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| TOPIC | 『存在と時間』の意味 |
| Subject | 世界とは何か、心とは何か |
| Author | イストラン [ 3051 to KK ] 5/4/Sun/2003 |
お話を伺っておりますと、ふむふむというふうになってきてしまうではありませんか。
しかしどうもこの「モデル」という言い方には違和感を覚えます。だいたいこれはハイデガーの語彙ではない。それから「心」とか「意識」というものもそうです。この語彙を使わないというのは、それなりの文脈がある。つまり心と言った途端に心に対置するような形で「外」というものが設定される。そうして心はどうやって外の世界に達するのかという認識論的図式が始まる。ハイデガーはその設定を拒絶する。外というならすでに外に出ているのだと。それが世界内存在の「超越」であると。
KKさんはそこのところを「心の中にあるモデルとしての世界」というふうに再表現されたのですが、これがもし世界内存在の言い換えだとして、それが「存在には達しない」と評価されるのであれば、それはハイデガーのは観念論であり、実在論に戻れということなんでしょうか。