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イストラン
[ 3110 new post ] 8/5/Mon/2003 |
二昔前には、美化という言葉をよく聞いた気がする。「美化するな!」「それは美化にすぎない」とかなんとか。
昨日のテレビに原爆被災者の絵というルポがあった。各地の被災者に印象に残っている絵を描いてもらおう、記憶が消えてしまう前にということで。そういう企画はこれまでにもあって、今では三千枚になるという。ある人は、それまでも絵を描いていたが、今回は最後の試みに、どうしても強すぎて描けなかったものを描いた。それは両手を突き出し、そこら中から肉をはみ出しながらよろよろ目の前を過ぎてゆく女学生の絵だった。
またある人は、道ばたに子供を抱えてうずくまる母の姿を描いた。それを見たときはもしかしたら自分の母親と妹かもしれないと一瞬思ったが、なぜかその場を離れてしまった。彼はどうしてそんなふうに離れたのか慚愧に堪えなかったらしい。それで、もしかしたら何か手がかりが見つかるかも知れないと、応募したのだ。その絵の母は子供を守るようにうずくまっていた。似たような絵が数枚見つかり、彼は自分と同じような絵を描いた人を訪ねた。
尋ねていった先に一人の男がいた。その人が言う、その光景は目に焼き付いて離れない、お母さんは偉大だなぁと、母は偉大だなぁと。まるで眼前にその光景を見ているかのように、当時を振り返り、顔をしわくちゃにしながら、床に膝をついて、何度も深々と頭を下げるのだった。悲しみと、偉大さとが交錯しながら、その光景にゆかりのある人が自分を訪れてくれたことにも感謝しつつ、ひたすら頭を下げるのだった。
母は自分のことを偉大だなどとは思っていないだろうし、子はとにかく自分が何かを見捨ててしまったことに決着をつけたく思っていただろう。そして遠方の男は有り難き光景に涙する。母と子にとっては真理はどうでもよかったが、遠方の男はその有り難き光景に、悲惨さと偉大さが入り交じった、生涯忘れることのできない真理を刻印した。