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TOPIC 論理学入門 タルスキー
 
Subject 38.演繹の法則;演繹的学の形式的な性格
Author イストラン [ 3384 to イストラン ]  9/20/Sun/2004   


38.演繹の法則;演繹的学の形式的性格

 *われわれはどんな演繹理論も原初的タームと公理のシステムの上で考える。われわれの考察を単純にするために、この理論は論理だけを前提にすると仮定する。つまり論理だけが与えられた理論に先立つ唯一の理論なのである(参照第36節)。


126

われわれの理論の全ての言明で、原初的タームが全面的に適切な変項で置き換えられると想定してみよう(第37節でのように。さらに単純化するため、定義されたタームを含む定理を無視する)。考察された理論の言明は、原初的タームがそれによって置き換えられるシンボルを自由変項として含み、論理に属す定項以外の定項は含まない、そうした文関数になる。あるものが与えられるならば、それが、われわれの理論の公理すべてを満足するかどうかを見ることができる。あるいは正確に言えば、たった今説明したやり方でこれらの公理から得られる文関数すべてを満足するかどうかを見ることができる(つまり、これらのものの名前や指示が、自由変項の場所に置かれるとき、文関数を真なる文にするかどうかを見ることができる;第2節参照)。もしもそうであることがわかったならば、考察しているものはわれわれの理論の モデル あるいは 公理システムの具体化 を形成する、と言うだろう。またそれらは 演繹理論のモデル そのものを形成するともいうことがある。まったく類似したやり方で、与えられたものがわれわれの理論の公理システムを満足するだけではなく、われわれの理論のどのような他の言明のシステムをも満足するかどうか、したがって、このシステムのモデルを形成するかどうか、これを見ることができる(システムが単一の言明から成っているということは排除されていない)。
 たとえば、与えられた理論の原初的タームが指示するものによって、公理システムの一つのモデルが形成される。というのはすべての公理が真なる文であるとわれわれは想定しているからである。このモデルは、もちろんわれわれの理論のすべての定理を満足する。しかし、われわれの理論の構築に関する限り、このモデルは他のすべてのモデルの間にあって区別される位置を占めてはいない。公理から、このまたはあの定理を演繹するとき、われわれはこのモデルの特別な性質を考えているのではなく、公理であからさまに述べられる、だから公理システムのあらゆるモデルに属するそれらの性質だけを使用している。したがって、われわれの理論の特定の定理のあらゆる証明は、公理システムのあらゆるモデルに拡張され得るし、もはやわれわれの理論には属さず、論理に属したはるかに一般的な論証へと変換され得る(前の節の法則T'やU'のように)。それらは、問題となる定理がわれわれの公理システムのあらゆるモデルで満足される、という事実を確立する。


127

このようにしてわれわれがたどり着いた最終的な結論は、つぎのような形で言い表すことができる。

  与えられた演繹理論のあらゆる定理はこの理論の公理システムのどんなモデルによっても満足される。さらに、論理の枠内で定式化され証明されることができる一つの一般的な言明が、そして問題になっている定理がいかなるそうしたモデルによっても満足されるという事実を確定するような一つの一般的な言明が、あらゆる定理に対応する。

 われわれはここに演繹的学の方法論の領域から一つの一般的な法則を持つことになった。それはもう少し厳密に定式化すれば、 演繹の法則 LAW OF DEDUCTION (または 演繹定理 DEDUCTION THEOREM )として知れらているものである。2
 この法則のとてつもない実践的重要性は、演繹的学の分野を離れずしてすら、個別理論の公理システムの多くのモデルを我々が普通に展開できるという事実から生じる。そうしたモデルに到達するためには、他の演繹理論(それは論理でも論理を前提とする理論でもありうる)から或る種の定項を選び、原初的タームの代わりにそれらを公理の内に置き、こうして得られた文がその他の理論の確証された文になっているということを示せばよい。この場合われわれは、 他の理論の中での、元の理論の公理システムの解釈 を発見した、と言う。(とくに、選ばれた定項が元々考えられた理論に属し、その場合には原初的タームのいくつかは不変のままであるということが起こるかもしれない。そのとき、与えられた公理システムは考察中の理論の枠内で新しい解釈を発見した、と言われる。)われわれはまた、元の理論の諸定理を類似した変形に委ね、全面的に、原初的タームの代わりに、公理の解釈で使用された定項を置くだろう。演繹の法則を土台にして、こうして到達した文が新しい理論の文であることが確証されたことをさらに確かめることができる。われわれはこのことを次のように定式化する。


2 この法則は著者によって一般方法論的公準として定式化され、後に、さまざまな特殊演繹理論のために厳密に証明された。


128

  与えられた公理システムの土台の上で証明されたすべての定理は、そのシステムのいかなる解釈に対しても妥当であり続ける。

これら変換された定理に対して一つ一つ特別な証明を与えることは冗長である。いずれにせよ、それは純粋に機械的な作業となるだろう。なぜならば元々の理論の領野から対応する論証を取ってきて、それを公理と定理について遂行された同じ変換に委ねればよいからである。演繹理論の内でのあらゆる証明は、いわば潜在的には、他の類似した証明を際限なく含んでいるのである。

 上に述べた事実は人間的思考の経済という観点からして演繹理論の大きな価値を示している。それはまた、演繹理論の方法論の中でのさまざまな探求や調査にとっての基礎を確立するという理由だけからしても、射程の長い理論的重要性である。とくに、演繹の法則はすべてのいわゆる 解釈による証明 にとっての理論的基礎である。これまでの節で、われわれはすでにそうした説明の一例に出会っている。この本の第二部では、他の様々な例を目にするだろう。
 正確さという理由のために加えなくてはならないが、ここで素描された考察は論理が前提されている構成を持つ演繹理論になら何でも当てはまる。それに対して、論理自体への適用はここでは論じないいくつかの困難を産み出す。演繹理論が論理だけではなく、他の理論も前提にしているのであれば、上述の定式化のいくつかはもっと複雑な形を取る。

 ここで論じられる方法論的現象の共通の源泉は先の説で指摘された事実であり、つまり、演繹理論を構築する際、われわれは公理の意味を無視し、その形だけを考慮に入れるということである。そのために、人はこの現象に言及するとき、演繹的学とこの学の中にあるすべての推論の純粋に 形式的な性格 について語るのである。
 ときどき、パラドクシカルな誇張された様子で数学の形式的性格を強調する言明を見かけるが、基本的に正しくとも、このような言明は曖昧さと混乱の元である。


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数学的概念には何もはっきりした内容が属しいないだとか、数学ではわれわれは自分が語っていることを実際には知らないだとか、われわれの主張が真であるかどうかにはわれわれは関心がないだとか、そうしたことをときに聞いたり、さらには読むことすらある。そうした判断にはかなり批判的に近づかなければならない。理論を構築しているときに、まるでその学科のタームの意味を理解していないかのように振る舞っているとしても、それはこれらのタームに意味というものを拒否しているのとは全く違う。周知のように、原初的タームに定まった意味を属させることなしに、それらを変項として扱いながら、われわれが演繹理論を発展させることがあるというのは、そうした例である。この場合、われわれはその理論を 形式システム FORMAL SYSTEM として扱っている、と言う。しかしこれは比較的まれな状況であり(第36節で与えられた演繹理論の一般的説明内で考慮されることすらない)、この理論の公理システムのためにいくつかの解釈を与えることが可能であり、つまり、この理論で現れるタームに具体的意味を持たせるいくつかの可能な方法があり、しかしこれらの方法のどれか一つを進んで選ぼうとは思わないときに限り、そうしたことが起こる。他方、一つも解釈を与えることができない形式システムは、おそらく誰の関心も惹かないだろう。

 結論として、数学的学の解釈で或る面白い事例に注意を向けよう。それは第37節で見たものよりもはるかに重要なものである。
 算術の公理システムは幾何学の中で解釈されることができる。任意の直線が与えられたとせよ。その点とその点に関する操作との間の関係を、算術のすべての公理、だからすべての定理を満足するものとして定義することが可能である。そうした関係は数と数に関する操作に関連する関係である。(これは第33節で言及した状況と密接に結びついている。つまり、一本の線のすべての点とすべての数との間にある一対一対応を確立する可能性である。)逆に、幾何学の公理システムも、算術の中で一つの解釈を持つ。この二つの事実の使用は多種多様である。たとえば、幾何学的形態は算術の分野の様々な事実の視覚的イメージを与えるために使われるかもしれない。これはグラフメソッドとして知られている。


130

他方、算術的あるいは代数的方法の助けを借りて幾何学的事実を調べることが可能である。幾何学の特別な分野、解析幾何学として知られているものがあって、それはこのタイプのすべての探求に関わる。
 先に見たように、算術は論理の一部分として作り上げることができる(参照、第26節)。しかし、算術を、その固有の原初的タームと公理に依拠する独立した演繹理論として扱うならば、論理との関係は次のように記述できる。算術は論理の中で一つの解釈を所有する(無限の公理が論理の中に含まれるという理解のもとに。参照第26節)。換言すれば、そうした概念を、算術のすべての公理、だからまたすべての定理を満足するものとして定義することが論理の内で可能である。幾何学が算術の中で一つの解釈を持つということを想起するならば、幾何学もまた論理の中で解釈されうる。これらすべてのことは、方法論的観点からして極度に意義深い事実である。*

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Subject 37.演繹理論のモデルと解釈
Author イストラン [ 3368 to イストラン ]  9/8/Tue/2004   


37.演繹理論のモデルと解釈

 これまでの節で提示された諸原理を一貫して適用した結果、演繹理論はある種の興味深い重要な特質を獲得した。それをこれから述べることにする。我々が論じることになる問いはとても入り組んだ抽象的な性格のものであるから、具体例を手段にして解明してみよう。
 たとえば線分の合同に関する一般的事実に関心があるとしてみよう。そして幾何の断片を特殊演繹理論として構築せんと意図するとしよう。そして変数「 x 」「 y 」「 z 」がそれらの線分を指示するとする。原初的な項として、われわれは「」と「 」というシンボルを選択する。前者は「すべての線分の集合」という語の短縮であり、後者は合同の関係を示している。




1 演繹的な方法は最近の成果であるとは考えられない。すでに、ギリシャの数学者、Euclid (およそ紀元前300年)の『原論 Elements』の中に、上述の方法的原理の観点から望まれるもの以外のものがあまりない幾何学の提示を見る。2200年の間、数学者たちは Euclid の著作に科学的厳密さの理想と原型を見てきた。この分野での本質的な進歩はこの50年ほどの間に起こった。その間に、幾何学と算術という基本的な数学的学を基礎づけることが、数学の今日の方法論のあらゆる要求に従って行われた。この進歩という点でわれわれが負っているテキストには、少なくとも、すでに歴史的重要性を持つ次の二冊がある。イタリアの数学者、論理学者の G.Peano(1858-1932)が編者であり主たる著者である、『数学の定式集 Formulaire de Mathématiques』(Torino 1895-1908)。そして、現代ドイツの大数学者、D.Hilbert の『幾何学の原理 Grundlagen der Geometrie』(Leipzig and Berlin 1899)である。



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だから、

x y


は、

線分 xy は合同である、


と読まれる。さらにわれわれは二つの公理を採用する。

公理T  集合のどの要素 x に関しても、 x x (換言すれば、 あらゆる線分はそれ自身に合同である )。

公理U  集合Sのどの xyz に関しても、 x zy z ならば、 x y (換言すれば、 同じ線分に合同な二つの線分は互いに合同である )。

 これらの公理から、線分の合同に関する様々な定理が導かれる。たとえば、

定理T  集合Sのどの yz に関しても、 y z ならば、 z y

定理U  集合Sのどの xyz に関しても、 x y かつ  y z ならば、 x z

 これらの定理の証明はとてもやさしい。たとえば、最初の定理の証明を素描してみよう。
 公理Uで、「 x 」の代わりに「 z 」をおけば、

集合Sのどの yz に関しても、 z z  かつ  y z  ならば、  z y


この言明の仮定では、

z z


を使っているが、
これは公理Tのもとで疑いなく妥当であり、だから省略することができる。こうしてわれわれは問題の定理に達する。

 この単純な考察に関連して注意しておきたいことがある。
 われわれのミニチュア演繹理論は、原初的な項と公理の都合よく選択されたシステムに依存している。原初的な項によって示されることがらの知識、つまり線分と合同に関する知識はとても包括的であり、採用された公理によっては決して極め尽くされない。


122

しかしこの知識はいわばわれわれの私的な関心事であって、われわれの理論の構成にはいささかの影響も及ぼさない。とくに、公理から定理を導出する際に、なんらこの知識を使うことはなく、あたかも考察で関わってくる概念の内容を、われわれが理解していないかのごとくであり、公理中に表立って主張されていないこの知識について、われわれは何も知らないかのごとくである。よく言われるように、われわれは自分たちが採用する原初的な項の意味を無視し、これらの項がその中で生起する公理の形にだけ、注意を向けるのである。
 このことが意味しているのはとても意義深く興味深い帰結である。われわれの理論中のすべての公理と定理の原初項を、適当な変項で置き換えよ、たとえば、シンボル「」をクラスを指示する「 K 」で、シンボル「」を関係を指示する変項「 R 」で(考察を単純にするために、ここでは定義された項を含む定理は無視する)。われわれの理論の言明はもはや文ではなくなるだろう。しかしそれは自由変項「 K 」と「 R 」を含む文関数であり、一般に、関係 R はクラス K でしかじかの性質を持つという事実を表明する(あるいはもっと正確に言うと、しかじかの関係が KR の間に成立するという事実を表明する。参照第27節)。 たとえば、容易に見てとれるように、公理TTと定理T、Uは、今やクラス K において関係 R がそれぞれ反射的、対称的、推移的であると言うだろう。公理Uはそれに対して我々が特定の名前を持っていない性質を表現している。これをと呼ぶことにすると、それは次のような性質である。

クラス K のいかなる要素、 xyz に関しても、 xRz かつ  yRz ならば、  xRy


 われわれの理論の証明では、線分のクラスの性質や合同の関係はなんら使用せず、諸公理の中で明示された性質や関係を使用するのみであるから、あらゆる証明はとても一般的なものになるが、それはそうした性質を持つどのようなクラスや関係 R にも適用することができるからである。証明のそうした一般化の結果として、われわれの理論のどんな定理をも、論理学の領域、つまり関係の理論に属する一般的法則に相関させることができる。そしてその一般的法則が述べることは、クラス K で反射的であり、性質を持つあらゆる関係 R はまた、考察された定理で表現された性質を持っている、ということである。


123

だから、たとえば、関係に関する次の二つの法則は、定理Tと定理Uに照応している。

 T′.  クラス K で反射的であり、そのクラスで性質を持つあらゆる関係 R は、また K において対称的である。

 U′.  クラス K で反射的であり、そのクラスで性質を持つあらゆる関係 R は、また K において推移的である。

 或る関係 R が、或るクラス K で反射的であり、性質を持つならば、 KR は一緒になって、われわれの理論の モデル または 公理システムの実現 を形成する、と言う。あるいはもっと簡単に、それらは公理を満足する、と言う。たとえば公理システムの一つのモデルは線分のクラスと合同の関係によって形成される。つまり、原初項 primitive terms によって示されるものによって形成される。もちろん、このモデルはまた公理から演繹されるすべての定理を満足する。(厳密には、理論の言明自体ではなく、原初項を変項で置き換えることで、それらから得られる文関数を一つのモデルが満足する、と言うべきである。) しかしながら、この特定のモデルは理論の構築の際に何ら特権的な役割を演じるわけではない。反対に、T′やU′のような普遍的論理法則を土台にして、公理システムのいかなるモデルもそれら公理から演繹されるすべての定理を満足するという一般的結論にわれわれは達する。この事実からして、われわれの理論の公理システムのモデルは、 理論のモデル 自体として言われもする。
 論理学や数学の領域ですら、われわれの公理システムのために多くの異なったモデルを提示することができる。そうした一つのモデルのために、他のどんな演繹理論の枠内でも我々は、たとえば「」と「」(前者はクラスを、後者は関係を指示する)という二つの定項を選び、そのシステムのすべての箇所で、「」を「」に置き換え、「」を「」に置き換え、最終的に、こうして得られた文が新しい理論の定理であり、また公理でもあり得ることを示す。このことに成功するならば、 他の演繹理論の内で公理システムの解釈 を発見したとわれわれは言い、また同時に、われわれの 演繹理論 全体を発見したと言う。公理の中でばかりではなく、われわれの理論のすべての定理で、原初項「」と「」を「」と「」で置き換えるならば、さらに進んで、こうして得られるすべての文は新しい演繹理論の真なる文となることを確かめることができる。


124

 ここでわれわれのミニチュア理論の具体的な解釈例を二つ挙げることにする。公理Tと公理Uで、シンボル「」を普遍のクラス「」で置き換え、シンボル「」を同一性の記号「=」で置き換えてみよう。即座に見てとれるように、公理は論理法則となるだろう(実際、わずかに変様した形での第17節の法則UとXである)。普遍のクラスと同一性の関係は、したがって、公理システムのモデルを構成し、われわれの理論は論理の中に一つの解釈を発見したのだ。このように、シンボル「」と「」をシンボル「」と「=」で置き換えた定理Tと定理Uにおいて、われわれは真なる論理文に到達したと確信する(実際、またお馴染みのものを目にする−第17節の法則Vと法則Wを参照)。
 次に、すべての数の集合、あるいは数の他の集合を、「」で指示することによって考えてみよう。二つの数 xy を、それらの差 xy が整数であるならば、等しいと呼ぼう、シンボルでは、

xy


となる。そこで、たとえば、

≡ 5


であるが、他方、

3 ≡ 2


となるわけではない。
双方の公理で原初項が「」と「≡」によって置き換えられるならば、結果として生じる文が算術の真なる定理であることは容易に示すことができる。このようにして、われわれの理論は算術の中で一つの解釈を持つことになる。なぜなら、数 と等価関係 ≡ は公理システムのモデルを構成するからである。そしてまた、なんら特別の推論をすることなく、定理Tと定理Uは、それらが公理として同じ変形に服するならば、真なる算術の言明となることをわれわれは確信する。

 上で述べた一般的な事実は方法的探求の中で多くの興味深い応用を持っている。それをここではたった一つの例を使って説明しよう。これらの事実を土台にして、ある種の文がわれわれの公理システムから演繹することができないということを証明する仕方を示すことにする。


125

 次の文 A (われわれの理論内でのみの論理的タームと原初項で定式化されている)を考えてみよう。

 A.集合の二つの要素 xy があり、その集合に関しては x y ではない (他の言葉で言えば、合同ではない二つの線分がある)。

 この文は疑いなく真であるように見える。にも拘わらず、公理TとUを土台にしてそれを証明しようと試みても、いかなる肯定的結果も与えられない。そこで文Aはわれわれの公理からは全く演繹できないという推測が生じる。この推測を確かめるために、われわれは次のように論じる。文Aがわれわれの公理システムを土台にして証明可能であるならば、すでにわかっているように、このシステムのあらゆるモデルがその文を満足するだろう。したがって、文Aを満足しないような公理システムのモデルを示すことに成功するならば、この文は公理Tと公理Uからは演繹できないことを証明することになる。さて、そうしたモデルを作ることはなんら難しくないということがわかる。たとえば、すべての整数の集合 (あるいは他の整数の集合、数0と1だけから成る集合)と上に述べた数の間の合同関係 ≡ を考えよう。先の注意から、われわれにはすでにわかっていることがある。集合 と関係 ≡ はわれわれの公理システムのモデルを構成しているということである。しかし文 A はこのモデルを満足しない。というのも等価でない二つの整数 xy 、つまりその差が整数でない二つの整数 xy は存在しないからである。この目的に適した他のモデルは個体の任意のクラスと任意の個体間に成立する普遍関係 によって作られる。
 今適用した推論のタイプは モデルの提示による、または解釈による証明の方法 として知られている。

 ここで論じた事実と概念は、本質的な変更なしに、他の演繹理論に関係する。次節では、それらの演繹理論を全く一般的なやり方で述べることにしよう。

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Subject Y 演繹的な方法について
Author イストラン [ 3360 to イストラン ]  8/5/Wed/2004   


・Y・



演繹的な方法について



36. 演繹的理論の基礎的構成要素−原始的かつ定義されたターム、公理、定理

 論理学と数学の構築に適用される基礎的原理の説明をしよう。これらの原理を詳しく分析し、批判的に評価することは特別な学の仕事であり、それは 演繹的学の方法論 または 数学の方法論 と呼ばれる。学を探求したり推し進めたりしようとする者なら誰にとっても、その学の構築で仕様される方法を意識することは疑いなく重要なことである。数学の場合には、その方法の知識は特に広範囲な重要性を持つ。というのはそうした知識がないと、数学の本性を理解することが不可能だからである。
 我々が近づこうとする原理は、論理学と数学で得られる知識のために、可能な限り最も高い明晰さと確実性を確かなものとするという目的のために役立つ。この観点からして、手続きの方法は理想的なものとなるだろう。もしもそれによってこの学に現れるあらゆる表現の意味を我々が説明し、その個々の主張を正当化できるならばである。この理想が決して実現できないと理解するのは容易である。実際、或る表現の意味を説明しようとするならば、必然的に人は他の表現を使用し、次にこれらの表現の意味を、悪循環に陥らずに説明するためには、さらなる表現に依拠しなくてはならない、というふうに続く。かくてわれわれは決して終わらないプロセスの始まりを持つが、そのプロセスは比喩的に言うと、 無限後退regressus in infinitum と見なせるだろう。


118

学の主張される言明を正当化することに関する限り、状況はまったく類似している。なぜなら、言明の妥当性を確立するためには、他の言明に言及する必要があり、(悪循環が生じないならば)これは再び無限後退に至るからである。
 到達不能の理想と実現しうる可能性との間で妥協することにより、数学的学の構築に関する或る種の原理が出現した。それは次のように描写できるだろう。
 与えられた学を構築することに着手するにあたって、まずこの学の小さい一群の表現を区別する。それらは直接的に理解可能と見えるものである。この表現の群れをわれわれは 原始的ターム PRIMITIVE TERMS または 定義されていないターム UNDIFINED TERMS と呼ぶ。そしてわれわれはこれらの意味を説明せずに使用する。同時に、次の原理を採用する。考察中の学の他の表現は、その意味が原始的タームの助けを借りて初めて規定されていなければ、使用しない。また前もって説明された意味を持つ表現の助けを借りて規定されていなければ、これら他の表現を使用しない。このようにして或るタームの意味を規定する文は 定義 と呼ばれる。そしてそこからその意味が規定される表現自体は、これに応じて 定義されたターム として知られる。
 われわれは考察中の学の主張された言明についても同様に進める。われわれにとって論拠が明らかであるような言明はいわゆる 原始的言明 PRIMITIVE STATEMENTS または 公理 AXIOMS として選ばれる(これはしばしば 公準 POSTULATE とも呼ばれるが、ここでの術語的意味では公準という語を使わないことにする)。われわれはこれらをその妥当性をなんら確証せずに真と受け入れる。他方、その妥当性を確証することに成功する限り、ほかのどの言明も真として受け入れることにわれわれは同意し、そのようにしながら、公理、定義、その妥当性が前もって確証されている言明以外のものは何も使用しないことにわれわれは同意する。周知のように、こうして確証される文は 証明された言明 または 定理 THEOREMS と呼ばれる。そしてそれらを確証するプロセスは 証明 PROOF と呼ばれる。もっと一般的に言えば、もしも論理学や数学の中で、一つの言明を他の言明を土台にして確証するとき、われわれはこのプロセスを 導出 DERIVATION または 演繹 DEDUCTION と言い、このように確証された言明を他の言明から 導出された または 演繹された 、あるいはその 帰結 CONSEQUENCE と言う。


119

 現代の数学的論理学は、たった今述べた原理にしたがって構築される学の一つである。この重要な事実にしかるべき卓越性を与えることは、この著作の狭い枠組みの中では不可能である。他の学がこれらの原理に従って構築されているならば、それはすでに論理の土台 basis の上にである。論理は、いわばすでに前提されている。このことが意味するのは、論理の表現と法則すべてが、構築中の学の原始的タームと公理と等しい足場の上で扱われるということである。たとえば、論理的タームは公理、定理、定義の形成で、その意味を説明することなく使用され、論理的法則はその妥当性をまず確証することなく証明で適用される。学の構築では、ときに論理を使用することに利便性があるばかりではなく、前もって構築された或る数学的学を同じ意味で前提することが便利でさえある。簡便さのために、これらの理論は論理と一緒になって、 与えられた学に先立つ学 と見なすことができる。論理自体はそれに先立つ学を何も前提にしない。特別な数学的学としての算術を構築する際に、論理はそれに先立つ唯一の学として前提される。他方、幾何学の場合には、論理だけではなく、算術もまた前提することが適当−不可欠というわけではないが−と言える。
 最後の指摘に関連して、上で述べた原理の形成では、修正する必要がある。或る学の構築に着手する前に、与えられた学に先立つ学が列挙されるべきである。表現を定義や言明の証明に関するすべての要求は、しかしながら、構築中の学に特殊なそれら表現や言明に限られている。こうしたものは先立つ学には属さない。

 上に説明された原理に厳密に合致して一つの学を構築する際の方法は、 演繹的な方法 DEDUCTIVE METHOD として知られている。


120

そしてこのやり方で構築される学は 演繹的な理論 DEDUCTIVE THEORIES と呼ばれる。1 演繹的な方法は、それによって数学的学が他のすべての学から区別される唯一本質的な特質であるということがますます共通の見方となってきた。あらゆる数学的な学が演繹的な理論であるばかりではなく、逆にあらゆる演繹的な理論は数学的学である(この見方によれば、演繹的論理もまた数学的学としてみなされる)。この見方を擁護する根拠についての議論にはここでは立ち入らない。ただ、それを支持する考慮すべき論を進めることが可能だということを指摘しておく。


1 演繹的な方法は最近の成果であるとは考えられない。すでに、ギリシャの数学者、Euclid (およそ紀元前300年)の『原論 Elements』の中に、上述の方法的原理の観点から望まれるもの以外のものがあまりない幾何学の提示を見る。2200年の間、数学者たちは Euclid の著作に科学的厳密さの理想と原型を見てきた。この分野での本質的な進歩はこの50年ほどの間に起こった。その間に、幾何学と算術という基本的な数学的学を基礎づけることが、数学の今日の方法論のあらゆる要求に従って行われた。この進歩という点でわれわれが負っているテキストには、少なくとも、すでに歴史的重要性を持つ次の二冊がある。イタリアの数学者、論理学者の G.Peano(1858-1932)が編者であり主たる著者である、『数学の定式集 Formulaire de Mathématiques』(Torino 1895-1908)。そして、現代ドイツの大数学者、D.Hilbert の『幾何学の原理 Grundlagen der Geometrie』(Leipzig and Berlin 1899)である。

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Subject 35.他の学に対する論理学の重要性
Author イストラン [ 3359 to イストラン ]  8/5/Wed/2004   


35.他の学に対する論理学の重要性

 われわれは現代論理学のもっとも重要な概念を論じてきた。そうすることで、これらの概念に関するいくつかの法則(とても少ない)に親しんだ。しかし科学的論証の中で入手する全ての論理的概念や法則の完全なリストを作ることはわれわれの意図ではなかった。ちなみに、他の学の研究や推進に関する限り、それは必要ではない。とくに論理学と密接な関係にある数学でもそうである。論理学は他の学の基底と考えられる。その理由はもっぱら、あらゆる論証において、われわれは論理学の分野から取られた概念を使用し、あらゆる正しい推論は、その学の法則に合致して進むということである。


109

しかし、このことは論理の完全な知識が正しい思考の必要条件だということを意味しない。一般に推論で誤りを犯さない専門の数学者でさえ、通常は、かれらが意識しないで使う全ての論理法則を意識するという程度にまで論理を知っていることはない。まったく同様に、論理の知識は正しく思考し、推論することを望む者なら誰にとってもかなり実践的な重要性を持っていることは疑いない。論理はこの結実のための内的かつ獲得された能力を高め、とくに批判的な場合には、間違いを犯すことを防ぐ。とくに数学的理論の構成に関する限り、理論的観点からはるかに重要な役割を演じる。この問題は次章で論じられる。

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Subject 38.多−項関係
Author イストラン [ 3347 to イストラン ]  7/26/Sun/2004   


34.多−項関係;いくつかの変項と操作の関数

 これまでのところ、われわれは 二−項 TWO-TERMED (または 二元 BINARY関係 をもっぱら考察してきた。つまり二つの事物の間の関係である。しかし 三−項 THREE-TERMED (または 三元 TERNARY の、また一般的に 多−項関係 MANY-TERMED RELATIONS にいろいろな学で遭遇することはしばしばある。



2 ここで論じられた無限のクラスの性質に初めて注意したのは、ドイツの哲学者かつ数学者である B.Bolzano(1781-1848)である。その著書 Paradoxien des Unendlichen (Leibzig 1851、死後に出版)に、我々は現代集合論の最初の始まりを見る。上述の性質は、有限のクラスと無限のクラスの厳密な定義を形にするため、後に、Peirce(p.14の脚注2を参照)他によって使用された。


106

たとえば幾何学では間の関係が三−項関係の典型例を成している。それは一つの線の三つの点の間に成立し、

ABC


という定式によってシンボリカルに表現され、

B は点 A と点 C の間に位置する


と読まれる。算術もまた三−項関係の多くの例を提供する。三つの数に関する例で十分であろう。最初の数が他の二つの数の和であるという事実の内には、

xyz


という関係があり、同様に、

xyz


xyz


xyz


という定式で表現されるような関係もある。

四−項関係の例としては、最初の二つの点の距離が残りの二つの点の距離と等しいときに限り点 ABCD の間に成立する関係を挙げておこう。別の言い方をすれば、線分 ABCD が合同であるときに成立する関係である。他の例は、数 xyzt の間に、

xyzt


という比率をなすときに成立する関係である。

 多項関係の全体の中で特別に重要なものは多項関数関係であり、それは二項関数関係に対応している。簡素さを考慮して、われわれはこのタイプの三項関係の議論に限ることにしよう。いかなる二つのもの、 yz に対して、多くとも一つのもの xyz に或る関係を持って対応するとき、 R三項関数関係 THREE-TERMED FUNCTIONAL RELATION と呼ばれる。


107

この独自に規定されたものは、それが存在するならば、

Ry , z


あるいは、

y R z


というシンボルで指示される。

(それは二項関係の理論でこれが持ったのとは異なる意味を持つと想定されている。)だから、 x が関数関係 R において yz に対するということを表現する目的で、われわれは二つの定式を自由に使用できる。

xRy , z )  と   xy R z


 この二重のシンボリズムに対応して、二重の表現様式がある。

xRy , z


という記法を使うときには、 R関数 と呼ばれる。二項関数関係と多項関数関係を区別するためには、前者の場合、 一つの変項の関数 または 一つの引数を持つ関数 について語り、後者の場合、 二つの変項を持つ関数 または 二つの引数を持つ関数 について語る。同様に、四項関数関係は 三つの変項を持つ関数 または 三つの引数を持つ関数 と呼ばれる。引数が任意の個数である関数を指示するために、「 f 」、「 g 」を使って、次のように定式化するのが慣習となっている。

xfy , z


これは、

x は関数 f の値であり、それは引数値 yz に相関している


と読まれる。

xy R z


というシンボリズムが使われるときには、関係 R は通常 演算 OPERATION として言及され、もっと特殊には、 二項演算 として言われ、上の定式は次のように読まれる。

xyz になされた演算 R の結果である




108

文字「 R 」の変わりに、この場合は他の文字、とくに「 O 」を使うようになっている。加法、減法、乗法、除法という基本的な算術的演算が例として使えるだろう。そして、またクラスや関係(25節28節を参照)の加法や乗法もそうである。二変数の関数と二元演算という二つの概念の内容は厳密に同じものである。おそらく以下のことは注記しておくべきだろう。一変数の関数はときに演算、とくに 一元演算UNARY OPERATIONS と呼ばれる。たとえば、クラスの計算では、クラスの補を作ることはたいてい関数ではなく、演算と考えられている。

 多項関係はいろいろな学で重要な役割をもっている。これらの関係の一般理論はいまだその始まりの段階にある。関係や関係の理論の話となると、人はたいてい二項関係を頭に思い描いてきた。もっと詳しい研究は三項関係の特殊なカテゴリーについてのみなされてきた。つまり、その原型が通常の算術的加法とわれわれは考える二元演算のカテゴリーである。これらの探求は群論として知られる特殊な数学の分野の枠組みでなされている。この本の第二部で、われわれは群論由来の概念と、二元演算の或る一般的特性に親しむことになる。

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Subject 33.一−一関係あるいは双一的関数、一対一対応
Author イストラン [ 3306 to イストラン ]  7/12/Sun/2004   


33.一−一関係あるいは双一的biunique関数、一対一対応


 関数的関係の中で、いわゆる 一−一関係 あるいは 双一的 BIUNIQUE 関数 には特別の注意が払われるべきである。そうした関数的関係では、あらゆる引数値 y にただ一つの関数値 y が相関しているばかりでなく、反対に、ただ一つの引数値 y があらゆる関数値 x に対応している。それらはまた、その関係自体と同様にその逆 converses(第28節参照)が一−多であるという性質を持つ関係としても定義されるだろう。
  f が双一的関数であり、 K がその引数値の任意のクラスであり、 LK の要素と相関する関数値のクラスであるとすると、関数 f一対一の仕方で クラス K をクラス L へマップする あるいは、それは KL の要素の間に一対一対応を確立する と言う。

 例を少し考察しよう。点 O から発する半直線があり、長さの単位を示す線分を持っているとしよう。さらに Y がこの半直線の任意の点であるとする。すると線分 OY は計られる。つまり線分の長さと呼ばれる非負の数 x を相関させることができる。この数は点 Y の位置にだけ依存しているのだから、われわれはそれをシンボル「 fY)」で指示することができる。したがって、

xfY




104

しかし反対に、あらゆる非負の数 x に対して、唯一の仕方で規定される線分 OY を考察中の半直線の上に構成することができる。その長さは x に等しい。換言すれば、あらゆる x に対して、

xfY


であるような点 Y が厳密に一つ対応する。

したがって関数 f双一的biuniqueである。それは半直線の点と非負の数の間に一対一の対応を確立する(そして線全体の点とすべての実数の間に一対一対応を確立するのも同じく単純であるだろう)。もう一つの例は、

x = −y


によって表現される関係である。これは双一的関数である。なぜならあらゆる数 x に対して、与えられた定式を満足するただ一つの数 y があるからである。この関数が一対一の仕方ですべての負の数の集合上にすべての正の数の集合をマップすることは即座に見てとれる。最後の例として、次の定式が表現する関係を考察しよう。

x = 2y


ここでシンボル「 y 」は自然数だけを指示するものと想定する。再び我々は双一的関数を得る。それはあらゆる自然数に偶数 2y を相関させる。逆に、あらゆる偶数の自然数に対して、2yx であるような、つまり y = 1/2 x というただ一つの数 y が対応する。このように関数は任意の自然数と偶数の自然数の間に一対一対応を確立する。双一的関数と一対一マッピングの数多くの例は幾何学の分野から引くことができる(対称的symmetricマッピング、同一線上のcollinearマッピングなど)。

 *一対一対応の概念を自由にできるという状況により、以前は正確にではなく直観的に説明した或る用語の厳密な定義をすることができる。それは同数のequinumerousクラス(第26節参照)の概念である。 KL の二つのクラスの要素間に一対一対応を確立する関数が存在するときに、われわれは KL が同数であると言おう。


105

この定義の上で、先に考察した事例と連関して、任意の半直線のすべての点の集合がすべての非負の数の集合と同数であるということが帰結する。同様に、正の数の集合集合と負の数の集合は同数であり、同じことはすべての自然数の集合とすべての偶数の自然数の集合にも成立する。最後の例はとりわけ示唆に富んでいる。なぜならそれはクラスというものがそれ自身の本来のサブクラスと同数であるということを示しているからである。多くの読者にとって、この事実は一見して非常にパラドクシカルであるように見えるかもしれない。通常は、有限のクラスがそれらの要素の数に関して比較されるからである。そして実体、有限のクラスはそのどの部分よりも大きな基数を持っている。自然数の集合は無限であり、もっぱら有限のクラスに関して観察した性質を無限のクラスに認めることは決してできないということを意に留めるならば、パラドックスは消える。部分と同数である自然数の集合の性質は、すべての無限のクラスに共有されているということは指摘しておくに値する。この性質は、したがって、無限のクラスに特徴的なものであり、それらを有限のクラスから見分けることを可能にする。そして有限のクラスはその本来のサブクラスのどれとも同数ではないクラスとして定義され得る。(しかし、この定義はある種の論理的困難を含んでいる。それに関する議論にはわれわれはここでは入らない。)2


2 ここで論じられた無限のクラスの性質に初めて注意したのは、ドイツの哲学者かつ数学者である B.Bolzano(1781-1848)である。その著書 Paradoxien des Unendlichen (Leibzig 1851、死後に出版)に、我々は現代集合論の最初の始まりを見る。上述の性質は、有限のクラスと無限のクラスの厳密な定義を形にするため、後に、Peirce(p.14の脚注2を参照)他によって使用された。

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Subject 32.一−多関係あるいは関数
Author イストラン [ 3301 to イストラン ]  7/5/Sun/2004   


32.一−多関係あるいは関数

 われわれは、他の特に重要な関係のカテゴリーを少し詳しく扱うことにする。関係 R は、あらゆる事物 y に対して x R y であるような多くとも一つの事物 x が対応するならば、 一−多関係 あるいは 関数的関係 あるいはたんに 関数 FUNCTION と呼ばれる。この条件は、別の言葉で言えば、

x R y かつ  z R y


という定式が、いつでも

xz



を含意しているということである。関係 R に関する後続者とは、

x R y


のような事物 x が実際に存在するそうした事物 y のことであるが、これは


99

変数値 ARGUMENT VALUES と呼ばれる。先行者は 関数値 FUNCTION VALUES であり、または単純に 関数 R の値 である。 R を人の関数としよう。そして y をその変数値としよう。変数の値 y に対応する関数の値 x は「 Ry )」で表される。したがって、

x R y


という定式を、われわれは

xRy


に置き換える。

とくに数学では、関数的関係を表示するために、「 R 」「 S 」ではなく、「 f 」「 g 」のような文字を使うのが慣習になっている。そこで、

xfy )、    xgy

、...
のような定式を見るわけであるが、たとえば、

xfy


という定式は、以下のように読まれる。

関数 f 変数値 y に対して、値 x を割り当てる(または 相関させる correlate)


または

x は関数 f の値であり、それは変数値 y に対応している(または相関させられている)


(変項「 x 」を変数値を表すために使い、変項「 y 」を関数の値を表すために使う、という別の慣習もある。われわれはこの慣習には従わず、「 x 」と「 y 」を反対の順番で使い続けよう。なぜなら、これが関係の理論で使用される一般的表記に関しては都合が良いからである。)
 多くの代数の基本的教科書では、関数の概念の定義が見られるが、それはここで採用する定義とはまったく異なっている。関数関係はそこでは二つの「変化するvariable」量ないし数の間の関係として説明されている。「独立変数independent variable」とか「従属変数dependent variable」というもので、それは最初のものの変化が二番目のものの変化を生じる限りにおいて、互いに依存している。


100

この種の定義は、今日ではもはや用いられるべきではない。というのは、それらはどんな論理的批判にも耐えることができないからである。それらは「定」量と「変」量の間に区別を設けようとした時代の名残である(第1節参照)。しかし、現代科学の要求に応じようとしつつも、伝統から完全に断絶したくない者は、「引数値argument value」や「関数値function value」の他に、「独立変数の値」とか「従属変数の値」という古い語法と用法を保持している。

 関数的関係の一番単純な例は、同一性の通常の関係が代表している。日常生活からの関数の例として、次の文関数が表す関係を取り上げよう。

xy の父である。



これは関数的関係である。なぜならば、どの人物 y にとっても、 y の父である x というただひとりの人物が存在する。この関係の関数的性格を示すために、上の定式化に「 the 」という語を挿入する。

xy の the 父である。


またこう書くこともできよう。

xy の父と同一である。



元の表現をそのように変化させることは、定冠詞の挿入によって、通常の言語ではまさに次のような移行という目的に役立つ。

x R y


という定式から

xRy


という定式への、われわれのシンボリズムでの移行である。
 関数の概念は、数学的科学ではもっとも重要な役割を持つ。もっぱらある種の関数的関係に専念する高等数学の諸部門がある。しかし、基礎数学でもまた、とくに代数や三角法で、有り余るほどの関数的関係を目にする。


101

例えば、次のような定式で表現される関係、

xy = 5


xy2


x = log10 y


x = sin y



他、多くのものがある。これらの定式の二番目のものをもっと考えてみよう。あらゆる数 y に対して、 xy であるたった一つの数 x が対応している。だからこの定式は、実際に関数的関係を表している。この関数の引数価値は任意の数であるが、関数値は非負の数だけである。もしもこの関数をシンボル「 f 」で表示するならば、

xy


という定式は、

xfy


という定式を想定している。

明らかに、「 x 」と「 y 」はここでは一定の数を指示するシンボルで置き換えることができる。なぜなら、たとえば、

4 = (−2)


では、

4 = f(−2)


が想定され、かくて4は関数 f の値であり、それは引数値の−2と対応しているからである。
 他方、そしてすでに基礎数学では再び、われわれは関数ではない多くの関係に遭遇する。たとえば、より小さいという関係は確かに関数ではない。というのも、あらゆる数 y に対して、

xy


であるような、無限に多くの数 x が存在するからである。

xy = 25


という定式で表現される数 xy の間の関係も関数的関係ではない。


102

なぜならば、一つの同じ数 y に対して、この定式が妥当である二つの異なった数 y が対応するからである。たとえば、数4に対応して、我々は数3と数−3のどちらも持つ。今考察したように、等号で表現され、一つの数 y と二つないしそれ以上の数 x と相関させる数の間の関係は、数学では2値または多値関数と呼ばれることがある(単一価値single-valued関数つまり通常の意味での関数に対して)。しかしながら、少なくとも基礎レヴェルでは、そうした関係を関数と表示するのは適当ではない。これは関数の概念と関係のもっと広い概念との本質的相違を抹消してしまうだけだからである。

 経験的科学への数学の適用に関する限り、関数は特別な意味を持つ。外的世界に現れる二つの量の間の依存性を調べるときにはいつでも、われわれはこの依存性に数学的定式を与えようとしているわけである。それは一方の量を対応する他方の量によって厳密に定めることを可能にしてくれる。そうした定式は、二つの種類の量の間の関数的関係をいつでも表している。例として、物理でよく知られた定式に言及しよう。

s = 16.1 t


これは自由落下する物体が、その落下の時間 t によって踏破する距離 s を表している(その距離はフィートで、その時間は秒で計られたものである)。

 * 関数的関係に関するわれわれの注意の結論として、今考察している関数の概念は第2節から知られている文関数や指示関数の概念とは本質的に異なることを強調しておきたい。厳密に言えば、「文関数」や「指示関数」は論理学や数学の領域には属していない。それらは論理学および数学の言明を構成することに役立つ表現のカテゴリーを表示するが、しかしそれらはそうした言明で扱われる事物を表示しはしないのである(第9節参照)。新しい意味での「関数」という語は、他方、純粋に論理的な性格を持つ表現であって、それは論理学や数学で扱われる事物のある種のタイプを指示する。これらの概念の間には、疑いなく一つのつながりが存在する。


103

それは大ざっぱに言えば次のように説明されるだろう。変項「 x 」がシンボル「=」によって、「 y 」を唯一の変項として含む指示関数、つまり「 y+2y+3 」などに結合されるならば、結果として生じる定式(それは文関数である)は、

xy+2y+3


であるが、これは関数関係を表現している。あるいは換言すれば、この定式を満足するそれらの数 xy だけの間に成立する関係が、新しい意味での関数である。そのために、これらの概念はしばしば混乱している。

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Subject 31.順序づけ関係;他の関係の例
Author イストラン [ 3297 to イストラン ]  7/1/Wed/2004   


31.順序づけ ordering 関係;他の関係の例

 もう一つ他のとてもありふれた関係は、与えられたクラス K において非対称的、推移的、結合された関係となっている種類のものである(それらはまたクラス K において非反射的であるに違いない)。


97

これらの性質を持った関係については、それは クラス K において一つの順序を確立する とわれわれは言う。また、クラス K関係 R によって順序づけられている と言う。たとえば、より小さい smaller という関係(あるいは、時々言われるように、〜より少ない less than という関係)を考えよう。それは数のどんな集合でも非対称的である。なぜなら、 xy がそうした二つの数であり、

xy


ならば、

y x 、 つまり 〜( yx



それは推移的である。というのも、

xy  かつ  yz


という定式は、いつでも

xz


と含意するからである。

最後に、それは結合されている。というのは、どのような二つの区別される数についても、或る数は他の数よりも小さいからである(そしてまた、それは非反射的である。なぜならそれ自身よりも小さい数はないからである)。したがって、数のいかなる集合も、より小さいという関係によって順序づけられている。同様に、より多きいという関係は、数のいかなる集合にとっても、他の関係を表現している。
 さて、より歳取ったという関係を考えてみよう。人間のどの集合においても、この関係が非反射的、非対称的、推移的であることは容易に確かめることができる。しかし、それは必ずしも結合されているというわけではない。もしかすると、その集合はまったく同じ歳の二人の人間を含んでいるかもしれないからである。つまり、同じときに生まれ、だからより年取ったという関係はどの方向にも成立していない。他方、まったく同じ歳の二人の人物がいないような人びとの集合を考えるならば、より歳とったという関係は、その集合で一つの順序を確立している。

 この節や先の節で論じた二つのカテゴリーには属さない関係の多くの事例が知られている。そのような例を少し考えよう。
 差違の関係は事物のいかなる集合においても非反射的である。どのような事物もそれ自体と異なっているということはないからである。それは対称的である。なぜなら、

xy


であるならば、


98

yx


ということになるからである。

しかしそれは推移的ではない。というのは、

xy かつ  y でない z


という定式は、

xz


という定式を含意しないからである。

対して、即座に分かるように、それは結合されている。
 クラスの間の包含の関係は、同一性の法則と三段論法の法則の一つにより(第24節参照)、反射的かつ推移的である。それはさらに、対称的でも非対称的でもない。なぜならば、

KL


という定式は、

LK


という定式を含意も排除もしないからである。(これら二つの定式は、 クラス KL が同一であるとき、かつそのときに限り、同時に満たされる。)最後に、それは結合されてはいないことは容易に見てとれる。かくて、包含の関係はこれまで考察してきた他の関係とはその性質において異なっている。

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Subject 30.反射的、対称的、推移的な関係
Author イストラン [ 3293 to イストラン ]  6/27/Sat/2004   


30.反射的、対称的、推移的な関係


 上述の関係の性質はしばしば群となって現れる。たとえば、反射的、対称的、推移的である関係というのはどこにでもある。このタイプの典型的な例は同一性の関係である。第17節の法則Uはこの関係が反射的であることを表現している。法則Vでは同一性は対称的な関係であり、法則Wによると、推移的である(そしてこのことは第17節でこれらの法則に与えられた名称を説明する)。この種の関係の数ある他の例は幾何学の分野に見られよう。


95

たとえば、合同はすべての線分(あるいは任意の幾何的図形)の集合において反射的な関係である。すべての線分はそれ自身に反射的だからである。それは対称的である。というのは、線分が他の線分に合同であるなら、その他のものは最初のものに対して合同だからである。またそれは推移的である。線分Aが線分Bに、また線分Bが線分Cに合同であるならば、線分Aは線分Cに合同でもある。同じ三つの性質は多角形の間の類似や直線の間の平行(どの線もそれ自身に平行であると仮定して)の関係にある。あるいは、幾何の領域から外へ出ると、人びとの間の等しい年齢や、語の間の同義性の関係にある。
 同時に反射的、対称的、推移的であるあらゆる関係は、なんらかの等性であると考えられる。したがって、そのような関係が二つの事物の間にあると言う代わりに、この意味で、これらの事物はそうした観点において等しいと言うこともできる。あるいはもっと正確に言うならば、これらの事物の或る性質は同一である、と言うことができる。そこで二つの線分が合同であると言う代わりに、または二人の人物は等しく歳をとっているという代わりに、あるいは二つの語は同義であると言う代わりに、線分はその長さにおいて等しく、人びとは同じ歳であり、語の意味は同一である、と言うことができる。

 *例を示すことによって、そうした表現様式の論理的土台をはっきりさせることがいかにして可能かという指示を与えることができる。この目的のために、多角形の類似の関係を考察してみよう。与えられた多角形 P に似たすべての多角形の集合(あるいは少しばかり現代風の用語を使うならば、 p に似ているが、他のものには似ていない全ての多角形に属する共通の性質)を多角形 p の形象 shape としてみよう。そうすると、形象は多角形の或る集合(または多角形の性質;第22節のおしまいの注を参照。)である。類似の関係が反射的、対称的、推移的であるという先に述べた事実を利用して、あらゆる多角形は唯一のそうした集合に属すこと、二つの類似した多角形はいつも同じ集合に属すこと、そして類似していない二つの多角形は異なる集合に属すことを、われわれはたやすく示すことができる。このことから、ただちに二つの言明が出てくる。

多角形 PQ は類似している




96

多角形 PQ は同じ形を持つ ( つまり、多角形 PQ の形は同一である



これら二つの言明は等価である。
 これまでの考察の進展の中で、われわれは類似した手続きを以前一度採用したことがあることに読者はすぐ気がつくだろう。すなわち、第26節で、

クラス KL は同数の構成要素である


という表現から、それと等価な

クラス KL は同じ基数を持つ


という表現に変換したときである。

 同じ手続きが反射的、対称的、推移的関係に適用できるということを示すことは困難ではない。 抽象の原理 PRINCIPAL OF ABSTRACTION と呼ばれる論理法則さえ存在する。それはわれわれが考察してきた手続きのための理論的基礎を与える。しかしここではこの原理の厳密な論述は進めないことにする。*

 これまでのところ、同時に反射的、対称的、推移的である関係の総体を表す普遍的に認められた用語は存在しない。それらは一般的に 等しさ EQUALITY とか 等価性 EQUIVALENCE と呼ばれることがある。しかし 等しさ という語は考察中のカテゴリーの特別な関係のために取っておかれることもある。そして、そうした関係が成立するときに二つの事物は等しいと呼ばれる。たとえば、幾何学では、第19節で指摘したように、合同な線分はしばしば等しい線分と言われる。ここでまた強調しておくが、そうした表現をまったく使わないことが好ましい。それらの使用は曖昧さに通じるだけであって、「等しさ」と「同一性」を同義的なものとして考えるための一致した規約を破ることになる。

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Subject 29.関係が持ついくつかの性質
Author イストラン [ 3291 to イストラン ]  6/17/Wed/2004   


29.関係が持ついくつかの性質


 さてわれわれは関係の理論の一部へと目を転じてみる。その仕事は或る特別な関係を選別し、探求するものであるが、それは他の学、とくに数学でしばしば目にするものである。
 クラス K の関係 R のあらゆる要素 x がそれ自身に関係 R を持つとき、そしてそのときに限り、この関係 R をわれわれは クラス K で反省的 REFLEXIVE と呼ぶ。

x R x


他方、このクラスのいかなる要素もそれ自身に関係 R を持たないとき、

〜( x R x


関係 Rクラス K で非反省的 IRREFLEXIVE と言われる。もしも、クラス K のいかなる二つの要素 xy にとっても、次の定式

x R y


が、いつでも定式

y R x


を含意するならば、関係 Rクラス K で対称的 SYMMETRICAL と呼ばれる。


94

しかしながら、定式

x R y


がいつでも

〜( y R x


を含意するならば、関係 Rクラス K で非対称的 ASSYMETRICAL と言われる。クラス K のいかなる三つの要素、 x y z にとっても

x R y そして  y R z


という状況が

x R z


をいつでも含意するならば、関係 Rクラス K で推移的 TRANSITIVE と呼ばれる。

最後に、クラス K の異なるどのような要素、 xy にとっても、

x R y  そして  y R x


という定式のうち少なくとも一つが成立するならば、つまり K の任意の異なる二つの要素の間に関係 R が存在するならば、その関係は クラス K で結合されている CONNECTED と呼ばれる。
 クラス K が普遍のクラス(あるいはとにかく、我々が関心を抱くに至る学の言説の宇宙−第23節参照)である場合には、我々がたいてい語るのは、クラス K における反省的、対称的、などなどの関係ではなく、もっと短く、ただ単純に、反省的関係、対称的関係などなどである。

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Subject 28.関係の計算
Author イストラン [ 3287 to イストラン ]  6/15/Mon/2004   


28.関係の計算

 関係の理論は数学的論理学の中でもっとも遠くまで発展した部門である。その一部である 関係の計算 はクラスの計算に近く、その主たる対象は操作を支配する形式的法則の確立であり、この操作によって他の関係が与えられたものから構成されるのである。

 関係の計算では、まず最初に、クラスの計算の概念に厳密に類似した一群の概念を考察する。通常それらは同一のシンボルと似たような法則によって表示される。(曖昧さを避けるために、もちろん、関係の計算では異なったシンボルセットを使用することができる。たとえば、クラスの計算のシンボルを取り去り、それぞれにドットを置き換える。)
 関係の計算では、二つの特殊な関係がある。それは 普遍的関係 無の関係 であり、前者はどのような二つの個体間にも成立し、後者は無の間に成立する。
 さらに我々は諸関係の間の様々な諸関係を持っているわけで、たとえば 包含の関係 というものがある。関係 R が関係 S包含 されるとき、

RS


と記号で言う。これは R が二つのものの間に成立するときはいつでも S が同様に成立するということである。または言い換えて、どのような xy に対しても、定式

x R y




x S y


を含むならば、成立するということである。


91

算術からの例を我々は知っている。

xy


ならば、

xy


である。したがって、より小さいという関係は相違の関係の中に含まれる。
 同時に、

RS かつ  SR


ならば、すなわち、関係 RS が同じものの間に成立するのであれば、それらは同一的であり、

RS


である。さらに、 二つの関係 RS の和ないし合一 は以下のようなシンボルになる。

RS


そして、 RS の積ないし交差 は以下のようなシンボルになる。

RS


最初の、 RS は、二つのものの間に、 RS の少なくとも一つが成立するときに、またそのときに限り成立する。言い換えれば、

xRSy


という定式は、

x R y または x S y


という条件と等価である。同様に、二つの関係の積は、「または」の代わりに「かつ」を使うだけで定義される。たとえば、 R が父であることという関係であるならば(つまり、二人の人物 xyxy の父であるときに限り成立する関係)、そして S が母性という関係であるならば、 RS は親性の関係であり、対して RS はこの場合、無の関係 null relation である。
 最終的に我々は 関係 R の否定ないし補 COMPLEMENT を持つことになる。それは

R


と表示される。


92

これは、関係 R が二つの事物の間に成立するとき、そしてそのときに限り成立する。言い換えれば、どのような xy にとっても、

x Ry  と 〜( x R y


とが等価である。関係が定項で示されるならば、その補はしばしば垂直線または斜線をその定項に引くことで表示される。たとえば、< という関係の否定は、「<’」ではなく、「」で表示されることが多い。

 関係の計算では、クラスの計算には類似物のない、まったく新しい概念もまた登場する。
 ここで我々はまず、個体の間の 同一性と差異性 という二つの特殊な関係を取り上げる(ちなみに最初の方の考察から、われわれはこれに慣れ親しんでいるのであるが)。関係の計算では、それらは、論理学の他の部分で用いられる「=」や「≠」ではなく、「I」と「D」という特殊記号で表される。そこで、

xy  や  xy


の代わりに、

x I y  や  x D y


と書く。
「=」や「≠」の記号は、関係の計算では関係の間の同一性と差異性を表すためにのみ使用される。
 さらに、ここでとても興味深く重要な新しい操作があって、それにより、二つの関係 RS から、三番目の 相関的積 RELATIVE PRODUCT ないし RS の合成 COMPOSITION と呼ばれる関係を作ることができる(それに対して、通常の積は 絶対的積 ABSOLUTE PRODUCT と呼ばれることがある)。 RS の相関的積は

RS


というシンボルで表示される。これは、

x R z および  z S y


が同時に言える z が存在し、かつ存在するときにのみ、 xy という二つの事物の間に成立する。
たとえば、 R が夫であるという関係であり、 S が娘であるという関係であるならば、 RS は二人の人物 xy の間に成立する。ただし、 xz の夫であり、 zy の娘であるような、そうした z が存在するならばである。


93

したがって、その関係 RS は義理の息子という関係に合致する。加えて、似たような性格を持つもう一つの操作がある。その結果は 二つの関係の相関的和 というものである。この操作は大した役割を持つわけではなく、ここでは定義しない。
 最後に、 R ’の形成と似たような操作がある。つまり、それによって関係 R から、 R の換位[逆] converse と呼ばれる新しい関係を作りだすもので、


と表示される。
関係 は、 Ryx の間に成立し、かつそのときに限り xy の間に成立する。或る関係が定項によって表示されるならば、その逆を表示するために、しばしば逆向きに印刷された同じシンボルを使う。たとえば、< という関係の逆は、> という関係である。なぜなら、どのような xy にとっても、

xy と  yx


という定式は等価だからである。
 関係の計算のかなり特殊な性格を考え、その詳細にこれ以上立ち入ることはしないでおこう。

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Subject X.関係の理論について
Author イストラン [ 3281 to イストラン ]  6/6/Sat/2004   



87

・X・



関係の理論について







27.関係、その領域 domain と対抗領域 counter-domain、関係と二つの自由変項を持つ文関数



 前章ではモノの間の 関係 というものに少しばかり出会った。二つのモノの間の関係として、たとえば、同一性 identity(等性 equality)と相違 diversity(不等性 inequality)を取り上げることができる。

xy


という定式を、

xy に対して同一の関係を持つ


または、

xy との間には同一性の関係がある


と、我々は読むことがある。

そして、シンボル「=」は同一性の関係を表していると言う。同じようなやり方で、

xy



xy に対して相違の関係を持つ


または、

xy の間には相違の関係がある


と読まれる。そして、シンボル「≠」は相違の関係を表していると言う。我々はまた、クラスの間の或る種の関係、つまり包含、重なり、疎などの関係を見た。さてこれから、一般的な 関係の理論 に属するいくつかの概念を論じよう。それは論理学の特殊な、かつ非常に重要な部分をなし、そこで全体的に任意の性質を持つ関係が考察され、またそれらに関する一般的法則が確立される。



88


 我々の考察を容易にするために、関係を表示する特別な変項、「R」「S」...を導入しよう。

モノ x はモノ y に対して関係 R を持つ


モノ x はモノ y に対して関係 R を持たない


という句の代わりに、シンボリックな短縮である、

x R y


と(文計算の否定記号を使って、第13節参照

〜( x R y


をそれぞれ使用する。

 或るモノ y に対して関係 R を持つものならどんなモノでも、我々はそれを 関係 R に関する先行者 PREDECESSOR と呼ぶ。

x R y


であるような x が存在するどのような y でも、 関係 R に関する後続者 SUCCESSOR と呼ばれる。関係 R に関するすべての先行者のクラスは ドメイン DOMAIN [変域、定義域] として知られる。そしてすべての後続者のクラスは、 関係 R のカウンタードメイン COUNTER-DOMAIN ないし コンヴァース ドメイン CONVERSE DOMAIN として知られる。たとえば、どのような個体も、同一性の関係に関しては先行者でありかつ後続者である。だからこの関係のドメインとカウンタードメインは両方とも普遍のクラスである。

 関係の理論においては、クラスの理論においてと同様に、異なったオーダーの関係を区別しうる。



 ド・モルガンとパース(p.52の脚注6P.14の脚注2)は関係の理論、とくに関係の計算(第28節)として知られるものを初めて開拓した。彼らの仕事はドイツの論理学者E.シュレーダー E.Schroeder(1841-1902)によって体系的に拡張され完全なものとなった。シュレーダーの『代数と関係の論理』(Leipzig,1895)は、包括的著作である『論理学の代数についての講義』の第三巻として現れたが、それはいまだ、関係の計算に関する唯一の徹底した説明である。




89


一階の関係 RELATIONS OF THE FIRST ORDER とは個体の間に成立する関係である。 二階の関係 とは、一階のクラスや関係の間に成立する関係である。状況はいやがうえにも複雑になる。というのは、しばしば「混合された」関係について考えなくてはならないからであり、その先行者はたとえば一階のクラスであるが、後続者は二階のクラスであるということもある。この種の関係の最も重要な例は、要素とそれが属するクラスの間にある関係である。第21節を想起するように、この関係はシンボル「」によって表される。クラス間の場合のように、関係に関する我々の考察は、まずは一階の関係に関するものとなるだろう。とはいえ、ここで論じられる概念は、高階の関係にも当てはめることができるし、またいくつの事例では当てはまる。

 二つの自由変項「 x 」「 y 」を持つあらゆる文関数に対して、「 x 」「 y 」が与えられた文関数を満足するならば、そしてそのときに限り、モノ「 x 」と「 y 」の間の或る関係が対応する。このつながりにおいて、自由変項「 x 」と「 y 」を持つ文関数について、それはもの xy の間の関係を表現すると言われる。たとえば、

xy = 0


という文関数は、対立する記号という関係、手短に言えば、対立の関係を表現している。すなわち、数 x と数 y は、 xy = 0 であるときに限り、対立している関係を持っている。この関係をシンボル「」で表すならば、

x y


となる。そしてそれは、

xy = 0


と等価である。同様に、唯一の自由変項としてシンボル「 x 」「 y 」を含むどのような文関数も、次の形を持つ定式 formula に変換できる。

x R y





90


ここでは、「 R 」の代わりに、或る関係を持つ定項 constant を我々は持つ。であるから、

x R y



は、二つの自由変項を持つ文関数の一般的形態と考えられる。それは、

x K



が、ちょうど一つの自由変項を持つ文関数の一般的形態として見られるのと同様である(第22節参照)。

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Subject 26.同数の構成素のクラス、クラスの基数、有限と無限のクラス、論理の部分としての算術
Author イストラン [ 3265 to イストラン ]  5/30/Sat/2004   

26.同数の構成素のクラス、クラスの基数、有限と無限のクラス、論理の部分としての算術


 *クラスの理論の探求主題をなす残された一群の概念がある。それは特別な注意に値するもので、同数の構成素の equinumerous クラス、クラスの基数、有限と無限のクラスである。残念だが、それらの入り組んだ概念は、ここでは表面的に論ずる以上のことはできない。

 同数の構成素の または 等価なクラス の例としては、右手と左手の指の集合を考えることができる。これらの集合は同数の構成素からなる。というのも、(i)すべての指はただ一つの対で現れ、(ii)すべての対は左手のただ一本の指と右手のただ一本の指からなっているからである。同様の意味で、たとえば、次の三つの集合は同数の構成素からなる。すべての頂点の集合、すべての側面の集合、一つの多角形のすべての角の集合。後に第33節で、この同数の構成素の集合の厳密で一般的な定義を与えることにする。
 さて、任意のクラス K を考えよう。疑いなく、 K と構成素が同数のすべてのクラスに属しているが、他のものには属さない属性 property が存在する(つまり K と同数の構成素であるという属性)。


80

この属性は 基数 CARDINAL NUMBER 、あるいは 要素の数 、あるいは クラス K のパワー POWER と呼ばれる。このことは、より抽象的なやり方ではあるが、もっと簡明かつ正確に表現することもできる。すなわち、クラス K の基数とは K と同数の構成要素を持つすべてのクラスのクラスである。このことから、KL という二つのクラスが同じ基数を持つのは、それらが同数の構成要素を持つときに限るということが帰結する。
 要素の数に関して、クラスは有限のクラスと無限のクラスにクラス分けされる。前者の間で、厳密に一つの要素からなるクラスと、二つの要素からなるクラス、三つの要素からなるクラス、...を我々は区別する。これらの語は算術の基礎の上で最も容易に定義されうる。 n を任意の自然数(つまり非負の整数)としよう。 Kn より小さいすべての自然数のクラスと同数の構成素からなっているならば、 クラス Kn 個の要素からなる と言うことができよう。2より小さいすべての自然数のクラス、つまり数0と数1からなるクラスと同数の構成素からなるならば、そのクラスは2個の要素からなる。同様に、数0, 1, 2からなるクラスと同数の構成素からなるならば、そのクラスは3個の要素からなる。一般に、クラス Kn 個の要素を含むというような自然数 n が存在するとき、我々はクラスを 有限 FINITE と呼ぶ。そうでなければ 無限 INFINITE と呼ぶ。
 しかしながら、もう一つ別の可能な手続きが存在するとされたきた。たった今考察した語 terms は、算術の分野に属する表現を全く使用しないで、純粋に論理学の用語 termes で定義されうる。たとえば、二つの条件を満たせば、クラス K は厳密に一つの要素からなると言える。その二つの条件とは、(i) x K であるような x が存在する。(ii)どのような yz に対しても、y K かつ z K ならば、yz である。(これら二つの条件は、一つの条件で置き換えることができる。すなわち、「 x K であるような厳密に一つの x が存在する」第20節参照)「クラス K は二つの要素からなる」や「クラス K は三つの要素からなる」なども、類似したやり方で定義することができる。「有限のクラス」と「無限のクラス」という語を定義する問題になると、はるかに難しくなる。しかしこれらの場合も、問題解決への努力は肯定的に成功してきた(第33節参照)。それによって、考察中のすべての概念は論理学の範囲の中に包含された。


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 この状況は射程の広い重要性を持つ興味深い帰結を持つ。というのも、数の概念自体が、そして同様に他のすべての算術的概念が論理学の領域で定義可能だからである。実際、「0」「1」「2」などの個体的自然数を意味するシンボルの意味を確立することはたやすい。たとえば、数1は厳密に一つの要素からなるクラスの要素の数として定義することができる。(この種の定義は、定義されるべき「一つ」という語が定義の中に現れるので、正しくなく、また悪循環のように見える。しかし実際には間違いはない。なぜなら、「厳密に一つの要素からなるクラス」という句は全体として as a whole 考えられ、その意味は前もって定義されているからである。)また自然数の一般概念を定義することも困難ではない。自然数は有限のクラスの基数である。さらに、自然数に関するすべての操作を定義し、いかなる場合にも論理学の限界を超えずに、分数、負数、無理数の導入によって、数の概念を拡張するという見解を我々は持っている。なおまた、もっぱら論理学の法則に基づいて、(他のものより直観的に自明ではないが、無限に多くの異なったモノが存在するという、いわゆる 無限の公理 の言明を含むことによって、論理法則のシステムが豊になるべきであるという条件とともに)算術のすべての定理を証明することが可能である。この全体的構成は非常に抽象的であり、容易に平明なものとするわけにもいかず、基礎的説明という枠組みの中にも入らない。この本では、そうした思考に通暁する試みはしないし、数というものをクラスのクラスの性質としてでではなく、個体として扱う。しかし、純粋論理学の部分として、算術の全体や、その上に立つ代数、解析を含めて、それらを展開することが可能となったという端的な事実は、近年の論理学的探求のもっとも偉大な達成の一つである。4*



  この分野での基礎的な考えはフレーゲ Fregeに負うものである。(19頁の脚注2を参照)。彼は『算術の基礎 Grundlagen der Arithmetik』(Breslau 1884)という興味深い著作で、最初にそれらの考えを展開した。フレーゲの考えは、ホワイトヘッドとラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』(19頁の脚注1を参照)で、その体系的かつ徹底的な実現を見ることになった。

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Subject 25.クラスに対する操作
Author イストラン [ 3249 to イストラン ]  5/26/Tue/2004   


25.クラスに対する操作


 さて、我々はある種の操作に立ち入ってみよう。それは与えられたクラスに関して遂行されるとき、新しいクラスを生み出すものである。
 どのようなクラス KL が与えられても、クラス KL の少なくとも一つに属するもの things を、そしてそれらだけを要素として含む新しいクラス M を作ることができる。クラス K にクラス L の要素を付加する adjoin ことによってクラス M が出てくる、と言ってもよい。この操作は クラスの加法 ADDITION OF CLASSES と呼ばれる。そしてクラス Mクラス KL の和 SUM あるいは合一 UNION と言われ、次のようなシンボルで示される。

KL (または  KL


 二つのクラス KL に関する別の操作として、クラスの 乗法 MULTIPLICATION と呼ばれるものがあるが、それは KL の双方に属するもの、そしてそれだけが要素である新しいクラス M を作ることである。このクラス M はクラス KL積 PRODUCT あるいは 交差 INTERSECTION と呼ばれ、次のようなシンボルで示される。

KL ( または  KL


 これら二つの操作はしばしば幾何に適用される。その助けによって新しい種類の図形を定義するのが便利なことがある。たとえば、補角の組が意味するものを我々はすでに知っている。そこで、半平面 half-plane −すなわち平角−は二つの補角の合一として定義される(ここで一つの角は角領域 angular region すなわち角の足と呼ばれる二本の半直線に境界づけられた面の部分と考えられている)。あるいは、任意の円と、この円の中心に頂角が位置する角を取るならば、これら二つの図形の交差は扇形 circular sector と呼ばれる。
 算術の分野から二つほど例を加えてみよう。すべての正の数の集合とすべての負の数の集合の和は0とは異なるすべての数の集合である。すべての偶数の集合とすべての素数の集合の交差は唯一の要素として数2を持つ集合である。この数は唯一の偶数の素数である。


78

 クラスの加法と乗法はいろいろな法則に支配されている。これらの内のあるものは、数の加法と乗法に関する対応する算術の定理に完全に類似している。そしてそれが理由で、「加法」や「乗法」という用語が上述の操作のために選ばれているのである。例として、クラスの加法と乗法の 交換法則 COMMUTATIVE LAWS連合法則 ASSOCIATIVE LAWS に触れよう。

いかなるクラス KL に関しても、 KLLK  かつ  KLLK

いかなるクラス KLM に関しても、 K ∪ ( LM )= ( KL ) ∪ M

 シンボル「∪」と「∩」を加法と乗法の通常の記号「+」と「−」で置き換えるならば、対応する算術の定理との類似がはっきりしてくる。
 しかしながら、他の法則は算術法則とはかなり異なっている。 トートロジーの法則 は特徴的な例となっている。

どのようなクラス K に関しても、 KKK  かつ KKK

この法則はシンボル「 KK 」と「 KK 」の意味を反省すると明らかになる。たとえば、もしもクラス K の要素に同じクラスの要素を加えても、実際には何も加えたことにはならず、結果として出来るクラスはまた同じクラス K である。

 二つのクラスではなくて一つのクラスに遂行しうるものとして、我々は加法と乗法とは異なる別の操作に言及したい。与えられたクラス K から クラス K の補 COMPLEMENT と言われるものを作る操作であり、それはつまりクラス K には属さないもの全てのクラスである。
クラス K の補は

K


と表記される。たとえば K が全ての整数の集合であるならば、全ての分数と無理数は K′に属する。
 補の概念に関係し、これまで考察した概念との関わりを確率する例として、次の二つの言明を挙げることができる。

79

全てのクラス K に対して、 KK′ =


全てのクラス K に対して、 KK′ =



この最初のものはクラス理論