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TOPIC 青臭いのが好き
 
Subject Re12: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2920 to イストラン ]  1/22/Wed/2003   

> そうすると、それは自己の範囲内でなんとかなるもの、たとえば信念の持ち方
>とかの範囲に閉じられるような感じですね。 人間的場面でそういう信念を導入
>して考えると、客観性と主観性の間には断絶というよりも、関係というのがあるよ
>うに感じる。

意思決定における動因要素はそんなものではないですか?
これから神風攻撃隊で戦地に向かうときなど国のためだと納得するか、死後の世界
を信じきるとか、あたふた身の不運を嘆くだけなら、飛び立つ前に銃殺刑になるとか
現実は同じでも自分自身をどこかに設定するようになっている。
客観性と主観性の関係といっていいのかもしれませんね。

>そういう話じゃないでしょう。性欲のブロックがなぜ起こるか、こういう話になる
>かもしれない展開だった。

そうですか?<筋>がちがったかなー、<脈>の連なりがわるいんでしょうか・・・。

>私は自分にはもはや性欲は涌いてこない、歳を取ればこういうこともありうる、
>そう言った。

そんなことありませんよ!今は70現役ですから、本人のやる気しだいだと
思います・・・。イストランさんまさか70以上ではないですよね。

>欲求を持っている内が花だという認知から、ではなぜ欲求の制止が起こるのか、
>に結びつけてもよかった。

なんか物悲しい気分です・・・。

>もしも、普遍的なものがあって、この「誰でも受け入れざるを得ない」ものががん
>としてあるというなら、こういう生成が起こることをどうやって説明すればよいのだ
>ろうか。

別にこだわらなくてもいいと思うのですが、科学がそれほど固定的なものの上に
構築されたわけでもないでしょう。それでもカントやハイデカーの哲学と違って
べつに『プリンキピア』とか『新科学対話』を引き出す必要はない。
プラグマティックなものがキーポイントなのではと言う感触です。

>試験をしてその真理に達したかどうかを認定する、こんな受験生的真理観とは
>別の原理で学の世界が運動しているのだろう。

それでもいずれかのパラダイムに迎合しなければ<行為性>は発揮できるのですか?

>つまり<普遍性>というものを言語的に一部分の<命題>に形容し、<客観性>を行為性からなんらか外して考える風味がぱんどらさんにあるので、その風味についていけない。

わたしとて傲慢ではないつもりですが自分の絶対性を表明して批判してもらったほう
が新しい発展に繋がることが多かったという経験則ですね。
でも<行為性>って単独で成立している要素ですか?

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トピック= 2897 宛先= 2917 同宛先= 返信=
 
Subject Re11: 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2917 to ぱんどら ]  1/21/Tue/2003  神秘主義と哲学 

>原因が「まじめに話したのにバカにされた」だとして、「まじめにやれば認められなくたっていいじゃないか」というアドバイスがあるでしょう。これに真理値を与えることで、「自分は駄目だ」の真理値 1→0を導出しようと言うわけです。

 そうすると、それは自己の範囲内でなんとかなるもの、たとえば信念の持ち方とかの範囲に閉じられるような感じですね。
 人間的場面でそういう信念を導入して考えると、客観性と主観性の間には断絶というよりも、関係というのがあるように感じる。


>そうですか!?四六時中こんなものにとりつかれたとしたら、温泉にだって恥ずかしくって入れなくなってしまうけれど、やるべきときにできなかったら日本の人口問題にかかわることでしょう。イストランさんは日本の将来を心配しないんですか?!

 そういう話じゃないでしょう。性欲のブロックがなぜ起こるか、こういう話になるかもしれない展開だった。私は自分にはもはや性欲は涌いてこない、歳を取ればこういうこともありうる、そう言った。欲求を持っている内が花だという認知から、ではなぜ欲求の制止が起こるのか、に結びつけてもよかった。


>>言語表現の単位には、概念(記号)、判断(命題)、推論があるが、これだけではなくて、<言説><筋><脈>というのがあると思う。
>はじめの方は一致してるのでしょうか?判断は概念の構成物として良いですか?後半のものは命題の構成物として良いですか?

 人の認知を決定しているのは概念や判断や推論を超えた、言説というもの、そのスタイルにあると思う。

 そしてそれは行為的世界にある。たとえば、記号論理学の真理値表の<話>がある。その話の中には動機や筋がある。その動機や筋に接して、また別の動機や筋が生成され、直観主義論理、多値論理が生まれる。もしも、普遍的なものがあって、この「誰でも受け入れざるを得ない」ものががんとしてあるというなら、こういう生成が起こることをどうやって説明すればよいのだろうか。実際には天下り式に真理が降ってくるのではなく、記号論理ならその論理学のの世界で行動している人間がいるから、こういう風に生成されるのだと見るのが自然だ。天下り式に真理がどっかにあって、試験をしてその真理に達したかどうかを認定する、こんな受験生的真理観とは別の原理で学の世界が運動しているのだろう。

 つまり<普遍性>というものを言語的に一部分の<命題>に形容し、<客観性>を行為性からなんらか外して考える風味がぱんどらさんにあるので、その風味についていけない。

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トピック= 2897 宛先= 2915 同宛先= 返信= 2920
 
Subject Re10: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2915 to ぱんどら ]  1/20/Sun/2003   

>私はぱんどらさんの表現をほとんど許容できないのですが、「事実世界の変化なし」
>で、なおかつ意味があるというのは、一体どういうことなんだろうか。
人間のやり取りって、そんなものが多いのではないですか?
(例1)
A:「おまえ、そんな事をするなら、おまえのやったことをばらすぞ」
B:「それだけはかんべんしてくれ」
(例2)
A:「おまえ、そんな事をするなら、おまえのやったことをばらすぞ」
B:「勝手にしろ、それがどうした」

このサンプルではBが(1)では「ばらされること」にマイナス価値の真理値 1を与えて
いるのはいいですよね。「ばらされる」という事実には変わりないけれど(2)では
その点の価値命題(「ばらされることは嫌だ」)の真理値は0なので、そんな言葉が返され
るわけです。
対人恐怖がありますよね。原因はいろいろあるのでしょうが、
価値命題「人といろいろ対話しなければならない状態は嫌だ」の真理値が1、つまり
人ごみの中で「自分は駄目だ」が1の判定をしているわけです。
原因が「まじめに話したのにバカにされた」だとして、「まじめにやれば認められなくたって
いいじゃないか」というアドバイスがあるでしょう。これに真理値を与えることで、「自分は
駄目だ」の真理値 1→0を導出しようと言うわけです。

>性欲の消去なんてのは時と場合によってそれ自体価値となるのか反価値となるのか
>わからないことです。私には今性欲というのが涌きません。これって見ようによっては
>とってもつまらないことです。なんでわざわざ消去したがるのか。

そうですか!?四六時中こんなものにとりつかれたとしたら、温泉にだって恥ずかしくって
入れなくなってしまうけれど、やるべきときにできなかったら日本の人口問題にかかわる
ことでしょう。イストランさんは日本の将来を心配しないんですか?!

どうでしょう、「ぱんどらのやつ、くだらんサンプル出しやがって・・」から
「『ぱんどらのやつ、くだらんサンプル出しやがって・・・』とわたしは怒っている」の真理値
観測の時系列記録表を作るとか…。

>何をおっしゃりたいのかわかりません。ないはずの腕に痛みを感じて、というのは
>腕を失った人が感じる幻覚的痛覚のことでしょうか。これを「知覚操作」と呼ぶのはどう
>して?痛みを解消するというのはどうしてですか?
ラマ・チャンドランとかの読書会とかですか?

>言語表現の単位には、概念(記号)、判断(命題)、推論があるが、これだけではな
>くて、<言説><筋><脈>というのがあると思う。
はじめの方は一致してるのでしょうか?判断は概念の構成物として良いですか?
後半のものは命題の構成物として良いですか?

ぱんどらのー、フロギストン説に対してイスランラボアジェ酸化説の提示をお願いします。

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トピック= 2897 宛先= 2914 同宛先= 返信= 2917
 
Subject Re9: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2914 to イストラン ]  1/20/Sun/2003   

>私にはそういう風に断言する気もないのです。もうちょっと具体例を挙げてくれれば
>なんとかなるかもです。
> たとえばその科学の中に論理学は含めるのですか。もしそうなら、では論理学に
>とっての普遍的命題というのは何なんだろう
哲学は言葉の使用法、というより対象の概念把握が同意を得ないためにそうした疑問
を投げかけられるのでしょう。イストランさんは哲学系概念に溢れていらっしゃるでしょう。
物体の運動を議論するにも対象の形状とか色彩とか温度とか、様々な観察対象があり
ます。しかしながら物理を知るものには原則としてそうした要素は不要なものであり、
質量と時空の座標軸に対する速度と加速度が必要な概念ですね。
イストランさんの同意を得られるかどうかは分かりませんが・・・
わたくしの言葉に対する定義となりましょうが・・・
言葉というより概念の元みたいなものがあってそれを意識が知覚と言う形で捉えるわけ
です。つまり、「意識に概念がある」が最初。
「うま」とか「東京」とか言葉だけのものを「概念」とするわけですね。
次に概念のあるものと別の概念が繋辞という結びつきの機能で結合します。
これが概念AとBの命題「AはBである」となって真偽の判定の対象となるわけです。
命題には存在命題「Aがある」もありますが、わたしの立場はかならず概念二つを
必要とします。つまり存在命題は「BにAがある」が正式の形であり、実質「AはB
である」と変わるところのものではない。
以上の定義を前提として、「コップ」なる概念を「時空」という概念とあわせると
「時間t、空間(x, y)=(今机の上)に、コップがある」という存在命題になると考えます。
ちなみに「食器類にコップがある」は「食器類」と言う概念の中に「コップ」を配置させた
ものであり、「時空」と同様の上位概念の中に「コップ」を捉えたとするものです。
ハイデッカーの「存在」が「もの」と「ひと」との「時間構造」うんぬんを構築するってちょっと
複雑過ぎる気がしませんか?
以上のように考えると、科学は「時空」概念にかかわって真偽判定を行う論理学の一分野
であると考えてしまいます。
つまり、科学の中に論理学を含めるのでなく、逆と言うわけですね。
さて本題の普遍か個別かですが、普遍的命題とは時間空間判断の個別者に関らず真偽
判定が一定であるもの、つまり「何時でも何処でも誰にでも」同じ判定が為される命題を
普遍的命題と呼称してます、わたくしの場合ですね。
個別主観的命題は真偽判定がこの規定に束縛されないものとします。ただし二階でみ
れば例の式が成立していると考えるものです。

こんな定義でどうですか?前にどっかで言わなかったかな?
イストランさんにははじめてなのかも…。

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トピック= 2897 宛先= 2913 同宛先= 返信= 2915
 
Subject Re8: 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2913 to ぱんどら ]  1/19/Sun/2003  神秘主義と哲学 

>科学は普遍的命題より構成されますよね。

 私にはそういう風に断言する気もないのです。もうちょっと具体例を挙げてくれればなんとかなるかもです。

 たとえばその科学の中に論理学は含めるのですか。もしそうなら、では論理学にとっての普遍的命題というのは何なんだろう。


>これらを(VA∧PA)⊃VSで把握して事実世界の変化なしでVS値を変更できれば感情論理の意味もあるというわけですね。

 私はぱんどらさんの表現をほとんど許容できないのですが、「事実世界の変化なし」で、なおかつ意味があるというのは、一体どういうことなんだろうか。

>「『彼女と性交したい』と感じている」とその真理値の推移を観察を継続して、所定の手続きをしないでも性欲が消去されるのかを観察するのも面白そうですね。

 性欲の消去なんてのは時と場合によってそれ自体価値となるのか反価値となるのかわからないことです。私には今性欲というのが涌きません。これって見ようによってはとってもつまらないことです。なんでわざわざ消去したがるのか。

>「痛み」が概念把握であると思うのは例のラマチャンドランがあるでしょう。ないはずの腕に痛みを感じて一種の知覚操作で痛みを解消することに成功したわけだから「痛みは概念である、個人に特定ではない」のほうが納得できますよ。

 何をおっしゃりたいのかわかりません。ないはずの腕に痛みを感じて、というのは腕を失った人が感じる幻覚的痛覚のことでしょうか。これを「知覚操作」と呼ぶのはどうして?痛みを解消するというのはどうしてですか?


>うーむ、一般命題で解明しますか?それとも価値と可能の主観命題で解明するのはいかがですか?

 そういうふうな言葉遣いで考える習慣がありません。ですから選択が無意味です。

 言語表現の単位には、概念(記号)、判断(命題)、推論があるが、これだけではなくて、<言説><筋><脈>というのがあると思う。

 たとえばキルケゴールに関心が行くのは、彼の「言説で」美と倫理と宗教が分断されていたからで、これは私にとってはえらく興味をそそることだ。なるほどキルケゴールは主体性の哲学と言われることもあるし、そのつながりから<科学的言説/普遍性>ではない<主体的言説/個体性>の理屈だといえようけれども、これをもって関心事である美と倫理と宗教の断絶が表現されるというわけでもないのだから、一般命題ではなく、価値と可能の主観命題で、というのは私にとっては文脈的価値がない区分ということになる。

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トピック= 2897 宛先= 2906 同宛先= 2912 返信= 2914
 
Subject Re8: 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2912 to ぱんどら ]  1/19/Sat/2003  神秘主義と哲学 

>そんな手法があるわけですか。哲学からの脱出というのかどうか、人文科学というわけですね。

 人文科学ということは問題ではないです。グルジェフは己の修行を自己想起の修行と名付けるわけですが、それは彼の人間観のよってきたらしめるもので、哲学は解釈するばかりではない、というマルクス主義的な表現はこの際にはその曖昧さとともにぴったりしてます。

 人が意識とか自己意識とかいうのは、実は自分が持っていないものを指しているという。意識や自己意識は獲得しなければならない、こういう文脈に置かれた意識論はこう言ってよければ意識哲学からの脱出と言えるでしょう。

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トピック= 2897 宛先= 2906 同宛先= 2913 返信=
 
Subject Re7: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2906 to イストラン ]  1/19/Sat/2003   

> それはなんだかグルジェフ系へのとっかかりと似たようなものを感じますね。実はグルジェフへのとっかかりが哲学からの脱出という面がなくはないのですが。

そんな手法があるわけですか。哲学からの脱出というのかどうか、人文科学と
いうわけですね。

> でその復讐心自体を何とかしたいということになって、「歪まない」道を見つけるということでしょうか。

いえ、言ってみるとですね。イストランさんが正常な体の持ち主なら、たまれば異性
に対して欲求を感じるでしょう。放出すれば欲求がきえるでしょう。
この状態をさして、「異性と性交したい」というのは真理値1の価値命題である、と
みなすわけです。放出後は真理値が1→0になるというわけ。
ふつうはこれは生理的変化があるのだから脳の部位と快楽物質がどう作用して
とかそんな議論が正統だと考えるでしょう。科学は普遍的命題より構成されま
すよね。これを感情論理に視点を変えるわけです。
憎悪というのも一種の欲求であり「他者を苦しめたい」の真理値1の価値命題な
わけです。その場で怒りでもって発散できれば一番いのだろうけれど、20年も前の
ことを何かのきっかけで思い出して、その手の命題が真理値1になるのはこまる
わけですよ。これが一種のPTSDと理解してもいい。
憎悪に特定すれば欲求だといえるかもしれないが、恐怖とか絶望感とか、そんな
自分にとって好ましからざる状態は言ってみれば「自己の存在価値」を0と判断する
状態です。これらを(VA∧PA)⊃VSで把握して事実世界の変化なしで VS値を
変更できれば感情論理の意味もあるというわけですね。
話していて、改めていままで詳しく実験しなかったけれどこんなものをながめて
http://www3.hosting-x.com/oukayaiou/Pictures1/gWpzprlghXFyNR4r202.jpg
性欲を刺激して、これを認識変換させて
「『彼女と性交したい』と感じている」とその真理値の推移を観察を継続して、所定
の手続きをしないでも性欲が消去されるのかを観察するのも面白そうですね。
好みでなかったかな(笑)

> 振り返ってみると、私はハイデガーにイカレタのだが、精神的なものの解放をそこに見ていたという面があります。しかしそれは論理的になんらかの道を見つけるという方法的なものというより「うまく表現されている」という感じ。

うーん、イストランさんのは絵画鑑賞のような感じですね。

>>イストランさんの真理って客観普遍的ですか?主観的真理については如何ですか?
> 真理は解放してくれなくては。これが客観的であろうと主観的であろうと。

わたしのは真理の開放でなくって主観的真理値の制御というわけです。

> 痛みを命題と呼ぶこと自体がわからんのですよね。比類なき我はどういうところに動機づけがあるのかわからんです。わからんことばかり。

またまた冗談でしょう。イストランさんもgetさんのように失恋でもされた?
「痛み」が概念把握であると思うのは例のラマチャンドランがあるでしょう。
ないはずの腕に痛みを感じて一種の知覚操作で痛みを解消することに成功した
わけだから「痛みは概念である、個人に特定ではない」のほうが納得できますよ。

> 正直申してKIDAMASA氏とぱんどらさんの対話をあんまり読んでないし、読んだけれどもよくわからないので、KIDAMASA病と言われてもどういうことかわかりません。
別にたわいのない話ですよ。ただちょっと彼特有の言い回しをイストランさんにも
感じたもので、つい、失礼しました。

>私は受動能動病だと自己規定するんだが、これを研究したいということです。
>研究者という職業ではないが。

うーむ、一般命題で解明しますか?それとも価値と可能の主観命題で解明する
のはいかがですか?

返信(引用有)   返信(引用無)   全スレッド   ツリー表示   最新20   新規投稿   削除   編集
トピック= 2897 宛先= 2905 同宛先= 返信= 2912 2913
 
Subject Re6: 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2905 to ぱんどら ]  1/18/Sat/2003  神秘主義と哲学 

>前から知ってはいたのですが自観法という認識の方法があります。「あいつにこんなことをされて憎らしい」は一階の価値命題です。それを「『あいつにこんなことをされて憎らしい』と思っている」だと二階の事実命題となるわけです。

 それはなんだかグルジェフ系へのとっかかりと似たようなものを感じますね。実はグルジェフへのとっかかりが哲学からの脱出という面がなくはないのですが。

>価値命題でマイナス価値の真理値1ならば自己の存在価値が0になって0→1ポテンシャルが歪んだ命題を導き出すという理屈です。ま、復讐を誓うとか、そんなものですね。

 でその復讐心自体を何とかしたいということになって、「歪まない」道を見つけるということでしょうか。

 振り返ってみると、私はハイデガーにイカレタのだが、精神的なものの解放をそこに見ていたという面があります。しかしそれは論理的になんらかの道を見つけるという方法的なものというより「うまく表現されている」という感じ。

>イストランさんの真理って客観普遍的ですか?主観的真理については如何ですか?

 真理は解放してくれなくては。これが客観的であろうと主観的であろうと。


>KIDAMASAさんの影響が出ているような感じですね。「痛み」なんて触覚に対する価値命題だってすればあっさりしませんか?
どうも「比類なき自我」なんてのは言葉によってるような気がしますけど・・・。

 痛みを命題と呼ぶこと自体がわからんのですよね。比類なき我はどういうところに動機づけがあるのかわからんです。わからんことばかり。

>うーむ、完全にKIDAMASA病ですよ。
>彼って普通の勤め人の方でしたが、イストランさんは研究者なのですか?

 正直申してKIDAMASA氏とぱんどらさんの対話をあんまり読んでないし、読んだけれどもよくわからないので、KIDAMASA病と言われてもどういうことかわかりませんが、ただ人が何か表現しようとしたり思考しようとしたりするときは、なんだかわからんものが核になって症状を引き起こしているんだと思う。私は受動能動病だと自己規定するんだが、これを研究したいということです。研究者という職業ではないが。

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トピック= 2897 宛先= 2904 同宛先= 返信= 2906
 
Subject Re5: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2904 to イストラン ]  1/18/Fri/2003   

>>プリンキピアの読書会とか言ったら物理学でなく歴史学ですよね。
> まあそうですね。しかしそれは端的に言えば昔の大家の書いたものを読む
>必要はない、という主張だと思います。
実の私はホントに小心者で、今はそうでもなくなりましたが、こう人前で緊張してし
まうとかそんな人間です。厄介なのが20年も前にあった嫌な思い出を思い返して
復讐心に駆られるようなそんな感情が沸き起こります。
前から知ってはいたのですが自観法という認識の方法があります。
「あいつにこんなことをされて憎らしい」は一階の価値命題です。それを
「『あいつにこんなことをされて憎らしい』と思っている」だと二階の事実命題となる
わけです。だから過去の記憶で斯様な情景が思い出されたとき、すかさず
事実命題に変換して反芻するような表示プログラムを作って実行していると、対
象の認識によって自己否定が緩和されるのです。これって、自分の経験でしかわ
からないのですよ。価値の主観的な感覚ですからね。
でも、意識現象にファジィだけれど固定的な条件法としていいのでは?という感触
があるのです。こんな事実から意識現象が物理現象と同じようなものではないか
という考えで哲学書より実践という考えなのです。
商売にしていながらhtmlはやってないので、適当に作り上げて実験協力者を募り
たいとも思うのですが実行できません。
価値命題でマイナス価値の真理値1ならば自己の存在価値が0になって0→1
ポテンシャルが歪んだ命題を導き出すという理屈です。ま、復讐を誓うとか、そんな
ものですね。

> そういうわけで、パンドラさんがもしも興奮するようなものが昔の大家のもの
>にあったならば、きっとそれを読むことにさして違和感は覚えないはずだと推
>測します。要するに問題は、中身ということになる。

それ自体は楽しいと思いますが、やはりメンタル系にやってくるような人の苦痛を
一定の手続きで緩和するとか、人間関係で仲たがいする場合、どんな要素がから
まっているのか、構造を理解しておくとか応用面はおおいように思うのですよ。
>>それって、感情操作に役立ちそうですか?
>
> 役立てるかどうかは読む人によるでしょう。また読むこと自体が感情の変容なしに可能ではないということもある。相手を説得するという気分ではなくて、世の中に不満を言うという気分でもなくて、ただひたすら真理とかいうものを目指していくというならば、どんなものでも似たような気分を要求するでしょうけど。

イストランさんの真理って客観普遍的ですか?主観的真理については如何ですか?

> 私の場合記号論理学の授業には苦しめられました。今から考えると、記号論理学自体はどうかわからないが、記号論理学の教科書は一種のごまかしから始めている。誰でも疑問に思うと思うのですが、あの記号、結合子の意味なんですが、そんなことはお構いなく教科書は進む。それを書いた人間はその意味を分かっているだろうと、当然読む人は思っているでしょうが、実はそうではないとしたら。

KIDAMASAさんの影響が出ているような感じですね。
「痛み」なんて触覚に対する価値命題だってすればあっさりしませんか?
どうも「比類なき自我」なんてのは言葉によってるような気がしますけど・・・。

>> 記号論理学という本来は平静なる気分を必要とするものに、平静ならざる気分をもったということであって、これを沈静化するためには、何か別の、つまり論理学の哲学とかいうようなものを必要とする、こんなふうに映ってます。

うーむ、完全にKIDAMASA病ですよ。
彼って普通の勤め人の方でしたが、イストランさんは研究者なのですか?

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トピック= 2897 宛先= 2903 同宛先= 返信= 2905
 
Subject Re4: 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2903 to ぱんどら ]  1/14/Mon/2003  神秘主義と哲学 

>先人の跡を辿るって、考え様によってはいまからフロギストン理論の大家の著作を研究しようというようなものではないですか?物理をやるのにニュートンのプリンキピアの読書会とか言ったら物理学でなく歴史学ですよね。

 まあそうですね。しかしそれは端的に言えば昔の大家の書いたものを読む必要はない、という主張だと思います。アカデミズムの世界に属しているわけではないのだから、読む必要はないのですが、ではだったらどうなるか、というふうに考えると、きっとぱんどらさんも何かは読んでいたはずなのです。何にもないところから始まるというのはそもそも不可能で、プラトンにせよ何かすでにあったんですよね。

 そういうわけで、パンドラさんがもしも興奮するようなものが昔の大家のものにあったならば、きっとそれを読むことにさして違和感は覚えないはずだと推測します。要するに問題は、中身ということになる。

 ところが、この中身が曲者で、今の物理学の教科書がニュートン力学を「含む」というような形にはなっていないらしいです、哲学の世界は。そういう風に情報が定在しているとするならば、古くさいと終わりますが、哲学の世界は解釈の堆積のうちにある。そしてその堆積が何をめぐってかといえば、あまりにも古すぎてかえって古くならないもの、心とか魂とか不死とか、あるいは社会と個人とか、そんなものなのでしょう。(こんな応えではご不満でしょうが、それ以外となると、私のお気に入りの話をしなくてはならないし)


>> 昨年はSusan Haack の Philosophy of Logics を読み始めたのですが、途中で難しくなって放り出しました。今年はせめて2章ぐらいはすすみたいのです。つきあって頂ければ幸いです。
>
>それって、感情操作に役立ちそうですか?

 役立てるかどうかは読む人によるでしょう。また読むこと自体が感情の変容なしに可能ではないということもある。相手を説得するという気分ではなくて、世の中に不満を言うという気分でもなくて、ただひたすら真理とかいうものを目指していくというならば、どんなものでも似たような気分を要求するでしょうけど。

 私の場合記号論理学の授業には苦しめられました。今から考えると、記号論理学自体はどうかわからないが、記号論理学の教科書は一種のごまかしから始めている。誰でも疑問に思うと思うのですが、あの記号、結合子の意味なんですが、そんなことはお構いなく教科書は進む。それを書いた人間はその意味を分かっているだろうと、当然読む人は思っているでしょうが、実はそうではないとしたら。

 記号論理学という本来は平静なる気分を必要とするものに、平静ならざる気分をもったということであって、これを沈静化するためには、何か別の、つまり論理学の哲学とかいうようなものを必要とする、こんなふうに映ってます。

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トピック= 2897 宛先= 2902 同宛先= 返信= 2904
 
Subject Re3: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2902 to イストラン ]  1/13/Mon/2003   

どうもわたしの傾向ですが、哲学は自分の感情操作の手段と考えるのが本質のようです。
KIDAMASA、rubekoshi、get、panietzsche諸氏も先人の理解と概念を自在に操ること
に目標を置かれているように見えますが、わたしはモデルが自分とか他人の感情を制御
するのに役立たねば意味はないとしているようです。倫理とか「痛みの独在性」とかいっ
ても、説明する以上に応用面はなにかとか考えてしまう・・・。

それって、つまり意識の運動を把握するモデルとしてです。
イストラン氏は如何なのでしょう?
先人の跡を辿るって、考え様によってはいまからフロギストン理論の大家の著作を
研究しようというようなものではないですか?物理をやるのにニュートンのプリンキピア
の読書会とか言ったら物理学でなく歴史学ですよね。

ところで、KIDAMASA氏のように現実にオフすると議論がやりづらくなりますね。
どうも氏に軽蔑されているのではないかとか・・・考えてしまう。現実のわたしって
ただの小心バカなんだ、と思うこの頃です。


> 昨年はSusan Haack の Philosophy of Logics を読み始めたのですが、途中で難しくなって放り出しました。今年はせめて2章ぐらいはすすみたいのです。つきあって頂ければ幸いです。

それって、感情操作に役立ちそうですか?

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トピック= 2897 宛先= 2899 同宛先= 返信= 2903
 
Subject Re2: 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2899 to ぱんどら ]  1/9/Wed/2003  神秘主義と哲学 

 昨年はSusan Haack の Philosophy of Logics を読み始めたのですが、途中で難しくなって放り出しました。今年はせめて2章ぐらいはすすみたいのです。つきあって頂ければ幸いです。

返信(引用有)   返信(引用無)   全スレッド   ツリー表示   最新20   新規投稿   削除   編集
トピック= 2897 宛先= 2898 同宛先= 返信= 2902
 
Subject Re: 青臭いのが好き
Author ぱんどら [ 2898 to イストラン ]  1/5/Sun/2003   


> 今年の気分は、これ。
>
>http://eleutheria.com/pops/heartbell.mp3
>
> 「まだ見ぬ何か
>  その日のために
>  生きてゆくなら
>  何も恐れはしない
>  明日のドアを叩き続ける
>  忘れかけた夢にまた会うまで」

では、わたくしは、これで対抗。
http://www.ucatv.ne.jp/~ms1.sky/nasu/asahi.mid

神秘主義にはこちらのほうがいいのでは・・・。

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Subject 青臭いのが好き
Author イストラン [ 2897 new post ]  1/5/Sat/2003  神秘主義と哲学 

 みなさん、あけましておめでとうございます。本年もよろしく。

 今年の気分は、これ。

http://eleutheria.com/pops/heartbell.mp3

 「まだ見ぬ何か
  その日のために
  生きてゆくなら
  何も恐れはしない
  明日のドアを叩き続ける
  忘れかけた夢にまた会うまで」

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