| TOPIC |
『マックス・ウェーバーとインド』(前川輝光.1992) |
| Subject |
『マックス・ウェーバーとインド』(前川輝光.1992) |
| Author |
イストラン
[ 2833 new post ] 9/23/Sun/2002 |
ウェーバーの根底にはニーチェがいるという話が山之内靖によって掘り下げられていたが、この著作はその線上でさらに追求したもの。
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責任倫理家にとり、闘争あるいは「理念を実現しようと欲する・・・具体的行動こそが何よりも重要であり、その限り、結果は二の次となる。もちろん結果はあくまで重要性を失わない。責任倫理家はあくまで意図の「実現」を「目指す」、いや意図の実現に「情熱的に献身する」のである。そして、即事的な世界観を持つ彼は、心情倫理家と比べれば、はるかに、意図の実現に近い位置に立ってもいるのである。
責任倫理はこうした内容を持つ倫理であると思われる。それは、ここでさしあたり定義してみるとすれば、「即事的な世界認識に立脚して意図の実現のために情熱的に献身しつつも、運命の意味を知ることにより、望ましからぬ結果にもくじけぬ品位ある倫理的態度」とでも呼びえるものである。
このヴェーバーの倫理的到達点たる責任倫理は、ヴェーバーにとり「騎士的」なものあるいは一種の「騎士道精神」と見なされている。
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ヴェーバーの宗教社会学ではインド思想はバラモン階級とクシャトリア階級の拮抗という構図におかれるそうだ。
クシャトリア、それをここでは「騎士」と言っている。これを戦士と言い換えてしまおう。<戦士>の倫理はマハトマ・ガンジーもまた表現していたとされている。