| Author |
イストラン
[ 2838 new post ] 9/30/Sun/2002 |
心の起源−生物学からの挑戦(木下清一郎)2002.9.25 中公新書
生物学からの挑戦という副題がついているけれども、中身はカント哲学から見てもとても示唆に富んでいる。
著者は純理を主題にしているわけではないが、たんなる表現上の一致とは思えないぐらい、とても純理的に感じる。
「統覚とはまことに不思議な性質をもっている。統覚という能力そのものは経験に先立って与えられており、生得的なものであるにもかかわらず、そこから必ずしも生得的とはいい切れないものを紡ぎ出しており、過去から袂を分かって新しい体系を織り始めようとしている。たとえば、統覚は離散的なものから連続的なものを抽出し、有限なものから無限なものを抽出することができる。それは自己回帰という生得的能力を媒介として、経験という「個性」ある情報から、普遍的なものを抽出する過程であるといってよいであろう。ここで生得的能力は非生得的能力に変貌している。これは一つの「不連続点」であろう。」(143)
統覚の出現は一つの不連続であるということ、これはカントの信念のようなもので、それあるがために、自発性という表現から抜け出ることがなかったものである。感性の連続性に対して悟性の不連続性というのが純理の底に流れるテーマなのだ。
しかし、一般的に心や精神が問題になるときには能動性が問題になる、というこの哲学に限らない傾向性はなんとしたものか。そして、物資的話には非能動性が形容され、心的話には能動性が形容されるという傾向もどうしたものか。
過去の哲学を記憶する哲学にとってはこのような能動性やら受動性やらの話には総じて括弧がつくだろう。