| TOPIC |
ハイデッガー「論理学の形而上学的な始元諸根拠」 |
| Subject |
ライプニッツの理由律とハイデッガーの根拠律 |
| Author |
イストラン
[ 3121 to 慧遠(EON) ] 8/14/Wed/2003 |
ようやっと第26巻を読んだというか見たのですが、私にはこれは『存在と時間』と大して変わるものがなかったです。
唯一、<超振動>という言葉が違和感がありましたが、これも超越/事実性という受動能動体にからんでいるという気がします。
印象だけですが、あるタームが飛び石のように言説を引っ張っていく。ライプニッツの見解の解釈でも、モナドロジー自体を一つの受動能動性解釈として扱う。そこで結果としては、この受動能動性がお仕舞いの時間性の解釈の受動能動に呼応というか対応している、そんな感じです。
第四節まではなんとか筋を追えるような気がしますが、第五節以後は、やはり存在と時間に既にある概念がぽつぽつと引っ張っている。こういう流れは、ハイデガーなら了解の先取として自己弁明してしまうでしょうが、厳密にライプニッツの解釈となるとどんなもんか。
ライプニッツのモナドロジーを受動性と能動性から解するという見方は池田善昭の『ライプニッツ哲学の新解釈』にもあって、それなりに必然的な見方なんだろうけれども、ハイデガーの場合には、あらゆる言説は能動性と受動性の、あるいは投げることと投げられることに収束する。
この結論に強引に向かいながら、同一性や主語・述語や根拠に関する分節がやがてどろどろに溶けてしまうんではないか。
無責任な印象ですが、そんなふうに思いました。残り10頁を読んでからまた印象報告します。