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TOPIC 始めまして
 
Subject Re: 始めまして
Author イストラン [ 2881 to カオリ ]  12/9/Sun/2002   

 この問いの意味は、精神が物体から超越しているか否かという答えを求めていながら同時に、超越ということの意味をどう解するのかということを述べよという意味であると思う。

 普通に伝統的な二元論で考えると、超越していることの意味は<意志>と<否定>という概念にまとめられそうである。

 精神は意志としては物体にないものである、ということがまず挙げられる。その意志が物体によって決定されているかどうかはいざ知らず、精神は物体にはない意志を持つ。これはカントの帰結である。

 また、精神は否定性を持つ。物体はただの存在であり、隅から隅まで存在であり、なんら否定性の入り込む余地はない。それは存在で充満している。対して精神はそこに否定という穴をうがつ。これがヘーゲル以降をまとめたサルトルの帰結である。

 精神の規定を<自由>に見る立場にとっては、意志と否定は根源的な概念である。このような言説においては「精神は自由として物体を超越している」ということが言えるだろう。

 しかし、そもそもこの問いは二元論を前提にしている。二元論の前提を取り払ってしまえば、一元論風に考えることもできる。その際、第三項としてそこへ精神や物質は還元されることもある。ベルクソンのイマージュはそうしたものであると思う。こういう場合には超越という表現は妥当ではない。

 また、一元論でも物理科学的なものはすべての精神現象を物質の説明に還元しようとする。物質還元論にとっては精神は超越しているというより物質に内在しているか、または付帯現象となる。

 また、科学的なものでも生物学的な存在観は、精神と物質との間に生物という第三項を挿入する。物質的レベル、生物的レベル、心的レベルというそれぞれで超越が起こるとされる(『心の起源』木下清一郎)。その場合高次段階が<発生>するのであって、これが提示の段階を「超越」しているということではないだろう。

 以上の存在観とは別に、美的なものの領域では話がもっと不分明になる。芸術作品を物質となった精神と捉えるならば、超越と内在という表現の双方とも妥当だろう。

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Subject 始めまして
Author カオリ [ 2880 new post ]  12/9/Sun/2002   

精神とは物体を超えたものとして存在すると思いますか?

これは課題として出されたのですが、考えているうちにわからなくなってしまいました。
色々と捜しているうちにここに行き着きまして。
なにか意見を聞ければと思います。

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