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慧遠(EON)
[ 2882 to イストラン ] 12/9/Sun/2002 |
この掲示板に於けるハーバーマス理解が、私には表面的すぎると思えたので、始めて投稿します。ただ、ハーバーマスの一連の著作と彼に関する本は、はるか昔に読んだに過ぎませんし、それらの本は倉庫の中の段ボール群の中に埋もれていまして参照できませんから、具体的に言及する事が出来なく参考文献を紹介するだけであることを、予めお詫びいたします。
さて、ハーバーマスの「認識と関心」についてですが、彼のその理論によるとその理論自身も関心づけようとしていると同時に、その関心をを洞察しようとすることに起因するところの、その理論がイデオロギーであると共にイデオロギー批判であるという二重の解釈機能を持たざるを得ないと考えられます。かかるハーバーマスの理論の性格について、それが歴史哲学としてその理論自身が何をなさねばならないかを指示するものであり、そして理論と実践との統一をその理論の中に組み込むものだが、そのことはその理論に於ける二重解釈の反省に於いて自己目的という概念を要請せざるを得ないと思われ、その意味で彼の理論の超越論的関心(目的)を自己目的化し、かつその理論に於ける主体を先験化せざるを得ないく、かつ自然との和解という理想のうちに自然を神格化していると言う、ドイツ哲学界の碩学M・トイニッセンによる重要なハーバーマス批判がある。そして、トイニッセンによると、主観化と自然化の傾向にある批判理論は歴史から客観性を排除して批判理論自体が全体主義的になったものと言われるものである。この批判については、M・トイニッセン「社会と歴史 --批判理論の批判」未来社(但し、この小冊子の半分強を占める「訳者まえがき」は、批判対象をすり替えようとしたナンセンスなものであるから無視すべきである。)
このトイニッセンの批判については、それに対するハーバーマスの弁明の中でも以下のように感謝の言葉を述べている。
「トイニッセンは、ひとつの変形された先験哲学が帯びている『自然主義』に対して疑念を提示しているが、[さきに問題にした]再構成と批判との区別は、この疑念にも照明を当たるものである。私(ハーバーマス)は、トイニッセンの明細な反論に感謝している。というのも、彼は、錯綜した企てを点検してくれたからである。」
また、かかる批判に対してハーバーマスは相互行為(道具を用いる行為と伝達行為との分割と言う彼の規準に従ったものとしての)と言う第二の認識モデルを提示した。この第二の認識モデルに於いて彼は、批判的に自己を媒介する実践を目標とする学問の概念のうちに解釈学の論理を取り入れようと試みて、相互行為と了解を目標とする関心とが結合されたものとして、対話的な<理性の一致>を要請するのであるが、そこでのハーバーマスが言うような合理性の規準を解明するものと期待されているところのかかる理性的討議については、H・アルバートの次のような批判がある。すなわち、ハーバーマスは理性的討議のようなものを方法論的連関に於いて事実として前提にしていると。これに対してハーバーマス自身も、それを事実として前提にしていることを、それが超越論的条件であるとして認めている。
このH・アルバートはハーバーマスと実証主義論争を行った当事者であり、その実証主義論争に於けるアルバートのハーバーマスへの反論は、「清水幾太郎責任編集・現代思想 6 批判的合理主義」ダイヤモンド社の中に「批判的合理主義の擁護」p.127〜P.215として訳されています。その中でアルバートは、ハーバーマスの目的と手段とを分離対立せしめる(あるいはポエシス[製作]とテクネー[技術]とプラクシス[実践]とを分割する)思考による粗雑な実証主義批判、すなわち実証主義を単なる道具主義としてしか理解しないところの合理的思考をテクネー[技術]の領域に限定するその批判が、批判的合理性----まさに、仮言命題の意味が前提とされた目的達成のためにある事態に影響を与えるということにあり、また諸事実によって仮言命題が影響されるということに於いて、そこでの目的が他の高次な目的への合目的的手段・行為として批判的合理性のうちに比較検討されなければならないことについての----を無視したものであると反論しています。
ドイツ哲学界の論客アルバートのかかる反論について理解の一助となるものとして、批判的合理主義の側に立って認識と関心・規範との相互連関を論じたE・トーヒッチュの「イデオロギーと科学の間 --社会哲学(上)」未来社、「科学的思考と神話的思考 --社会哲学(下)」未来社に中の「イデオロギーの概念と機能」や「社会理論と社会形成」等の論考が有りますので、出来れうれば参照して下さい。
なを、ハーバーマスに関し未訳ながら、H・ビロット(Harald Pilot)による「経験的に論駁しうるユイゲン・ハーバーマスの歴史哲学」(Jurgen Habermas' empirisch falsifizierbare Geschichtsphilosophie)という分析的科学論の立場からの鋭い判断と言われているものが有るそうです。