講座1 人間は自分自身を知らない
ここで心理学というのは、今日のようなものではない。それは哲学でもあり、また宗教の部分でもある。さらには芸術という形でも存在する。詩や演劇や彫刻や舞踏ばかりでなく建築もまた心理学的知識の伝達手段であった。エジプト、古代ギリシャにおいて、心理学というのは秘儀であった。秘儀が薄れるとそれは象徴的教義となる。占星学、錬金術、魔術、近代的にはフリーメーソン、オカルティズム、神智学に代表される。
努力のないところに進化はない。進化のためには他からの助力が必要である。
しかしすべての人が進化できるわけではない。それは成長を望んでいない人がいるからである。異なる存在になるには、そうなりたいという強い願望を持ち続ける必要がある。異なる存在とはなんだろうか。
もっとも重要なポイントとは、未知の新しい能力や力を獲得する前に、自分が持っていると思いこんでいるにすぎないものを獲得しなくてはならない。人間は「なす能力がある」と思いこんでいるが、このような能力はない。人間は機械にすぎない、さしあたっては。「している」のではなく、「起こっている」のである。
一定普遍の単一の「私」や「自我」も存在しない。身体が一つであるという感覚、名前の一性、機械的習慣によって、私には自我があると思いこんでいる。
成長とか変化とは、この私にあると思いこんでいるものの能力を身につけるときから始まる。
1 なすという能力
2 統一性
3 一定普遍の自我
4 意識と意志
これらをたいていの人間はもっていない。
意識とは、心理活動とは無関係のものである。自分自身の認知、自分がどこにいるかの認知、自分の知っていることと知らないことの認知などである。
意識は自分だけがその存在を知ることができる。外的観察によっては知ることができない。
意識は存在するかしないかのいずれかである。意識が最高点に達すると記憶が生まれる。意識は精神機能でもない。
意識には持続期間と頻度と範囲(対象)とがある。
自分自身に集中して意識することは、せいぜい2分間が限度である。自分を意識しているという錯覚は、記憶と思考過程によって生じる。
一般に睡眠、覚醒、自己意識、客観意識の四つの意識状態が可能だが、人間は最初の二つの状態をふらふらしている。自己意識は現れることもあるが、それが何を意味するのか普通ではわからない。記憶は意識している瞬間にしか可能ではない。ただし自己意識状態ではその意識を自己が意のままに支配できるわけではない。そこでは外的状況と偶然の連想、感情の記憶に支配されている。
であるから、我々はまずは自己に対して、意識した人間であれるか、と問いを発する。
人間機械には七つの機能がある。
1 思考機能
2 フィーリング
3 本能機能(有機体の内部活動)
4 運動機能(有機体の外部活動)
5 性機能
6 普通の意識に現れない高次感情機能(自己意識状態のときに現れる)
7 高次思考機能(客観意識状態のときに現れる)
客観意識は自己意識を獲得したのちにだけ経験できる。が、なぜか古代の文献は客観意識についてのものが圧倒的に多く、自己意識についてのものは少ないのである。
自己研究は 思考、感情、本能、運動に加えて性という構造から始めなくてはならない。
1 思考機能・・・印象の感受、表象と概念の創造、推理、比較、肯定、否定、言語・想像の形成。
2 感情機能・・・喜悦、悲哀、恐怖、驚愕など
3 本能機能・・・(1)生理機能、(2)感覚全部、(3)身体的感情、(4)反射作用、笑い、あくび、身体的記憶(味、におい、痛みの記憶)【習得する必要がない】
4 運動機能・・・外部動作(歩く、書く、話す、食べる)【習得する必要がある】夢を見る、想像するなど(制御されないか制御できないもの)
上の四つの機能のそれぞれは、眠り、覚醒、自己意識という三つの意識状態で現れる。だが、ひとつ重要なことは、機能は意識なしに存在でき、意識は機能なしに存在できるということである。