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TOPIC 論理学と哲学 『思考の限界を超えて』 G.プリースト
 
Subject 8.7 領域原理
Author イストラン [ 3340 to イストラン ]  7/22/Wed/2004   


8.7 領域原理

第一章の議論のために、オーディナルの構築、(1)(2)(8.1参照)に関する Cantor の正当化への問いへ立ち戻りたいと思う。それぞれのオーディナルを先立つオーディナルの集合と考えていることを想起されたい。原理(1)はこのようになる。どのような集合(オーディナルの) α にとっても、 α∪{ α }という集合が存在する。これはそれ以上の注釈を要しないほど明白に見える。
 状況は(2)では異なる。それが述べていることは、終わりのない進行(オーディナルの)が与えられるならば、それらを含む集合が存在するということである。これは特別に重要な原理である。しかしそれを述べるにあたっては問題がある。この世紀の集合論的還元主義の成功以来、終わりのない進行の概念を理解する自然な仕方は、まさにそれをシリーズ【級数】として、つまりある種の集合として理解することであった。


124

この理解の上で先の原理を理解することはトートロジー的である。しかし、これは明らかにその意図ではない。
 もしも問題のシーケンスがすでに完成された無限(一つの集合)として理解されるべきではないならば、それは生成、つまり潜在的無限という状態にあるものとして理解されるべきである。そして、進行のメンバーを含む集合について語ることは、まさにかくて生成される(現実的)無限について語ることである。したがって、この原理は、

あらゆる潜在的無限にとって、対応する現実的無限が存在する

ということになるのである。Hallett((1984), p.7)に従って、これを 領域原理 Domain Principle と呼ぼう。私はそれを、全体化は概念的に避けられないというカントの洞察(6.1)として受け取る。とはいえ、Kant がなんとか達成したものよりはるかに満足しうる形で述べられると思う。
 しかし、潜在的無限とは厳密に何か?そのアイディアは直観的に明らかである。(それは第二章からずっとつき合ってきたものである。)その上、伝統的に潜在的無限には問題はないと考えられてきた。それは問題になる現実的無限とペアになっている要素である。したがって、現代数学で現実的無限の概念が比較的良く理解されている(どんな無限集合も現実の無限である)ということは皮肉なことである。われわれを待ち受けているのは(Hart(1976)が観察するように)、潜在的無限の本性の正確な分析である。ここでそれを提示することはしない。17 われわれの目的にとっては、直観レヴェルにとどめておくことで十分である。
 それが他の何であろうとも、潜在的無限はある種の変化しうる量であり、その変化はあらかじめ割り当てられた境界を越えていくことができる。 Cantor はこのように言っている(Hallett(1984), p.12)。

人が規定されていない、 変化しうる有限の variable finite 量を持つとき、潜在的無限はたいてい目撃されている。それはすべての限界を超えて増大するか...どんな有限の小さい限界の下にも減少するかである...もっと一般的に言えば、数え切れない多くの規定を持つことができる 規定されない undetermined 量が問題となっているときにはいつでも、 潜在的無限 Potential-Infinite について私は語っているのである。

対応する現実的無限は、反対に(同書)、

一方で 変化可能でなく not variable 、むしろそのすべての部分で固定され−真正の定項−、規定された量[として]理解されるべきものであり、しかし同時に、大きさにおいて、同じ種類の あらゆる有限の量 [つまり、あらかじめ割り当てられた境界]を超える。


 17 増大する領域の可能世界を使用するという示唆は11.2節で見ることができる。Hart(1975-6)はこの概念の正確な理解を二つ提示している。一つは11.2節のものとよく似ている。もう一つは本来のクラスと単純に同一視するというものである(それもまた11章で見ることになる。私はこの考えには疑いを持っている。というのは、対応する現実的無限を持つ潜在的無限は まったく存在しない と言っているからである。これは伝統的概念の妥当な解釈としては強すぎる。たとえば、潜在的無限 としての qua 自然数というものを概念化することは可能であるに違いない。

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Subject 8.6  Cantor の絶対、マークU
Author イストラン [ 3320 to イストラン ]  7/17/Fri/2004   


8.6 カントールの絶対、マークU

8.2でなされた絶対に関する Cantor からの引用はすべて(神に言及するものは除いて)、パラドックスが発見される(1880年代)前からのものである。パラドックスを知った後、 Cantor は絶対的無限の彼の説明を改訂した。それはいかなる二つの集合もサイズに関して比較しえることを証明する試みの内でであった。絶対的無限 On はこの証明で核心的な役割を持つ。とくに、その或る性質は重要な数学的役割を持っている。絶対的無限は すべての 数学的規定を超えているという主張は捨てられなくてはならなかった。
 絶対に関する彼の説明がとくにパラドックスを避けるためには改訂されていないという事実にもかかわらず、 Cantor はその改訂がパラドックスから解放されている説明を与えることを望んだ。(当然、自分の新しい数学が認知を求めて戦っているという文脈では、整合性は彼にとって非常に重要だった。14 ) この節では、どのようにして彼がこのことを達成しようと望んだのかを見ることにする。
 この頃までに、集合論的用語で考えることは Cantor のアプローチの統合的部分となっていた。それによって、彼は二つの種類のコレクション、整合的なそれと非整合的なそれとを区別することができるようになった。非整合的なコレクションとは、それらが「統一体unity」を持つと仮定することが矛盾に至るようなものである。それらは絶対的な無限である。それらすべては同じカーディナルサイズを持つ(つまり On のサイズ)。それはいかなる整合的なコレクションよりも大きい。Dedekind への手紙ではこのように言っている( Cantor(1899) , p.114)。

事物の規定された多様性multiplicity(システム、全体性)の概念から出発するならば、私が発見したように、二つの種類の多様性を考えることが必要です。...その要素の すべて が「一緒になっている」という想定が或る統一に至るというような、だから「一つの限定されたもの」としての、統一体としての多様性を考えることは不可能であるような、そうした多様性であるかも知れません。そうした多様性を私は 絶対的に無限な あるいは 絶対的に非整合的な多様性 と呼びます。
たとえば、「考えられるうるものの総体totality」はそうした多様性です...
それに対して、多様性の要素の総体が矛盾なしに「一緒になっている」ものと考えられ、だから「一つのもの」へと一緒に集められうるというようなものとしても考えらます。それを 整合的多様性 あるいは「集合」と呼びます。
二つの等価な多様性は双方とも「集合」であるか、または双方とも非整合的です。


この整合的と非整合的多様性の区別はあきらかにパラドックスに由来している。。しかしどのようにしてこれがパラドックスを避ける手助けとなるのだろうか?
 答えは上の引用文からは明らかではない。On が非整合的な多様性であることを証明するためにブラリ−フォルティのパラドックスを使用しているが、驚くべき事に、 Cantor は手紙の中でこの問題を提起してもいない。彼にとっては On は良くオーダーされているが、それが非整合的な多様性であるという事実は、それがオーディナルではないと考えているように見える(あるいは、正確に言えば、それはオーディナルを持っていないと考えていたようだ。なぜなら、先立つすべてのオーディナルの集合とオーディナルを同一視するという von Neumann のカラクリdodgeを彼は使っていないからである。)どうしてこうなるかは明らかではない。


14 Dauben(1979), pp.128ff 参照。
15 とはいえ、興味深いことだが、1890年に、Schröder はパラドックスから独立に同じ区別をしていた。これは van Heijenoort の Cantor(1899)への入門書による。


123

 Jourdain へ宛てた後の手紙の中にある指摘によって光が当てられる。そこで彼はこう言っている(Hallett(1984), p.286)。

非整合的な多様性は、一つの 全体 whole として理解されえず、一つのもの として考えることができないのだから、多様性の要素として見ることはできません。

ここで背景となっている想定は明らかに正しい。何かをコレクションのメンバーであると考えることは、 結果的に ipso facto それを統一体と考えることである。だから、非整合的な多様性が統一体でありえないとしたら、それは何かのメンバーであることもありえない。そこで On はオーディナルではありえない、つまり、すべてのオーディナルのコレクションの中にはないのである。それが非整合的な総体であるということは、それが何かのメンバーになりうる候補ではないということを意味する。
 このことは、どこで矛盾に向かう議論が阻止されるかということを示唆するかもしれない。しかしそれはパラドックスに対する満足すべき解答を与えない。というのは、すべての問いを答えないままにしておくからである。たとえば、なぜ すべての 絶対的な無限のコレクションは矛盾なしの統一体として考えることが不可能なのだろうか。なぜ On と同じカーディナルサイズを持つことが絶対的無限であることの判断基準であるのか、など。
 これらのことや似たような問題をここでは追求しない。なぜなら Cantor はそれ以上考えを発展させなかったからである。多くの人たちは、整合的非整合的多様性という Cantor の区別を、von Neumann の集合と本来のクラスとの区別の最初の分節であるとみなしてきた。これがそうであるか否かはそれとして、von Neumann の区別は Cantor の萌芽的解決の核心的な相を確かに体現している(本来のクラスはメンバーにはなりえない。すべては同じサイズを持つ。)し、はるかに明晰に分節されている。この種の解決に関するさらなるコメントが有益になされている。そこでこの話題は後の章で von Neumann に出会うときまでこのままにしておこう。

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Subject 8.5 カントとカントール
Author イストラン [ 3310 to イストラン ]  7/15/Wed/2004   


8.5 カントとカントール

この種のパラドックスは絶対的無限に関わっている。だから Cantor はそれらを絶対的無限のパラドックスと呼ぶ。それらはまさにカントの二律背反antinomiesと同じ構造を持っている。このことを見るためには、6.7で私が要約したように、それらを要約するだけでよい。表6で、比較のために、 第五アンチノミー(6.9) を挿入しておく。その等価形態における矛盾を引用する。(さしあたってジェネレイター列の角括弧への記載は無視してもらいたい。)思想の概念は集合論に属していないという根拠から、ここで思想が除外されてしまうことを恐れて、集合論がパラドックスを避けんとして去勢される前に指摘しておくが、思想は集合論に属している。関連する構成は本質的に Dedekind が無限集合の実在を証明するために使ったものである。
 それぞれの場合で、リミットは「下から」定義されている。しかし矛盾はそれを「上から」考えることで産出される。すなわち、それぞれの場合で、われわれはリミットがそれ自身統一体unity であるとみなし、その諸性質を指摘する。
 将来の参照のために、少し整理するために脇道にそれる。シーケンスは二つの異なる手続きから生成されるという事情がある。後続者オーディナルでは我々はジェネレイターを適用し、リミットオーディナルではわれわれは集め上げるcollect up。もしもわれわれがわずかに異なったジェネレイターを適用することで後続者を生成するならば、われわれは手続きを統一化uniformできる。On に対しては、いかなるシーケンス x (それが最後のメンバーを持つにせよ持たないにせよ)の後でも次のメンバーを生成する。それは x のすべてのメンバーよりも大きい最小のオーディナルを作ることによってである。これを log(x) と書くことにする。


12 Dedekind(1888)参照。定理66。


121










表6

アンチノミージェネレイターリミット[反]定立

ブラリ−フォルティBurli-Forti+1[log(x)]Onオーディナルである[でない]
ミリマノフMirimanoffのパワー集合[UP(x)]RR の中にある[ない]
第5の思想[t(x)]T...の思想は T の中にある[ない]




R にとっては、シーケンス x の後の次の数が、∪{P(y); yx }というオペレーターを適用することで生成されるのを見るのは難しくない。私はこのことを UP(x) と書く。T にとっては、それが一つのものを持つならば、x の最後のメンバーについての思想、あるいは他の場合には x についての思想 というオペレーターをいつでも適用することによって、シーケンスが産み出される。これは表6のジェネレーター列における括弧つきエントリーを説明する。
 カント的二律背反 と絶対的無限の間の類似性は多くの人びとによって指摘されてきたが、その中には Hesenberg、Zermero、Fraenkel がいる。13 おそらく最もはっきりしたものは Martin によるものである。下から定義することと、上から統一体unityを考えることとの弁証法について語りながら、彼は言っている((1955),p.55)

結論することと新しく始めることの間、全体性を形成することと全体性を新たな要素として使うことの間にあるこの軋轢は、[集合論的]二律背反のアクチュアルな土台である。カント的二律背反との関連を与えるのもこの軋轢である。カントが全く明瞭に見て取ったのは、結論を作ることと結論を超えて進むことの間の反対定立antithesisに二律背反が依っているということだった。原理的に、これはアルキュタスArchytasが分かっていたことであり、彼は世界の果てまで行くことを望みながら、腕を伸ばしていたのである。

 この連関を否定する注釈者たちもいる。たとえば、(Bennett((1974)、p.155)は Martin を批判して、「いかなる意味のある類似性」も、二律背反と集合論的パラドックスの間にはないと言っている。そしてより共感的なHallett((1984)、p.225)は、それでも「カントール的二律背反とカント的二律背反の間の関連は皮相なものでしかない」と結論づけている。カント的論証と 絶対 のパラドックスの論証の詳細の間にある重要な相違を Hallett は指摘している。Bennett は論じていない。結局のところ、両者とも適合するパターンを発見することに失敗しただけである。


13 詳細については、Hallett(1984)、6.2節。

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Subject 8.4 パラドックス
Author イストラン [ 3307 to イストラン ]  7/12/Sun/2004   


8.4 パラドックス


われわれは今やパラドックスの話に戻ることができる。 絶対 の中心にある矛盾は遅かれ早かれ現れ出ようとしていた。事実、発見された多くのパラドックスはすぐに現れた。最初のものは8.2の議論全体の中に潜在している。すべてのオーディナルのコレクション On を考えてみよう。その構造からして、On はオーディナルである。つまり、すべてのオーディナルよりも大きい最小のオーディナルである。だからそれはオーディナルではない。このパラドックスは Burali-Forti によって、1897年に公にされた。とはいえ、明らかに Cantor 自身は一年前にそれを発見していたが、10 文脈上驚くべきことではない。
 もう一つ光があたった矛盾の例はさしあたって十分なものである。これは Mirimanoff 11 によって発見されたパラドックス説である。空集合から始めて、後続の段階にパワー集合を適用し、限界段階に積み上げながら、われわれは超限シーケンスを産み出す。すなわち、限界段階で先立つ段階のユニオンを作る。これをシーケンス R の全ての集合のユニオンと呼ぼう。


10 参照、Hallett(1984), p.74。
11 同上、4.4節


120

 現代集合論では、R は 累積的ヒエラルキー cumulative hierarchy と呼ばれ(シーケンスのあらゆるメンバーが後のメンバーの本来的下位集合であることが示せるからである)、構成の段階は ランク ranks と呼ばれる。R は重要な性質を持っている。まず、その中のどのものもその下位集合である。(なぜなら、そのメンバーはより低いランクを持つからである。)次に、...x2 x1 x0 であるような(有限ないし無限の)いかなるシーケンス x0、x1、x2、...も 後退 regress と呼ぼう。そして、 x からのいかなる無限後退も存在しないとき、集合 x は 良く基礎づけられている well founded と呼ぶ。累積的ヒエラルキーのメンバーはすべて良く基礎づけられている。実は累積的ヒエラルキーはすべての良く基礎づけられた集合だけを含むのである。
 さて R を考えよう。そのすべてのメンバーは良く基礎づけられているのだから、それもまた良く基礎づけられている。だからそれは R の中にある。しかし後に続くものは無限の後退...R R R R であるから、それは良く基礎づけられてはいない。したがってそれは R の中にはない。
 上の双方の矛盾ともお馴染みのパターンに適合する。オーディナルや累積的ヒエラルキーの上昇は単純な無限生成素infinity generatorによって遂行される(一を加えるか、パワー集合を取るか)。そうしてリミットオーディナルへと集まることによって、超限の中へと反復する。矛盾は極限の行動に関わる。このようにしてすべてのものの集まり、On と R が産み出される。On はオーディナルでありかつそうではない。R は R の中にあり、かつそうではない。

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Subject 8.3 対角線化
Author イストラン [ 3304 to イストラン ]  7/7/Tue/2004   


8.3 対角線化diagonalisation


それは対角線化である。まず場面を設定しよう。オーディナル数(つまり、オーダーを指示する数)を超限にまで拡大することに意味があるとして、次なる問いは、カーディナル数(つまり、大きさを指示する数)を拡大することに意味があるか、ということである。このことをするために、われわれはサイズ−比較を必要とする。 Cantor 、そして同時に Frege はこのように示唆した。二つの集合、 x と y は、それらのメンバーが一対一に組となるpaired offことができるとき、そのときに限り、 同じカーディナルサイズを持つ( x y )。すなわち、 x の各々のメンバーを y のメンバーにマップする関数が存在する。



7 Hallett(1984), p.58
8 Hallett(1984), p.47)自身は、この種の状況は「確かに或る緊張が存在する」ものであると言っている。これはかなり控えめな言い方である。


118

次に、集合 x は、 x の下位集合として y と同じサイズの集合を持つとき、そのときに限り、 少なくとも y と同じぐらい大きい ( x c y )。(「c」はこのオーダーリングがカーディナリティオーダリングであることを想起させるためのもので、これはオーディナルのオーダリングとは異なる。) x は、x c y であり、かつ x y でないとき、そのときに限り、 y より大きい (x >c y。)サイズのこの定義が、特殊事例としての有限のコレクションのためのカーディナルサイズの観念を捉えるのを見るのは難しくない。それらがサイズ−オーダリングに関して人が望むすべての性質を持つのを示すこともできる。9
 明らかに、増大するサイズの有限な集合が存在する。さらにまた明らかに、自然数(ω)のコレクションはいかなる有限集合よりも大きい。集合は、それが ω と同じサイズのとき、 可付番 denumerable (あるいは、 可算的に無限 countably infinte )と呼ばれる。独創的な証明で、 Cantor はすべての実数のコレクションが可付番ではないことを示した(Hallett(1984), pp.75f.)。そこから即座にこれが ω より多きいということになる。次の問いは、最大サイズの集合が存在するかどうかである。彼の初期の証明を一般化することで、 Cantor はそれが存在しないということを示した。どのようなコレクションにとっても、それより大きいコレクションが存在する。これが Cantor の定理 と呼ばれているものである。
 証明は当然のことながら有名であるが、反復に値する。 x が集合ならば、 x の パワー集合 power-set、P(x) は、 x の全ての下位集合subsetの集合である。そして P(x) c x である。というのはわれわれは x のあらゆるメンバー y を、 P(x) における集合{ y }と一対一に対にすることができるからである。巧妙な部分は、 x P(x) ではないということを示すことである。
  x から P(x) への一対一の相関 f があるとしよう。x に属していて、f がそれらに割り当てる集合 のメンバーではないすべてのものの集合、つまり{ y x; y f(y) } を考えよう。これを z とする。明らかに、 z は x の下位集合である。そしてまた P(x) の中にある。したがって、z = f(w) であるような x のメンバー w が存在する。そこで、



w f(w)iff  w z
iff  w { y x; y f(y) }
iff  w f(w)         (w x  なので)


このように、 背理法 reductio によって、そうした f が存在しないことになる。
 この構成は「対角線化diagonalizaion」と呼ばれる。なぜそうなるのかまだはっきりしないかもしれないが、それを理解するのは難しくはない。われわれは(良く−)オーダーされたものとして、 x のメンバーを考えることができる。たとえば、 x0、 x1、 x2 ... xα ...である(このリストは超限リストであるかもしれず、最後のメンバーはないかもしれないが、このことは重要ではない)。それが存在すると想定してみると、対応するシーケンス、 f(x0)、 f(x1)、 f(x2) ... f(xα) ...は P(x) のあらゆるメンバーを尽くしているrun through。したがって、或る(無限かもしれない)マトリックスのエントリーで「真(T)」ないし「偽(F)」を単純に挿入することにより、 x のメンバーが P(x) のメンバーであるか否かに関する情報をコード化することができる。表5はこのことの例示的説明である。最初の行によれば、 x0 は f(x0)、 f(x2) のメンバーであるが、f(x1)や f(xα)のメンバーではない、など。


9 オーダリングが推移的であることは容易に見てとれる。より困難なのは、それが部分オーダリングpartial orderingであることを示すことである。(これは本質的には Schröder-Bernstein の定理である。)選択公理を使用すれば、それが全オーダリングtotal orderingであることを示すことができる(つまり、どのような二つの集合もサイズで比較できる)。もっとも、 Cantor 自身はこの事実を満足しうる仕方ではっきりさせることはしなかった。


119


表5

f(x0)f(x1)f(x2)...f(xα)...

x0......
x1......
x2......
......
......
xα......
......
......



 さて、上の集合 z がどう定義されているかというと、何かあるもの y がその中にあるときに言うことによってである。これはマトリックスの対角線上のメンバーを構成することでなされる(つまり、斜字体の部分である)。これらは y f(y)という条件に対応している。そしてわれわれは単純にそこでのエントリーを否定する(つまり、 y f(y) という条件を適用する)。x0 f(x0) であるから集合 x0 は z から外れ、これは z が f(x0) ではないことを確証する。x1 f(x1) であるから、集合 x1 は z の中にある。だから z は f(x1) ではない。以下同様。そこで、われわれは z がこのリストにはまったく存在しないことを確証する。しかしそうであるのだから、 仮定により 、矛盾が生じる。
  Cantor の証明の精髄は以下の点にある。ある種の対象のリストが与えられたとせよ(この場合は x の下位集合)。われわれはこの種の新しい対象を定義する構成constructionを持つ(この場合は z )。それはリスト上の各々の対象と同一である可能性をシステマティックに破壊することによる。新しい対象はそのリストから「対角線化し出るdiagonalise out」と言える。

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Subject 8.2  Cantor の絶対、基準T[編集:7/1]
Author イストラン [ 3298 to イストラン ]  7/2/Thu/2004   


8.2  Cantor の絶対、基準Tmark I

次なる問いは−明白なものだが−、オーディナル自体の進行がどれほど進むのかということである。この答えは「無際限に[無限定に]indefinitely」というものである。そしてこれがそれ自体少し無限定であると感じるならば、そうである。しかしそれは誰にとってもなしえる最善のものである! Cantor が言うには、それは絶対的な無限にまで進むのである( ω のような相対的無限に対して)。この節では、 Cantor が 絶対 について言わなければならなかったことを最初に見てみよう。
 そもそもの始めから、 Cantor は超限的な無限と絶対的な無限を区別していた。この区別の根拠は、いかなる超限的な量にとっても、より大きなものが、ただし 絶対 にまで至らないものが存在するということである。彼はこんな風に言う(Hallett(1984)), p.41)

 ここでわれわれは 基本的な 区別をしなければならない。
 Ua 増大しうる顕在的−無限actual-infinite、あるいは 超限 transfinite
 Ub 増大しえない顕在的−無限actual-infinite、あるいは 絶対 Absolute

これが意味することを理解するために、典型的な超限的量が、8.1 で生成されたような(非−有限の)オーディナルであることに注意しよう。そうしたオーディナルにはどんなものでもより大きいものが存在するということを想起されたい。




4 Cantor 自身の言葉;Dauben(1979), p.98 を見よ。

5 Zermelo-Franekel 集合論でのこの事実の証明は、代置の公理 Axiom of Replacement を必要とする。



116

こうして生成されたオーディナルの総体は、他方では、絶対的な無限であり、それはもっと大きくはできないものである。 Cantor が別のところで言うように(Hallett(1984), p.44)

その形成と形の充満を持つ 超限的なもの は、必然的に 絶対 を指示する。これは「真の無限」であり、その大きさは増大も減少も不可能であり、したがって量的には一つの絶対的な最大absolute maximumと見なされる。

 この引用から明らかなように、 絶対 とは、先立つ世代の哲学者たちを関わらせたまさに無限なのである。超限的なものとは、いわゆる有限と 絶対 との間に生じる中間地帯である。この存在は非常に重要な発見であるが、無限の実存と本性に関する議論が進む限り、 絶対的な非関与性 absolute irrelevancy である。6
 絶対的な無限について、 Cantor は何を言わなければならなかったのだろうか。始まりとして、プライヴェイトには、絶対的な無限に関して非常に熱心に語るのを常としていた。(Dauben(1979), p.13)。

有限なものと超限なものすべてを乗り越えるものは...単一の完全に個体的な統一 unity であり、すべてのものが含まれ、人間悟性には了解不能の「 絶対 」を包含する。これは「純粋行為Actus Purissimus」であり、多くの者によって「神」と呼ばれる。

明らかに、神秘主義ではないにせよ、神学が登場している。無限とともに、 絶対の最大 、神、了解不能性を引き入れることによって、 Cantor はここで Cusanus を強く想起させる。(1.8, 1.9を参照)
 もっと抑制された公の宣言では、神学的つながりは進められていない。しかし了解不能性の主張は確かに存在する。オーディナルの増大に関して語りながら、彼は言う(Hallett(1984), p.13)。

私は疑いないと思っている。こうしてわれわれは、克服し難い障碍に到達することは決してなく、先へと押し広げるが、しかしまた 絶対 の近似的了解ですら決して到達できない。 絶対 はただ認知できるだけであり、決して知られることはなく、それは近似的にすら不可能である。

 不寛容な仕方で読もう。この文章はまったく自己反駁的である。 Cantor が自分は 絶対 についてものを言うことができると考えているのであれば、彼は少なくとも語られるべきなのはまさにそれなのだと考えたに違いない。だから少なくともそれについて多くのことを知っていたに違いない。もしも 絶対(上に与えられたような)についての自分の定義がその近似的説明ですら与えないというのであれば、われわれは彼が何について語っているのか途方にくれるのである。しかし、これらの一般的主張で彼が言っていることは、思うに何かしら、より一般的ではない。 絶対 が知り得ないものであると彼が言うとき、 絶対 は数学的に非規定的なものであるということが意味されている。他のところで言うように(Hallett(1984), p.13)、それは


6 伝統的な無限と Cantor 的絶対の類似は Maddy(1983) に指摘されている。Moore(1989),pp.198f. もまた、無限の古代的問題が 絶対 において再生されていると指摘している。


116

どのようにしても足されたり減らされたりできない。だから量的には絶対的な最大として見られる。或る意味で、それは人間の理解力を超えている。そして特に数学的規定を超えている。

この引用もまた、自己−不整合であるように見える。もしも 絶対 が量的に見られるのであれば、数学的規定を超えているということはありそうにない。
 この不整合に時間を費やす価値はない。それらの指摘は形成途上の思想以上のものにはならなかったし、 絶対 に関する考えられた理論として目指されているわけでもなかった(少なくともこの段階では)。その代わり、 Cantor の思想におけるはるかに基本的な矛盾を考えたい。それは超限と絶対的無限の間の彼の区別を完璧に切り取るundercutものである。すべてのオーディナルを考えよう。 Cantor の生成原理(2)が述べているのは、どのような限定された境界のない序数の継続にとっても、それらの数のリミットである一つのオーディナルが存在するということである。さて、すべてのオーディナルのシーケンスは確かにオーディナルの限定された無境界のシーケンスである。そこで、原理によれば、それらすべてよりも大きな最小のオーディナルが存在する。 von Neumann のトリックにより、これはすべてのオーディナルの集合 On 、絶対的無限の範型paradigmである。かくて、この絶対的無限は他のリミットオーディナルと厳密に同じ仕方で確保される。そうしたものとして、それらと違いはない。とくに、原理(1)を適用することによって、われわれはオーディナル On+1 を作ることができる。それは On より大きい。絶対的無限は、したがって増大させることが できる 。 Cantor の超限と絶対的無限の間の区別は(あるいは最低に見積もっても、それを引き出す仕方は)崩壊する。
 絶対的無限は最終の上限upper limit、究極の上界upper boundであると想定されている。しかし、原理(2)の意図はまさに、 Cantor が言うように、「あらゆる障碍を打ち破る能力を我々に与える」ことである。7 これら二つの観念は、だから完全に矛盾している。この状況で、先の世代が悩んだ無限に関する矛盾とまさしく同じ矛盾にぶつかる(2.6参照)。つまり無限は、より大きなものが不可能であるが、それでもより大きなものが存在する、というようなことである。そしてそこに、われわれは多くの重要なパラドックスの種を見るのである。これらのことに少し話を進めるが、しかしまず、 Cantor の技術的作業のもう一つの側面を見ておきたい。



7 Hallett(1984), p.58

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Subject 8.絶対的な無限 Absolute Infinity
Author イストラン [ 3295 to イストラン ]  6/30/Tue/2004   

Beyond the Limits of Thoughts, G.Priest,1995(2002)




113







8 絶対的な無限







導入

前の章で、われわれは無限に関するヘーゲルの核心的アイディアを見た。ヘーゲル哲学は概して後続する哲学者たちに深い陶酔と影響を与えた。しかし何らかの理由で、彼の無限に関するアイディアは全く忘れ去られた。さらなる進展は、ほとんど100年を待たなくてはならなかった。そしてそれがやって来たとき、まったく異なった方向からやって来たのであって、ヘーゲルは驚いたであろう。これは集合論の基礎に関する Cantor の仕事であった。
  Cantor はこれまで見てきた人たちのような哲学者ではなかった。しかし無限についてのわれわれの理解に対して彼が寄与したものは、おろらくそれ以前とそれ以降のいかなる人物よりも大きい。彼はほとんど独力で複雑で美しい形を発見したのだが、それはそれまで形がないものと考えられていた。この章では、彼の著作について考えることにする。
 私は Cantor の無限に関する著作すべてを取り上げるつもりはない。この本のテーマに関するものに限ることにする。まず、彼の謂う超限的シークゥエンスの考えを見ることから始めよう。それから対角線論法の主題に移る。そして絶対的無限のパラドックスとそれらに対する Cantor の対応を見る。最後に、後の章の準備のため、潜在的無限と顕在的無限に関する彼の注意を見ることにしよう。
 この章と、第三部の他の章では、他の章よりも題材がもっとテクニカルである。総じて私はそれが標準となっているテクニカルな証明に行くつもりはない。調べることができるたくさんの教科書がある。1 しかし、この領野に不慣れな人たちが議論を辿っていけるように、テクニカルな詳細を十分に与える。そして、できうる限り、非論理学者たちに分かるようなやり方でするつもりである。


8.1 序数的なものThe ordinals

この著作では、これまでのところ、われわれが扱ってきたシークェンスは主としてω−シークゥエンスであった。つまり、自然数と同じ形のシークゥエンスである。何故かというと、 Cantor 以前に知られていた唯一のものだからである。彼の偉業の一つは、そうしたシークゥエンスが超限的な氷山のほんの一角にすぎないと理解したことである。


1 たとえば、Fraenkel, Bar-Hillel, Levy(1973)Bell and Machover(1977) のような素晴らしいテキストがある。



114

数のシークェンスから始めよう。有限のシークゥエンスは十分お馴染みである。


0, 1
0, 1, 2
0, 1, 2, 3



もっとも単純な無限のシークェンスが
  0, 1, 2, 3...
であることから、 Cantor はこのシークェンスのようなシークェンスを考えることがまったく良いセンスであると理解した。ただし、すべての後に最後の要素を持つということを除いて。

0, 1, 2, 3...ω

始めはこれらの要素はなんらかの操 作Operation 2 を指し示すものであると彼は考え、だから ω というのは操作0, 1, 2などの後に即座に遂行される操作の指示であると考えていた。二つか三つのそうした操作さえ存在する。3

0, 1, 2, 3...ω, ω+1
0, 1, 2, 3...ω, ω+1, ω+2

であるか、またはさらに多くの

0, 1, 2, 3...ω, ω+1, ω+2...

であるか、または

0, 1, 2, 3...ω, ω+1, ω+2...2ω, 2ω+1, 2ω+2...

であるか、または順序数倍した

0...ω...2ω...3ω...

である。さらにわれわれは、これらすべての後に、別の数であるシークェンスを続けることもできる。

0...ω...2ω...3ω...ω

などなど。これらの進行は 序数 ordinals と呼ばれる。
 序数が二つの原理から生成されることは理解できる。それを Cantor は次のように列挙した(Hallet(1984),p.49)。


2 参照:Dauben(1979), pp.80f
3 「+」や他の算術操作がここで意味していることに気をつかわないでもらいたい。直観的理解でまったく十分である。



115

(1)α が序数であるならば、 α の直接の後続者である次の数 α+1が存在する。

(2)定義された...[オーディナル]数の確定したdefinite継続が存在し、それらに対してはいかなる最大の数もないならば、新しい数が創造され...それはそれらの数の リミット limit として考えられ、つまりそれら全ての数よりも大きい次の数として定義される。4


原理(2)は リミット オーディナル limit ordinals :2ω, 3 ω, ω を与えるために適用される。原理(1)は他のもの、 後続者オーディナル successor ordinals つまり α+1 の形態のものを与えるために適用される。
 良い−順序づけwell-orderings という観点から、われわれは Cantor 自身がしようとしたように、もう少し厳密にすることができる。出発点として、( Cantor というよりは von Neumann に負う )トリックを使おう。それはそれぞれのオーディナルを先立つオーディナルのコレクションと同一視するということである。( だから、0は単純に空集合である。1は{0}であり、2は{0, 1}であり、 ω は{0, 1, 2, 3, ...}であり、 ω+1は{0, 1, 2, ... ω }である、など。 )対象のコレクションは或る順序づけordering < によって、 良く−順序づけられて well-ordered いる。その際の必要十分条件は、対象の各々の下位−コレクションsub-collection<−最小<-leastである要素を持つこと、すなわちその下位−コレクションの他のすべての要素より小さい要素を持つことである。反対に、あらゆる良く−順序づけられた集合はオーディナルと同じ形を持つ(つまりオーディナルに対して順序−同型order-isomorphicである。)ことを示すのはそんなに困難ではない。5 (このオーディナルは順序づけの オーディナル タイプ ordinal type と呼ばれる。)良く−順序づけられた集合は、したがって、 ω−シークェンスの単純な超限的一般化である。




4 Cantor 自身の言葉;Dauben(1979), p.98 を見よ。
5 Zermelo-Franekel 集合論でのこの事実の証明は、代置の公理 Axiom of Replacement を必要とする。

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Subject 第三部
Author イストラン [ 3294 to イストラン ]  6/30/Tue/2004   

Beyond the Limits of Thoughts, G.Priest,1995(2002)





第3部


自己−指示の限界とパラドックス


論理的なものLogistics はもはや不毛ではない、それは二律背反を生み出す。

Henri Poincaré , 『科学と方法』

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Subject Re: 論理学と哲学 『思考の限界を超えて』 G.プリースト
Author イストラン [ 3273 to イストラン ]  5/30/Sun/2004   

 なんといっても各節が短いのがいいですね。誰か論評を求む。もしかしてALRDTPさんはこの本のことを念頭においてカントが廃れないと発言していたのか、どっかで。

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Subject 第五部 ポスト テルミナム
Author イストラン [ 3272 to イストラン ]  5/30/Sun/2004   

 第五部 ポスト テルミナム

 15 ハイデガーと存在の文法
   1 ハイデガーと文法
   2 存在の問い
   3 存在の信じられない抹消不能性
   4 無
   5 存在と無
   6 言語を伸び拡げる
   7 記述の限界
   8 アレテイアと非−矛盾の法則

 16 ナーガールジュナと思考の限界(Jay Garfieldと)
   1 ナーガールジュナへようこそ
   2 囲い込みと思考の限界
   3 規約的かつ究極的な現実
   4 ナーガールジュナと非−矛盾の法則
   5 究極の真理とは究極の真理などないということだ
   6 肯定的、否定的テトラレンマ、規約的かつ究極的な観点
   7 すべてのものは一つの本性をもつ、つまり本性などない
   8 ナーガールジュナと囲い込み
   9 ナーガールジュナのパラドックスと似たもの、似てないもの

 17 さらなる反省
   1 ディアレーテイズム Dialetheism
   2 囲い込みスキーム
   3 領域原理
   4 問題を再生産する別の解
   5 バークリーのパラドックス
   6 統一形式解の原理
   7 言語とその意味
   8 存在論的転回

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Subject 第四部 言語とその限界
Author イストラン [ 3271 to イストラン ]  5/30/Sun/2004   


 第四部 言語とその限界

 12 思考の統一
    序
    1 フレーゲ、概念と客観
    2 概念
    3 ウィトゲンシュタインと思考の限界
    4 言語と世界
    5 言うことと見せること
    6 意味の決定性
    7 構造的「事実」
    8 言えないことを言うこと
    9 はしご
    結論

 13 翻訳、指示、意味
    序
    1 クワインと博物館の神話
    2 翻訳の非決定性
    3 表現の限界を超えて
    4 指示の非決定性
    5 相対的指示
    6 ディヴィッドソン、真理、意味
    7 意味論的囲い込みと矛盾
    結論

 14 意識、規則、 差違 differance
    序
    1 ウィトゲンシュタインと名前
    2 規則に従うこと
    3 言語ゲーム
    4 デリダ、現前について
    5 ...そして不在
    6 脱構築
    7 クラテュロスの逆襲
    8 差違 differance
    9 ...そして囲い込み
    結論

  結論

  囲い込みへのこだわり
    1 パターン
    2 限定定理 Limitative theorems
    3 グリムの宇宙
    4 ヘーゲルと囲い込み

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Subject 第三部 限界と自己言及のパラドックス
Author イストラン [ 3270 to イストラン ]  5/30/Sun/2004   


 第三部 限界と自己言及のパラドックス

  8 絶対的無限
    序
    1 序数
    2 カントールの絶対、マークT
    3 対角化
    4 パラドックス
    5 カントとカントール
    6 カントールの絶対、マークU
    7 領域の原理
    8 ...そしてその擁護
    結論

  9 悪循環
    序
    1 ラッセルのパラドックス
    2 ラッセルのスキーム
    3 定義可能性
    4 囲い込みスキーム
    5 囲い込みスキーム再論
    6 ラッセルのVCPとオーダーの理論
    7 体系的曖昧性
    8 問題を再生産する解
    結論

 10 パラメトリゼイション
    序
    1 ラムジーの二つの族
    2 グループBii
    3 囲い込みと表現の限界
    4 グループB:ラムジーの解
    5 ...そしてその非妥当性
    6 パラメトリゼーション一般
    7 ...そしてその非妥当性
    結論

 11 集合とクラス
    序
    1 ツェルメロの解:ZF
    2 直観主義者と様相ZF
    3 無限定に外延的な全体性
    4 フォン・ノイマンと本来的クラス
    5 統一形式解 uniform solution の原理
    6 ...そして囲い込みパラドックス
    7 統一理論
    8 カリーのパラドックス
    結論

 12 テクニカルな補遺
    序
    1 LPの意味論
    2 崩壊するレンマ
    3 囲い込みの最初のモデル
    4 より複雑なモデル
    結論

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Subject 第二部 カントとヘーゲルの思考における限界
Author イストラン [ 3269 to イストラン ]  5/30/Sun/2004   


 第二部 カントとヘーゲルの思考における限界

  5 ヌーメナとカテゴリー
    序
    1 フェノメナとヌーメナ
    2 判断のカテゴリー
    3 カテゴリーの適用可能性
    4 因果づけの法則
    5 ヌーメナの矛盾的本性
    6 アナロジー
    結論

  6 カントのアンチノミー
    序
    1 超越論的幻想
    2 アンチノミー、その抽象的構造
    3 第一アンチノミー、宇宙の始まり
    4 第二アンチノミー、物質の可分性
    5 第三アンチノミー、因果の鎖
    6 第四アンチノミー、必然的存在者
    7 カントの解決
    8 評価
    9 第五アンチノミー、思考の限界
    結論

  7 ヘーゲルの無限
    序
    1 ヘーゲルのカント批判
    2 世界の矛盾
    3 ヘーゲルの弁証法
    4 偽の無限
    5 真の無限
    結論

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トピック= 3267 宛先= 3267 同宛先= 3268 3270 3271 3272 3273 返信=
 
Subject 第一部 前カント哲学の思考の限界
Author イストラン [ 3268 to イストラン ]  5/30/Sun/2004   


 限界を超えて
  1 思考の限界
  2 限界の歴史
  3 この本の構造
  4 ...そして論理学の役割

 第一部 前カント哲学の思考の限界
  1 表現の限界
    序
    1 流れ
    2 クラテュロスに抗するプラトン
    3 意味の安定性
    4 実体と変化に関するアリストテレス
    5 第一質料
    6 第一質料に関する問題
    7 主体と形式
    8 神について、クザーヌス
    9 客体とカテゴリー
    結論

  2 反復の限界
    序
    1 生成された無限
    2 ...アリストテレスにおける
    3 時間
    4 運動
    5 連続体
    6 無限の部分
    7 アクゥイナスの宇宙論的議論
    8 ライプニッツの修復
    9 充足理由の原理
    結論

  3 認知の限界
    序
    1 懐疑論の多様性
    2 懐疑主義についてのセクストゥスの議論
    3 論証の分析
    4 懐疑主義と自己言及
    5 プロタゴラスの相対主義
    6 相対主義のための議論
    7 ソクラテスの攻撃
    8 何ものも真でない
    9 認知とパラドックス
    結論

  4 概念の限界
    序
    1 アンセルムスの存在論的論証
    2 神の思考不可能性
    3 特徴化原理
    4 観念論のためのバークリーの基本論証
    5 分析、段階T
    6 分析、段階U
    7 バークリーの返答
    8 いくつかの反論
    9 バークリーのパラドックス
    結論

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Subject 論理学と哲学 『思考の限界を超えて』 G.プリースト
Author イストラン [ 3267 new post ]  5/30/Sun/2004   

 「論理学と哲学」という名にふさわしいのはこの本かもしれない。


http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0199244219/qid=1085878857/sr=1-3/ref=sr_1_3/104-5715456-3235906?v=glance&s=books

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Complete


Eleutheria ver.1.6 / 2004.12 by www.eleutheria.com