| Subject |
38.演繹の法則;演繹的学の形式的な性格 |
| Author |
イストラン
[ 3384 to イストラン ] 9/20/Sun/2004 |
38.演繹の法則;演繹的学の形式的性格
*われわれはどんな演繹理論も原初的タームと公理のシステムの上で考える。われわれの考察を単純にするために、この理論は論理だけを前提にすると仮定する。つまり論理だけが与えられた理論に先立つ唯一の理論なのである(参照第36節)。
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われわれの理論の全ての言明で、原初的タームが全面的に適切な変項で置き換えられると想定してみよう(第37節でのように。さらに単純化するため、定義されたタームを含む定理を無視する)。考察された理論の言明は、原初的タームがそれによって置き換えられるシンボルを自由変項として含み、論理に属す定項以外の定項は含まない、そうした文関数になる。あるものが与えられるならば、それが、われわれの理論の公理すべてを満足するかどうかを見ることができる。あるいは正確に言えば、たった今説明したやり方でこれらの公理から得られる文関数すべてを満足するかどうかを見ることができる(つまり、これらのものの名前や指示が、自由変項の場所に置かれるとき、文関数を真なる文にするかどうかを見ることができる;第2節参照)。もしもそうであることがわかったならば、考察しているものはわれわれの理論の モデル あるいは 公理システムの具体化 を形成する、と言うだろう。またそれらは 演繹理論のモデル そのものを形成するともいうことがある。まったく類似したやり方で、与えられたものがわれわれの理論の公理システムを満足するだけではなく、われわれの理論のどのような他の言明のシステムをも満足するかどうか、したがって、このシステムのモデルを形成するかどうか、これを見ることができる(システムが単一の言明から成っているということは排除されていない)。
たとえば、与えられた理論の原初的タームが指示するものによって、公理システムの一つのモデルが形成される。というのはすべての公理が真なる文であるとわれわれは想定しているからである。このモデルは、もちろんわれわれの理論のすべての定理を満足する。しかし、われわれの理論の構築に関する限り、このモデルは他のすべてのモデルの間にあって区別される位置を占めてはいない。公理から、このまたはあの定理を演繹するとき、われわれはこのモデルの特別な性質を考えているのではなく、公理であからさまに述べられる、だから公理システムのあらゆるモデルに属するそれらの性質だけを使用している。したがって、われわれの理論の特定の定理のあらゆる証明は、公理システムのあらゆるモデルに拡張され得るし、もはやわれわれの理論には属さず、論理に属したはるかに一般的な論証へと変換され得る(前の節の法則T'やU'のように)。それらは、問題となる定理がわれわれの公理システムのあらゆるモデルで満足される、という事実を確立する。
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このようにしてわれわれがたどり着いた最終的な結論は、つぎのような形で言い表すことができる。
与えられた演繹理論のあらゆる定理はこの理論の公理システムのどんなモデルによっても満足される。さらに、論理の枠内で定式化され証明されることができる一つの一般的な言明が、そして問題になっている定理がいかなるそうしたモデルによっても満足されるという事実を確定するような一つの一般的な言明が、あらゆる定理に対応する。
われわれはここに演繹的学の方法論の領域から一つの一般的な法則を持つことになった。それはもう少し厳密に定式化すれば、 演繹の法則 LAW OF DEDUCTION (または 演繹定理 DEDUCTION THEOREM )として知れらているものである。2
この法則のとてつもない実践的重要性は、演繹的学の分野を離れずしてすら、個別理論の公理システムの多くのモデルを我々が普通に展開できるという事実から生じる。そうしたモデルに到達するためには、他の演繹理論(それは論理でも論理を前提とする理論でもありうる)から或る種の定項を選び、原初的タームの代わりにそれらを公理の内に置き、こうして得られた文がその他の理論の確証された文になっているということを示せばよい。この場合われわれは、 他の理論の中での、元の理論の公理システムの解釈 を発見した、と言う。(とくに、選ばれた定項が元々考えられた理論に属し、その場合には原初的タームのいくつかは不変のままであるということが起こるかもしれない。そのとき、与えられた公理システムは考察中の理論の枠内で新しい解釈を発見した、と言われる。)われわれはまた、元の理論の諸定理を類似した変形に委ね、全面的に、原初的タームの代わりに、公理の解釈で使用された定項を置くだろう。演繹の法則を土台にして、こうして到達した文が新しい理論の文であることが確証されたことをさらに確かめることができる。われわれはこのことを次のように定式化する。
2 この法則は著者によって一般方法論的公準として定式化され、後に、さまざまな特殊演繹理論のために厳密に証明された。
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与えられた公理システムの土台の上で証明されたすべての定理は、そのシステムのいかなる解釈に対しても妥当であり続ける。
これら変換された定理に対して一つ一つ特別な証明を与えることは冗長である。いずれにせよ、それは純粋に機械的な作業となるだろう。なぜならば元々の理論の領野から対応する論証を取ってきて、それを公理と定理について遂行された同じ変換に委ねればよいからである。演繹理論の内でのあらゆる証明は、いわば潜在的には、他の類似した証明を際限なく含んでいるのである。
上に述べた事実は人間的思考の経済という観点からして演繹理論の大きな価値を示している。それはまた、演繹理論の方法論の中でのさまざまな探求や調査にとっての基礎を確立するという理由だけからしても、射程の長い理論的重要性である。とくに、演繹の法則はすべてのいわゆる 解釈による証明 にとっての理論的基礎である。これまでの節で、われわれはすでにそうした説明の一例に出会っている。この本の第二部では、他の様々な例を目にするだろう。
正確さという理由のために加えなくてはならないが、ここで素描された考察は論理が前提されている構成を持つ演繹理論になら何でも当てはまる。それに対して、論理自体への適用はここでは論じないいくつかの困難を産み出す。演繹理論が論理だけではなく、他の理論も前提にしているのであれば、上述の定式化のいくつかはもっと複雑な形を取る。
ここで論じられる方法論的現象の共通の源泉は先の説で指摘された事実であり、つまり、演繹理論を構築する際、われわれは公理の意味を無視し、その形だけを考慮に入れるということである。そのために、人はこの現象に言及するとき、演繹的学とこの学の中にあるすべての推論の純粋に 形式的な性格 について語るのである。
ときどき、パラドクシカルな誇張された様子で数学の形式的性格を強調する言明を見かけるが、基本的に正しくとも、このような言明は曖昧さと混乱の元である。
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数学的概念には何もはっきりした内容が属しいないだとか、数学ではわれわれは自分が語っていることを実際には知らないだとか、われわれの主張が真であるかどうかにはわれわれは関心がないだとか、そうしたことをときに聞いたり、さらには読むことすらある。そうした判断にはかなり批判的に近づかなければならない。理論を構築しているときに、まるでその学科のタームの意味を理解していないかのように振る舞っているとしても、それはこれらのタームに意味というものを拒否しているのとは全く違う。周知のように、原初的タームに定まった意味を属させることなしに、それらを変項として扱いながら、われわれが演繹理論を発展させることがあるというのは、そうした例である。この場合、われわれはその理論を 形式システム FORMAL SYSTEM として扱っている、と言う。しかしこれは比較的まれな状況であり(第36節で与えられた演繹理論の一般的説明内で考慮されることすらない)、この理論の公理システムのためにいくつかの解釈を与えることが可能であり、つまり、この理論で現れるタームに具体的意味を持たせるいくつかの可能な方法があり、しかしこれらの方法のどれか一つを進んで選ぼうとは思わないときに限り、そうしたことが起こる。他方、一つも解釈を与えることができない形式システムは、おそらく誰の関心も惹かないだろう。
結論として、数学的学の解釈で或る面白い事例に注意を向けよう。それは第37節で見たものよりもはるかに重要なものである。
算術の公理システムは幾何学の中で解釈されることができる。任意の直線が与えられたとせよ。その点とその点に関する操作との間の関係を、算術のすべての公理、だからすべての定理を満足するものとして定義することが可能である。そうした関係は数と数に関する操作に関連する関係である。(これは第33節で言及した状況と密接に結びついている。つまり、一本の線のすべての点とすべての数との間にある一対一対応を確立する可能性である。)逆に、幾何学の公理システムも、算術の中で一つの解釈を持つ。この二つの事実の使用は多種多様である。たとえば、幾何学的形態は算術の分野の様々な事実の視覚的イメージを与えるために使われるかもしれない。これはグラフメソッドとして知られている。
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他方、算術的あるいは代数的方法の助けを借りて幾何学的事実を調べることが可能である。幾何学の特別な分野、解析幾何学として知られているものがあって、それはこのタイプのすべての探求に関わる。
先に見たように、算術は論理の一部分として作り上げることができる(参照、第26節)。しかし、算術を、その固有の原初的タームと公理に依拠する独立した演繹理論として扱うならば、論理との関係は次のように記述できる。算術は論理の中で一つの解釈を所有する(無限の公理が論理の中に含まれるという理解のもとに。参照第26節)。換言すれば、そうした概念を、算術のすべての公理、だからまたすべての定理を満足するものとして定義することが論理の内で可能である。幾何学が算術の中で一つの解釈を持つということを想起するならば、幾何学もまた論理の中で解釈されうる。これらすべてのことは、方法論的観点からして極度に意義深い事実である。*