。数学者はたいていは公理的に定理を証明することに取りかかる。彼らはまず、始まりから真と思われる基礎的データと或る種の文
(公理)を特定し、それらから、さらなる証明可能な文を産出する指示(手続きの規則)を特定する。目下の言語の基礎的データは次の二つの文からなる。

DED  と  NEN


指示はあまりに簡単なものである。定理−つまり証明可能な文−が与えられたとすると、そこに現れるどんなDも、

DAN  あるいは  NAD


で置き換えられるときに、あるいは、そこに現れるどのNも、

DAD  あるいは  NAN


で置き換えられるときに、さらに一つの定理が得られる、というものである。

これらの方法(そしてその反復)は、定理を長くする唯一の方法である。短くする唯一の方法は手続きを逆にすることである。たとえば、DANEDがすでに証明可能と分かっているときには、DANをDに置き換えて、もっと短い定理DEDを取り戻す。
 これが指示のリストに加えるべき全てである。さてこの機械が増大する長さの順に(そしてアルファベット順に)次々と印刷するように言われると、その産出物は次のように始まるだろう。

 DED  NEN  DADEN  DANED  DEDAN  DENAD  NADED  NANEN  NEDAD  NENAN  DADADED  ・・・

構成はここで終わりである。たった今設計したようなタイプライター、またはもっと良いが、そうしたタイプライターの仕様の集合は、字、語、文、そして定理の説明で完全になり、形式言語の論理システムの典型例である。これは論理学者が絶えず研究していることである。

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Subject 3.小さな文法
Author イストラン [ 3354 to イストラン ]  8/4/Tue/2004   


3.小さな文法

このような出力を単調にしているのは機械が選択を持っていないということである。機械は記述される言語の語や文を印刷するばかりではなく、同じアルファベットを使うありとある言語の語や文を含むすべての文字列を印刷する。機械の語彙−機械が考察の正しい対象と認める語−は限られる必要がある。


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 望ましい機械が語ろうとしている言語の語彙は無限に豊かである。それは或る基本的な言葉(根、幹)を持ち、そいこから他の語が作られるが、古いものから新たらしい語を産出する語形成(屈折)の規則を持っている。
 基本的な語は三つの一文字語である。

E  D  N



語形成の唯一許されている規則は次のものである。語がDかNを持つならば、ADかANを後ろにつけて得られる文字列もまた語である。この「語」の生成的定義によって、文字列が語であるかどうかに関する単純かつ有効なテストが得られる。文字列がEでないならば、ADとANを右側から可能な限りはぎとり、結果がDかNであるかどうかを見よ。たとえば、

DANADADAN



は語であるが、

DANDADAN  や  ANADADAN



は語ではない。
 語が何であるかを教えられた機械は、以前よりももっと興味深いことするために訓練されている。しかしまだかなり単調だ。それは言語の辞書を印刷することができるだろう。もしも以前のように始めたら、結果は次のようになる。

 D  E  N  DAD  DAN  NAD  NAN  DADAD  DADAN  DANAD  DANAN  NADAD  NADAN  ・・・

 語は言語を作らない。言語は語を集めて文にする。機械が語る言語の文法を発生的に記述するのはたやすい。E以外の語を、それにEをつけ、さらにE以外の語をつけて書け。それは文を得る唯一の方法である。もしもタイプライターがこの定義を教えられ、長さをだんだん長くして、そして同じ長さではアルファベット式に並ぶように、文を次々に印刷するように指示されるとしたら、次のように始まるだろう。


 DED  DEN  NED  NEN  DADED  DADEN  DANED  DANEN  DEDAD  ・・・

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Subject 2.小さなアルファベット
Author イストラン [ 3348 to イストラン ]  7/26/Sun/2004   


2.小さなアルファベット

いわゆる論理的メソッドというものは組み合わせメソッドと同じである。それは文字とか語とか文というものを組み合わせ的に分析することによって、形式言語を探求する。これは論理の大部分へのもっとも共通したアプローチである。それがどうやって働くかという人工的な説明をしよう。
 形式言語は、文の集合を出力する文機械、演算する機械、電子タイプライターelectronic typewriterのようなものである。そうしたタイプライターのデザインを記述するときの強調点は、それを作り上げる電線やトランジスターにあるのではなくて、それが充足する仕様【特性】specificationsのリストにある。仕様はとても単純で、エレクトロニクスの奇蹟に溢れる今日では、どんな技術者もそれらを充足する機械を構築するいことができることは明らかであると門外漢ですら思うだろうし、実際そうである。


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 考えるべき電子タイプライラーの仕様は四つの主要なものからなっている。字と語と文と真理である。(これらは特別な技術用語ではない−ただたんに、これから後の、四つの複雑化のレベルに対して読者に注意してもらおうというだけである。)語は字からなる。文は語からなり、真は特殊な文である。語や文や真理の定義は、典型的に、(i)基礎的データ、(ii)古いデータを新しくまとめるための指示という点から発生論的に与えられる。究極的に機械がオペレイショナルになるときには、GO と書かれたボタンがあるだろう。そのボタンが押されると、機械は諸真理を印刷し始めるが、それはすべての真理であり、あらかじめ配分された(たとえばアルファベティカルに)オーダーでの真理以外の何ものでもない。
 構築中の電子タイプライターのアルファベットは四つの字からなる。

D E A N



これらが或る固定されたオーダーで配列されているとしてみよう(アルファベティカルは良い)。このアルファベットと動き方の指示を持つタイプライターは、さらなる構造がなければ、興味深いものを産出しない。GO ボタンが押されても、アルファベットに関わるありとある(無限の)辞書以上に想像的なことは何もしない。それが取りかかるやり方はこのようなものである。すべての一文字の語列stringを印刷し、すべての二文字の語列を印刷し、すべての三文字の語列を印刷し、などなど。こうして、GO という言葉で機械は印刷するだろう(それが動いている間供給される巻きテープの上に)。

AAADAEANDADD
DEDN...AAAAADAAEAANADAADD...


 この出力の十分に網羅的な性格をしのぐのは、その単調さだけである。

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Subject 1.数えるか考えるか
Author イストラン [ 3345 to イストラン ]  7/23/Thu/2004   



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論理学とは何か?



1.数えるか考えるか

「幾何学」はもともと土地の測量に対して言われた語である、と辞書は言う。しかし今日、ナイル川の洪水によって境界が曖昧になった土地の区画を回復する術を教えてくれるという希望を持って幾何学に近づく学生はいないし、一時しのぎの演繹や労の多い演算に関わる恐れによって、幾何学という主題から反発を食らう数学的純粋主義者もいない。幾何学の内容は純粋数学になり、幾何学の方法は純粋に数学的になった。
 「論理学 logic」というのは、言葉と理性に関わる、と辞書は言う。それは今でも明らかにそうだ。多くの学生は思考の法則の神秘を哲学的に洞察するという望みを持って論理学の勉強に接近し、また多くの数学者は、論理学自体はメタ数学と呼ぶ、この衒学的かつ人工的なテクニックと彼らがみなすものの存在を前にして不快感を感じている。論理学の内容は文と演繹であるように見え、論理学の方法は計数的(数えること)かつ組み合わせ的(配合すること)であるように見える。古典的解析学者とホモロジー的代数学者はそうした成り行きを懐疑的に見て、論理学上のたまに見られる壮大な突破を不承不承、困惑しながら賞賛する。
 組み合わせ的計数的証明はエレガントなものになりうる。が、まれにである。1025人のテニスプレイヤーという平凡な問題を例に考えよう。数学心を持つ読者は、この有名な問題を聞いたことがなくても、即座にその数に警戒するだろう。何かあるものを、それが何でも2倍しつづけた者は、1024が210であることを知っている。すべて2である10個の約数の積である。だから知っている者は、問題文の中に 1+210 のような数があるということが解の強いヒントであることが分かっている。もしかすると、そしてこれは問題文が全部読まれる前に推測されうるが、この解は何かを10回2倍すること、あるいは半分にすることに依存しているということはありうる。


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もっと知っている者は、数はヒントではなく罠であると認知するかも知れない。想像してみよう。テニスプレイヤーは大きなトーナメントをやろうとしている。彼らは可能な限り組を作るように籤を引く。そして最初のラウンドでは余りの者は参加せず、組になったプレイヤーたちが勝負する。次のラウンドでは最初のラウンドの勝者だけが参加するが、そこに前の余った者が加わる。手続きは一回目のラウンドと同じである。組になりランダムにゲームをする。もしいれば新しい余りの者が参加せずに待つことになる。規則が要求するのは、この手続きが何度も繰り返され、団体のチャンピオンが選ばれるまで続くということである。この意味でチャンピオンは厳密には他のすべての者を負かしたわけではない。しかし彼は仲間のプレイヤーのそれぞれについて、自分はしかじかの者を負かしたし、その者は誰かを負かしたし、...、その誰かは誰かを負かし、その誰かはあのプレイヤーを負かしたのだ、と言うことができる。質問はこうである。トーナメント全体のすべてのラウンドで、どれだけの試合がなされたのだろうか?
 この問題にはいくつかの攻略法があるが、もっとも素朴なものでさえうまく行く。それによると、最初のラウンドでは512の試合があり(というのは1025が奇数であり、512は1024の半分であるから)、二番目のラウンドでは256の試合があり(というのは最初のラウンドの512人の勝者と、余った者と合わせると513人になるが、それはまた奇数であり、512の半分は256であるから)、などである。この「など」が、512と256の後、128, 64, 32, 16, 8, 4, 2, 1と1、となる(最後のラウンドは、たった一つの試合から成るが、もはやあまりの者がいない唯一のラウンドである)。そして必要なことはそれらを加え合わせることだけである。これは紙と鉛筆を使って数秒でできる簡単なことである。答えは(だから問題の解は)1024である。
 数学的な学生は少し違ったやり方をするかも知れない。先に言っておいたように、この問題は反復される半分ということに関わっていると彼らは素早く認知するだろう。そこで加え合わさなくてはならない数は、9番目から1番目まで−いや、9番目から0番目まで!−続く2のパワー[累乗るいじょうべき]であり、それに最後の1が加わる。この最後の1は明らかに悪意のある出題者が1024ではなくて1025を使って解答者を混乱させようとしたことによるものだ。したがって、彼らは(足し算をすることなく)512、256, ...、8、4, 2、そして1が1023になり、あまりの1を加えて総計1024になることを知るだろう。
 この学生の解答について問題があるとしたら、それはあまりに特殊だということである。テニスプレイヤーの数が1025ではなく1000だったとしたら、学生は素朴な門外漢と同じ程度にうまくいかない。この解はうまくいく、だがそれは門外漢と同じくインスピレーションによるものではない。それはより短いが、数学者たちの馬鹿にした言葉で言えば、演算的computationalなのだ。


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 この問題にはまたインスピレーションを持つ解答がある。それには演算は要らない。定式もなく、数もない、まったくの純粋思考である。このように推論してみよう。どの試合にも勝者があり敗者がある。敗者は後の試合には参加できない。団体の誰もが、たった一人のチャンピオンを除いて、厳密に一つの試合に負ける。だから、まさに敗者と同じだけの試合があることになり、従って、試合の数は団体のメンバーの数より厳密に一つ少ない。メンバーの数が1025ならば答えは1024である。メンバーの数が1000であったなら、答えは999である。そして明らかに、この純粋思考メソッドはどんな演算もなく、プレイヤーのあらゆる数に対して答えを与える。
 純粋思考はいつでも思考なしの計算よりは良い。純粋思考による問題の解は数えることによる解よりも構成的ではないように見えるかも知れない。しかしそれには普遍化可能という利点があり、たとえば2のパワーの近似を扱うことで得られる利点は幻想であることを示す。
 テニスプレイヤー問題は代数の小宇宙の例であり、数学の美しい断片である。この例は悪い、なぜなら数学者は数えること以外のものにたいてい関心を持つのだが、それは数えることに関わっているからである。またそれが悪いのは、非凡な数学の概念力と知的テクニックをなんら発揮してないからである。また悪いのは、それは応用数学(つまり、「実生活」の問題に適用される数学)を例示しているのであって、純粋数学(つまりテニスプレイヤーやトーナメントや試合ではなく、概念の論理的相互関係に関する問いの蒸留形態)を例示してはいないからである。とはいえ、たとえば、寓話としてならそれはうまくできたものである。水の一滴から大洋を再構成するのに十分な想像力を持つ者なら誰でも、テニスプレイヤーの問題から抽象数学を再構成できる。

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Subject P.ハーモズ 『代数としての論理』
Author イストラン [ 3344 new post ]  7/23/Thu/2004   





この著作は最初の著者の数回にわたる論理学講義のノートをもとにしている。われわれはそれらオリジナルなノートの精神と目的を保とうと試みた。その目的とは何か?それは論理学が代数的観点から見られることができる(そしておそらくそうすべきである)ことを示すということであった。そのように見られると、その多くの主要な概念は、論理的装いで「偽装された」旧友、お馴染みの代数的概念として見えてくる。その上、この主題の主要な定理と代数で良く知られた定理の間の関連はよりいっそう明らかになる。証明ですら、しばしば簡素に得られる。
 われわれは命題計算を扱う。加えて、モナディックな述語計算、すなわち単一の量化子を伴う述語論理を扱うだろう。これによって、この主題のもっとも古い分野の一つの代数的扱いが得られる。それは三段論法である。この分野はたいていの現代数理論理学の扱いでは無視されている。すべての一階述語論理の代数的表現方法は自然にポリヤディック代数の理論に導かれるが、これはもっと進んだ主題である。
 われわれの提示の仕方は広範な聴衆に向けられている。論理学に潜在的関心を持つ数学の「アマチュア」(語のもともとの意味での)から、大学生、プロの数学者、コンピューター科学者、そして哲学者まで。要求されるのは基本的数学的概念の実際の知識だけであり、それらは抽象代数の最初のコースで学ばれるものである。とくに読者は論理学に前もって親しんでおくことは要求されない。

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