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Subject ちょっとそれますが、南京事件
Author イストラン [ 3007 to 佐々木 寛 ]  4/5/Fri/2003   

>さらに最近、日本の研究者たちが、中国で、本当に南京虐殺があったのか、どうか、公開討論会をしようとしたところ、中国側当局に拒否されたそうです。

 なるほど。政治の言説世界ではおうおうにして誇張はあるでしょうね。
 ところで、『証言記録 三光作戦』(森山康平)というものをみました。ここでは証言者は元将校とか従軍記者とか、日本人に限られてますが、実になまなましいです。どうしてあんまり証言者がいないのかということも推測されます。別のスレッドに引用しておきます。

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トピック= 2989 宛先= 3005 同宛先= 返信=
 
Subject ちょっとそれますが、南京事件
Author 佐々木 寛 [ 3005 to イストラン ]  4/4/Thu/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

いわゆる南京事件というのは、

『1937年(昭和12年)12月13日から、翌年に亙る1ヵ月半余りの間、すなわち東京裁判において、その6週間の間に日本軍が、南京市と南京周辺で概ね26万ないし30万人もの非戦闘員である無辜の南京市民を虐殺したというものである。』

しかし、その直前の南京市民の人口は、当時の警察署長の証言によれば、約20万人であり、それは日本軍が南京占領直後から、占領中、および二ヵ月後には、20万人から、25万人まで増えて行くのです。

これは当時、南京に居て、市民の安全区の責任者だったラーべが、その人数分の食糧配給に携わっていた事から、間違いありません。

そして、日本軍の残虐行為というのは、ほとんどが伝聞でしかないのです。

下記、URLを参照して下さい。

http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/sh.review.hp-index.html

さらに最近、日本の研究者たちが、中国で、本当に南京虐殺があったのか、どうか、公開討論会をしようとしたところ、中国側当局に拒否されたそうです。

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トピック= 2989 宛先= 3004 同宛先= 返信= 3007
 
Subject ちょっとそれますが、南京事件
Author イストラン [ 3004 to 佐々木 寛 ]  4/3/Wed/2003   

>そして、その時期に南京に滞在し、民間人の安全区をつくり責任者となった、ラーベという人の当時の日記などを注意して読むと、中国政府の言う30万人虐殺説が、政治プロパガンダでしかないことが分かります。
>下記URLの評論を、よかったら、ちょっと読んでみて下さい。
>
>http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/sh.review.hp-index.html

 この文章は目を通しました。しかしもっと厳密に表現してください。30万人虐殺説が政治的プロパガンダである、ということが問題なのか、それとも実際には30万人とはいかないだろうが、かなりの数の民間人が虐殺されただろうということが問題なのか。

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トピック= 2989 宛先= 3003 同宛先= 返信= 3005
 
Subject ちょっとそれますが、南京事件
Author 佐々木 寛 [ 3003 to イストラン ]  4/1/Tue/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

イストランさんへ

『ところで、関係ないことですが、佐々木さんのサイトには南京虐殺は存在しなかったとなっている文章がありますが、これはいわゆる一般市民を大量に虐殺したことはない、ということでしょうか。であったら、ちょっと信じられないですね。なぜかというと、この虐殺の証言があるからです。われわれはこのことについては伝聞という手段しか持っていないのですが、とりあえずはそういう伝聞を真としてもよいのではないかと思っています。』

俗に言う「南京事件」についてですが、裁判の、起訴理由により、時期も範囲も明らかです。
そして、その時期に南京に滞在し、民間人の安全区をつくり責任者となった、ラーベという人の当時の日記などを注意して読むと、中国政府の言う30万人虐殺説が、政治プロパガンダでしかないことが分かります。
下記URLの評論を、よかったら、ちょっと読んでみて下さい。

http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/sh.review.hp-index.html

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トピック= 2989 宛先= 3002 同宛先= 返信= 3004
 
Subject 絶対者
Author イストラン [ 3002 to 佐々木 寛 ]  4/1/Mon/2003  神秘主義と哲学 

 どうも絶対者ということに関してはわたしの頭が働いてくれません。絶対者ということをたんに言っている文献を知らないのです。

 プラトンのイデアのような超越者ということなら最低限言えると思います。ただこの超越者はおっしゃるように何かを超越すると同時にその何かに関わります。その関わりなるもの自体が「分有」とか関与とか言われて、すべての存在者はそれを分有し、かつ関わるというふうになっているそうです。それは超越の定義からして無理だというならそうでしょう。

 私としては、そもそも宗教的なものを全部とっぱらって、なおかつ超越者というものが具体的に現れるものを、時間や空間以外にイメージできないということがあります。そういうわけで時間と空間を絶対者として考えてみるのも面白いのではないだろうか、となるのです。

 ところで、関係ないことですが、佐々木さんのサイトには南京虐殺は存在しなかったとなっている文章がありますが、これはいわゆる一般市民を大量に虐殺したことはない、ということでしょうか。であったら、ちょっと信じられないですね。なぜかというと、この虐殺の証言があるからです。われわれはこのことについては伝聞という手段しか持っていないのですが、とりあえずはそういう伝聞を真としてもよいのではないかと思っています。



 

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トピック= 2989 宛先= 2989 同宛先= 2990 返信= 3003
 
Subject 絶対者とは何か
Author 佐々木 寛 [ 3001 to イストラン ]  4/1/Mon/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

ニュートンとライプニッツには、時間・空間論争というのが有ったように記憶していますが、詳しいことを知っていますか?

参考に成るかも知れません。

それから、その論争を纏(まと)めようとしたのがカントでしたか!?

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トピック= 2989 宛先= 3000 同宛先= 返信=
 
Subject 絶対者とは何か
Author イストラン [ 3000 to 佐々木 寛 ]  3/30/Sun/2003  神秘主義と哲学 

>イストランさんの前の投稿で、たしか絶対者は時間と空間を超越しているという意味では、という主旨のものがありましたが、それを私なりに解釈すると、そのようなものは、やはり、われわれとは無関係ということに成らざるを得ないと考えます。
>
>ただし、時間と空間は、われわれとは無関係だとは言えないと思いますよ。

 そうです、というか私はそういうものとイメージしてます。ですが、同時に人間は、ないしあらゆる存在者は時間と空間それ自体になんらの影響も及ぼすことはできないという認識でもあり、この意味で時間と空間は存在者から隔たっている。

 今は過ぎ去り、やがて今となるだろう時がいつでも存在する、このことは時間を無化しない限りどうしようもないことです。そういう意味で時間と空間は絶対者ではないでしょうか。

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トピック= 2989 宛先= 2995 同宛先= 返信= 3001
 
Subject 絶対者とは何か
Author 佐々木 寛 [ 2995 to イストラン ]  3/29/Sat/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

イストランさんの前の投稿で、たしか絶対者は時間と空間を超越しているという意味では、という主旨のものがありましたが、それを私なりに解釈すると、そのようなものは、やはり、われわれとは無関係ということに成らざるを得ないと考えます。

ただし、時間と空間は、われわれとは無関係だとは言えないと思いますよ。

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トピック= 2989 宛先= 2994 同宛先= 返信= 3000
 
Subject 絶対者とは何か
Author イストラン [ 2994 to 佐々木 寛 ]  3/29/Sat/2003  神秘主義と哲学 

 こういうお返事をしても佐々木さんの問題提起に答えたことにはならないのですが。

 佐々木さんの絶対者の記述が当てはまるようなものを、私は一つ指摘したい。それは時間と空間です。

 時間はわれわれがどう作用しても変わることなく存在し、かつ過ぎ去ってしまう。空間それ自体をどうこうすることはできず、その中の物ならどうこうすることができる。

 では時間と空間はわれわれに何らか影響を与えないのかといえば、空間があるために諸物はすべてそこに存在するという場の一性が保証され、時間があるために物は生成変化し、かつすべての物は一つの時間の中に配置される。

 時間空間は在るかどうかわからないのだが、われわれから超越しながらかつわれわれに関係している、という超越者の特徴をそなえている。さらに、キリスト教の唯一神のように一性を持っている。
 

 

 

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トピック= 2989 宛先= 2993 同宛先= 返信= 2995
 
Subject 絶対者とは何か
Author 佐々木 寛 [ 2993 to イストラン ]  3/29/Fri/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

関係を超越したと言うよりは、現象世界との比較および関係を絶してあるから超越者とも呼ばれるという記述が、哲学事典などには有ったように記憶しています。

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トピック= 2989 宛先= 2992 同宛先= 返信= 2994
 
Subject 絶対者とは何か
Author イストラン [ 2992 to 佐々木 寛 ]  3/28/Fri/2003  神秘主義と哲学 

 絶対者というのは、少なくとも形容できてしまうのですね、たとえば関係を超越している、というふうに。

 ただその関係を超絶しているということの中身をもっと知りたいのです。

 一番とっつき安い例は、時間空間を超絶している、ということでしょう。これだと時間的空間的なものを関係性とみることによって、なるほど時間空間を超絶しているんだなとなります。

 

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トピック= 2989 宛先= 2991 同宛先= 返信= 2993
 
Subject 絶対者とは何か
Author 佐々木 寛 [ 2991 to イストラン ]  3/28/Thu/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

> まずこれの限定をしてください。「西洋的一神教」に対して、たとえばインドの多神教というものを表象します。しかしインド哲学は多神教の世界で満足しているのではなく、絶対者ブラーフマンを表象します。
>
> また日本の神道も国家神道であれば、唯一の神というものを信仰するでしょう。天照大御神というのがそうではありませんか。神が統一される過程は政治過程でもある、これが普通の認知だと思います。
>
> そうなると、絶対者というものが動き回る空間の多様性が意識されるのです。
>
> 一つは、原理を目指す限りにおいて、何か唯一のものを定立する傾向がある。
>
> 今一つは、政治的統一を果たす過程で、絶対者が表象される。
  
 
 
はじめましてイストランさん。コメントありがとう。でも、意味が、良く分かりませんね。限定というのは、どういうことでしょう。はじめの投稿に下記のように絶対者については明言していますが…。平凡社『哲学事典』など…参考。
 
 『キリスト教神学や西洋哲学などの絶対論者たちの言説から、一般に、絶対者とは、不変にして、他との比較や関係を絶して在るもの、あるいは、この生成変化している相対なる現象の世界から、全く無関係に独立して在る超越した存在ということになります。
故に、超越者とも言われます。そして、それはまた、他との関係を絶して在るが故に、他から何の制約も全く受けることが無いのです。依って、無制約者とも言われています。およそ、絶対論者たちの言う、絶対なるものとは、以上のようなものです。』

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トピック= 2989 宛先= 2990 同宛先= 返信= 2992
 
Subject 絶対者とは何か
Author イストラン [ 2990 to 佐々木 寛 ]  3/27/Thu/2003  神秘主義と哲学 

 まずこれの限定をしてください。「西洋的一神教」に対して、たとえばインドの多神教というものを表象します。しかしインド哲学は多神教の世界で満足しているのではなく、絶対者ブラーフマンを表象します。

 また日本の神道も国家神道であれば、唯一の神というものを信仰するでしょう。天照大御神というのがそうではありませんか。神が統一される過程は政治過程でもある、これが普通の認知だと思います。

 そうなると、絶対者というものが動き回る空間の多様性が意識されるのです。

 一つは、原理を目指す限りにおいて、何か唯一のものを定立する傾向がある。

 今一つは、政治的統一を果たす過程で、絶対者が表象される。

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トピック= 2989 宛先= 2989 同宛先= 3002 返信= 2991
 
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Author 佐々木 寛 [ 2989 new post ]  3/25/Mon/2003  日出づる国の民 www1.odn.ne.jp/~cak23720/

はじめまして、佐々木と云う者です。
以下の投稿内容および英訳は妥当かなどコメントを望みます。
よろしく、どうぞ。

【 絶対者の非存在の証明 】-平成10(1998)年11月9日に自身のWebサイトで公表したものへ加筆- 佐々木 寛

絶対者(Absolute)、とは何か。

キリスト教神学や西洋哲学などの絶対論者たちの言説から、一般に、絶対者とは、不変にして、他との比較や関係を絶して在るもの、あるいは、この生成変化している相対なる現象の世界から、全く無関係に独立して在る超越した存在ということになります。

故に、超越者とも言われます。そして、それはまた、他との関係を絶して在るが故に、他から何の制約も全く受けることが無いのです。依って、無制約者とも言われています。およそ、絶対論者たちの言う、絶対なるものとは、以上のようなものです。

ところで、われわれ人間は、そのような、絶対者ではありません。

当然のことではありますが、不変でも無く、他との比較や関係を絶して在るものでもありません。我々には、絶えず、関係し変化している、現象であるところの意識内容として、千変万化する喜怒哀楽の感情や、思索するという理性の働きが存在しています。

理性的に考えるならば、そのようなキリスト教および西洋哲学で言うところの絶対者と、我々が、如何なる関係も持ち得ないのは論理の必然です。

なぜなら、関係を絶して在るものと、関係を持つことなど出来はしないからです。関係を絶して在るものと、関係を持つことが出来ると言うのは全くの矛盾です。そしてまた、我々は、不変のものに変化を及ぼすことなど出来ないし、不変のものから変化を被ることも無いのです。その上、経験し得る事実としても、不変にして比較や関係を絶して在るものが、現象として在る我々の意識内容(=経験内容)に現出することなど有り得ない事なのです。すなわち、意識内容に現出しているもの、および現出し得るものとは、現象以外に存在しないのです。そして、不変にして比較および関係を絶して在るものが、我々の認識の対象に成ることは有り得ないし、また、その可能性すらも無いのです。極論すれば、そのようなものは本来、信仰の対象にも成り得ないものなのです。結局、我々と、絶対者とが、関係を有すると言うのは、経験し得る事実として有り得ない事であるし、しかも、論理の当然の帰結としても、我々と絶対者とが関係を有すると言うのは、全くの矛盾であり、錯誤です。さらに付け加えて言えば、我々が現象として存在している、この変化し、関係している現実の現象の世界に、絶対者は存在しないが、現実の現象の世界とは独立無関係の超越した処に、絶対者は存在すると考えたとしても意味がありません。何故なら、そのように現実の世界を超越した非現実(=形而上)の世界に在るものと、我々が関係を持つ事など有り得ないからです。そして、そのようなものから変化を被る事も無ければ、そのようなものに変化を及ぼす事も有り得ません。断言しますが、只の一度たりとも有り得ません。何故なら、只の一度でも何らかの関係が在ったのであるならば、それをして、絶対者であると言うのは誤りとなるからです。故に、理神論(deism)も成り立たない。さらに付け加えて言えば、キリスト教は啓示宗教であるとも言われていますが、その啓示と呼ばれているものが経験事実として意識内容に現出した瞬間、啓示が絶対では無いことと啓示の存在そのものが絶対者との関係の絶無を証明していることも認識するべきです(啓示とは、人間の能力では知り得ない真理や神秘が、唯一絶対なる超越神によって開示される事だと言われている)。以上、これまでの論説に拠って、唯一絶対の超越神、すなわち一神教で言うところの絶対なるものの非存在が証明されます。
 
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[ An Argument on Non-existence of the Absolute ]-- With additions to the released material in my own website on November 9, 1998 -- SASAKI Hiroshi

What is the "Absolute"?

According to the absolutists’ statement as seen in the fields such as Christian theology and Western philosophy, the absolute being is generally immutable; an existence beyond comparison and unfeasible to have a relationship with others, or a transcendent subsistence existing completely independent from this mutating and relative world of phenomena. Therefore, it is also called the transcendent. Since it is beyond relationships with other beings, it is completely free from any conditioning rendered by others at all. Thus, it is also called the Unconditional (“das Unbedingte”). These descriptions seem to be the plain summary of so-called the Absolute according to the absolutists. By the way, we, human beings, are not such absolute beings.

Obviously, we are neither immutable, beyond comparison or having relationships with others.

We all possess rational activities such as thinking and emotions such as the joy, anger, humor and pathos that change kaleidoscopically. These are the part of our consciousness as the phenomena of our on-going relativity and changes.

Rationally speaking, it is logically inevitable that we have no connection with such an absolute being of Christianity and Western philosophy because it is impossible to have a relationship with a being that exists beyond a relationship. It is entirely incoherent to say that we can have a relationship with a being that exists beyond a relationship. Besides, we cannot bring about a change to an immutable substance; neither can we obtain a change from an immutable substance. In addition, even in view of the experimental fact, it is also improbable for an immutable, incomparable, and transcendent being to be revealed in our phenomenal consciousness (= experience). That is, the thing currently revealed in our consciousness and the things which can be revealed do not exist apart from the phenomena. Neither can an immutable, incomparable, and transcendent being be subjected to our consciousness. There is not even a possibility for such. Extremely speaking, it cannot principally become the object of faith. After all, there is no objective reality of such a notion that we can have a relationship with the Absolute. Moreover, it is an inevitable logical conclusion: to say we can have a relationship with the Absolute is incoherent, and is a fallacy. Furthermore, if I may add, we exist as a phenomenon, and the Absolute does not exist in this changing and relative world of actual phenomena; yet, you might think that the Absolute exists at the independent, non-relative transcendent place apart from the world of actual phenomena. Such a premise is meaningless because it is not possible for us to have a relationship with a being in an unrealistic (= metaphysical) world which is transcendent from the actual world. And we cannot obtain a change from an immutable substance; neither can we bring about a change to an immutable substance. I am absolutely certain that it is not possible at all, not even once because, if a relationship with the Absolute were possible even once, then the idea of “It is the Absolute” itself becomes false. Consequently, deism is unfeasible either. Furthermore, at the moment what is called revelation appears to our consciousness as an objective reality, the revelation is proven not to be the Absolute. The existence of revelation itself nullifies the relationship with the Absolute negating the assumption of Christianity as a revealed religion. (Revelation refers to the truths and mysteries beyond human capacity to understand what is revealed by the only absolute and transcendent God.) Hence, non-existence of the only absolute and transcendent God, namely what monotheism calls the Absolute, is proven by the above argument so far.
 
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【 実体の非存在の証明 】-平成10(1998)年11月9日に自身のWebサイトで公表したものへ加筆- 佐々木 寛

実体論者たちの言う、実体(Substance)、とは何か。

事物や意識または精神などの、生成変化する現象の根底に在って、それらの変化を司(つかさど)り支配する、それ自体は変化せぬ恒常なるもの、すなわち、実体。

なんと稚拙な哲学であることか。それ自体、変化しない恒常なるものが、どうして変化を司り、変化を及ぼすことができるのか。もし、それ自体変化しない恒常なるもの実体が、変化を司り現象に変化を及ぼすと言うのであるならば、変化を司り変化を及ぼすという事自体を、どう考えれば良いのか。司ること、および、何かを及ぼすこと、それ自体、変化している事に他ならないではないか。まさに、矛盾した言説以外の何ものでも無い。彼らが言う実体とは、本来、ある現象の内に在って、その現象に、ある変化を及ぼし、かつ被る、その現象内の内部現象と言うべきものなのです。

実体論者たちが、それは違う、現象の根底には必ずや、生成変化している現象とは全く関係の無い、不変にして唯一の実体が在るのだ、と言うのであるならば、まったく関係の無い実体が在ったとして、それは、まさに字義通り、現象である我々とは、まったく関係の無いものでしかないのです。結局、実体とは、虚構の概念でしか無いのです。我々の経験内容(=意識内容)に、実体が現れることは有り得ませんし、それに何らかの影響を及ぼしたり、それから何らかの影響を及ばされることも有り得ません。何故なら、それが我々の経験内容に現れたり、影響が在った瞬間、それは実体で無かったことを証明してしまうからです。拠って実体とは、事実経験ないし経験し得る事実として存在し得ず、尚且つ、論理的に矛盾した虚構の存在でしかない事が解ります。以上において、実体の非存在も証明されました。
 
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[ An Argument on Non-existence of Substance ]-- With additions to the released material in my own website on November 9, 1998 -- SASAKI Hiroshi

What is the “Substance” according to substantialists?

It refers to an entity that exists at the root of mutable phenomena such as objects, consciousness, and mind. This also governs and controls the changes entirely while itself is remaining immutable and constant, namely, a substance.

What a naive philosophy it is! How can a constant entity govern and bring about changes while existing itself immutable and constant. If an immutable and consistent substance governs "change" and causes "change" to phenomena, then, how are we ought to consider the meanings of the very actions like “to govern” or “to cause a change”? To govern and to cause something: these actions themselves are to "change" or subject to "change", aren't they? Such notion is absolutely absurd and even contradictory. What they call "Substance" is essentially within a certain phenomenon causing a certain change to and obtaining such from the phenomenon. Namely, it should be considered as an internal phenomenon within the phenomena.

Substantialists would say that is not correct. In other words, they may assert the notion that there is the only one immutable Substance existing independent from the mutable phenomena completely and consistently at the root of any phenomena. If this is the case, their Substance is exactly, as they say, something that has nothing to do with us, humans, who exist as mere phenomena. After all, what they call the "Substance" is nothing but a fictitious concept. It is not plausible that the Substance reveals itself in our experience (=consciousness). Neither is it plausible that the Substance influences something else or is influenced by something else. At the moment it reveals itself in or influences our experience, it proves itself not to be the Substance. At this point, it has become clear that the Substance cannot exist as an objective experience or an objective reality. Moreover, we can see it is nothing but a logically incoherent fictitious existence. Henceforth, the nonexistence of substance was also proven above.
 
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【 認識論 】-平成10(1998)年11月9日に自身のWebサイトで公表したものへ加筆- 佐々木 寛

一般的に認識というものは、対象となる事実経験(対象事実)と、論理一般(名辞:記号、概念:観念、論理:構造)の無矛盾性と、価値一般(正と負と中立の価値および全的価値と個別価値など)との妥当性という、三種の要素の整合性によって齎(もたら)されるものと考える。

非常に短いが、これで、一般的な認識については十分であろうと考える。
 
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[ Epistemology ]-- With additions to the released material in my own website on November 9, 1998 -- SASAKI Hiroshi

I believe that, to know something generally requires the coordination of the three types of elements: Objective experiences with its subject (subjective reality), Consistency of general logic (constitution of concept = symbols, concept=idea, logic=constitution), and Validity of general value (includes positive/negative/neutral values and the general/individual values).

This explanation is very short; however, it will probably be sufficient to explain epistemology in general.
 
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【 永遠の今 】-平成11(1999)年9月26日に自身のWebサイトで公表したものへ加筆- 佐々木 寛

われわれを含む現象の総体(森羅万象)の、一秒前の、現象の総体(森羅万象)は、もはや存在しません。そして、一秒後の、現象の総体(森羅万象)は、いまだ存在しません。

それは、一秒という時間だけでは無く、一千分の一秒という時間でも、一万分の一秒でも、一億分の一秒でも、一兆分の一秒という時間でも、同様です。

われわれを含む、一兆分の一秒前の森羅万象の汎(すべ)ては、もはや存在しません。そして、一兆分の一秒後の森羅万象の汎(すべ)ては、いまだ存在しません。

ただし、過去の現象の総体が存在したことは、確かであり、それが、悠久の過去から継起をつづけ、今現在の、われわれへと至っているのです。

たとえば、父母未生以前に、われわれは存在しません。

そして、そこでの、われわれ人間の存在価値とは、もはや存在しないものと、いまだ存在しないものの間隙(かんげき)の瞬間、その刹那に在って継起しつづける永遠の今を生きる、われわれ人間の営為そのものに在る。

ほんとうの、ほんとうの、神というのは、汎(すべ)てを悠久の昔から継起させつづける“永遠の今”なのかも知れない。
 
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[ Eternal Now ]-- With additions to the released material in my own website on September, 26, 1999 -- SASAKI Hiroshi

The whole phenomenon (universe) one second before the whole phenomenon (universe) including us does not exist any longer. And the whole phenomenon (universe) of one second after does not yet exist.

It is not only the time frame of per second, but also the same in case of the time frames of per 0.001 seconds, per 0.0001 seconds, per 1/10 million-second, or even per 1/1 trillion seconds.

The entire universe including us, even just 1/1-trillion seconds prior, does not exist any longer. And all the universe of 1/1-trillion seconds in the future does not yet exist.

However, it is clear that the past whole phenomenon existed, continued from the past-time immemorial, and has come to us in this present moment. For example, we do not exist before our parents were yet to born.

And there, our existential value as human beings resides in our very action, as human, of living this Eternal Now within the momentum continuation amid the gap between what does not exist any longer and what does not yet exist.

Maybe, this "Eternal Now" which maintains the continuation of all existence from time immemorial could be truly truly a "god."

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